第4話 金色のビキニパンツ
私はその店の中に入った。
「ヒグラシ。居るか、邪魔するぞ。私だ、ドレミだ」
店の奥から中年男が現れた。男は私を見るなり、背筋を正して敬礼する。
「ドレミ師範! お久しぶりでございます!」
相変わらず生真面目な男だ。
私は顔の前で手を一振りした。
「やめないか。おまえはもう、軍の人間ではないだろう。だから私はおまえの上司ではない。ただの客だ」
彼の名はヒグラシ。今は、このマッスルアイテム専門店『二刀流』のオーナーだが、かつては王宮で王の護衛に当たっていた優秀な近衛兵だった。そして、魔物襲来時には先代の王と共に魔獣たちと戦った勇敢な兵士の中の一人でもある。
彼は私が肉体鍛錬の指導教官を務めていた兵団に属していたのだが、彼の所属部隊は王宮の警護が主な任務だったので、その時の戦闘が初めての実戦となった。彼はよほど緊張していたらしく、「ビギナーズ・ラック」と間違えてビキニルックで戦場に出てしまったそうだ。それがアウドムラ王都軍の名誉を汚したと幹部たちから批判されることになり、戦後すぐに軍を解雇されてしまった。実に不幸な男だ。
私は近くの椅子に腰を降ろすと、ヒグラシに言った。
「このところ店を開けていなかったようだが。何かあったのか?」
ヒグラシは首を横に振った。
「いえいえ。旅に出ていたのです」
「旅に?」
「ええ。『第六感』に従い、新しい自分を探す旅に出ておりました」
私は一瞬考えたが、彼にもいろいろとあったのだろうと思い、会話を続けた。
「――そうか……。それで、見つかったのか、新しい自分が」
「はい。人生は『出会いと別れ』の繰り返しでございますな。私も新しい自分と出会い、過去の自分と決別いたしました」
「言っている意味がよく分からんが、まあ、息災にしていて何よりだ。筋トレの方はどうだ。ちゃんと毎日……」
私は話しながら視線で彼の体の輪郭線を辿っていたが、広背筋が衰えていないか目を向けた時、ある事に気付いた。
彼の背中のワイシャツ生地の上にブラジャーの後ろ留めホックの形が浮き立っていた。よく見ると、左右の僧帽筋の位置にストラップの線も浮いている。
私は何度も目を擦ってみたが、錯覚ではなかった。
「ヒグラシ……血迷ったか……」
ヒグラシはおじさんだ。しかも、髭面。ブラは似合わない。私には彼が血迷ったとしか思えなかった。
ヒグラシは鼻の下の髭を傾けて答えた。
「とんでもない。血迷ってなどおりませぬ。本当の自分に気付いただけでございます。広い世界を見て回り、自分の殻に閉じこもっていてはいけないと実感したのです」
「そ、そうか。で、その旅とやらは、どこまで行ったのだ」
「お隣のアルラウネ公国まで行って参りました。いやあ、異国へ行くと、人生観も変わりますなあ」
随分と変わってしまったらしい。少し心配そうな顔をしてしまった私に、ヒグラシは応えるように頷いてから、話題を変えた。
「そう言えば、今日のニクス王の誕生日を祝うために、アルラウネ公国から旅芸人の一行が招かれているとか」
「ああ。今夜の晩餐会の余興で、王様を楽しま……しまった! そうであった。ヒグラシ、すまぬ。今日は王様へのプレゼントを買いに来たのだ。ニクス王に似合うビキニパンツを」
ヒグラシは承知顔で頷くと、棚の中から箱を取り出し持ってきた。
「そうだと思いました。ちゃんと最高級品をご用意してあります。これなどいかがでしょう」
ヒグラシは私の前のテーブルの上に置いたその箱の蓋を取った。
「おお!」
私の顔を金色の光が照らす。
「実は、これを仕入れるためにアルラウネ公国まで参ったのでございます」
「なるほど、そうであったか」
金糸で細やかな刺繍が施されたこのビキニパンツは、もはや芸術品の域と言っても過言ではない代物だ。さすがは工業技術が発達した隣国アルラウネの品だ。これならニクス王もお喜びになられるに違いない。
「よし。これを貰おう。献上用に最高級のラッピングを頼む」
「かしこまりました。お代の方は後ほど」
「うむ」
しっかりと頷いた私は、カウンターで丁寧に箱を包装し始めたヒグラシを労った。
「これだけの名品を仕入れるのは、簡単ではなかったであろう。道中も魔物どもや盗賊の危険もあったはずだ。本当に大儀であった」
「もったいない御言葉です。従軍時代には、ドレミ師範には色々とご指導いただきました。お蔭で、あんなに細く弱弱しかった私も頑丈な体を手に入れることができた訳ですから、これくらいの御恩返しはさせてもらわないと」
「何を言うか。筋肉の求めにしっかりと応えたのは、おまえ自身だ。ところで、例の技は今も健在か」
片笑んで見せた私の顔を見て、ヒグラシは手を止めて、ニヤリと髭を傾けた。
「ええ。勿論でございます。腕は落ちていないつもりです」
「そうか。異国への危険な旅から無事に帰国できたのも頷ける。まったく、軍は惜しい人材を手放したものだ」
その時だった。背後から大声が響いた。
「金を出せ! 騒ぐな!」
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