第3話 天才JKが普通の授業を受けるとこうなる

■1限目:数学


「天元院先生、次はこの『非ユークリッド空間における四色問題の新解釈』についてなのですが」

「うむ、それは余剰次元の実在を前提とするものじゃからな。その前にこちらの論文を読んでもらった方が飲み込みがよいぞ」

「おおお、ありがとうございます! なるほど……n+i1の座標軸を無限に仮定することで……」

「それはともかくな、お主、授業はやらなくていいのか? 教師なんじゃろ?」

「天元院先生が目の前にいるのに授業なんてやっていられますか! 授業なんかは自習でいいんです!」


 数学教師はアヤカを質問攻めにしていた。

 彼は数学者を目指して大学院まで出たのだが、食い扶持がなく、仕方なしに教員となった人間である。憧れの天元院アヤカを目の前にして、知的興奮を抑えられなかったのだ。

 思わず、授業放棄してしまうほどに。


「そういうわけにもいかんじゃろ。仕方がない、ステルス解除じゃ」


 アヤカがぱちんと指を慣らすと、教室の数十の機械が姿を現した。

 音もなく宙に浮かぶ黒い機体はすべて自律飛行機械ドローンだ。プロペラで飛んでいるが、ホバリング時の音はわずか0.2dBデシベル。蚊の羽音が20dBデシベルなので、光学迷彩をオンにすると普通の人間ではとても気がつけない。


 教師も生徒も、口をあんぐりと開けて突如現れた機械の群れを見上げていた。


「こ、これは何でしょうか?」

「サポート用ドローンじゃな。警護からバイタルチェック、日々の記録などに活用しておる。合体させれば戦闘用ロボにもなるぞ」

「そんなもので一体何を……?」

「いま教師モデルのAIをクラウドから転送した。単に自習をするよりも、教える者がおった方が効率がよかろうよ」


 ドローンたちは宙空をゆらゆらと飛び回る。

 そして、ノートに何度も書き直した跡のある男子生徒の上で停まった。


『ひとつ助言をしてもよろしいでしょうか?』

「えっ、は、はいっ」


 男子生徒は、ドローンが発した声に驚き、反射的にうなずく。


『では、これは予想となりますが、学習中の公式に無理に当てはめようとはしていないでしょうか。この単元で扱っている公式は、次の問題から使うものです』

「え……あ、ホントだ! なんでわかったの!?」

『フィードバックにより、推論の精度は向上していきます。いまの回答にご満足いただけたら【いいね!】を、不満足であれば【よくない】をタップしてください』

「ダンゼン【いいね!】だよ! 百万回押したいくらい!」


 男子生徒はドローンが投射した立体映像ホログラムの【いいね!】ボタンを迷わず押した。

 こんな具合で、ドローンの群れは生徒を指導していく。


 推定値ではあるが、この1限で1年B組の数学の偏差値は50.0から51.0に向上した。


 * * *


■3限目:体育


 亜麻色の髪の少女が宙を駆ける。

 空中でボールをキャッチし、そのままゴールリングに叩き込む。

 バズケットボールが体育館の床に乾いた音を立ててバウンドした。


「すっげー! 女子のダンクなんてはじめて見た!」

「いまのって……アリウープってやつ……?」

「人間ってあんな高く跳べるんだ……」


 男子生徒たちが遠巻きに驚いている一方で、女子生徒たちはアヤカを囲んでかしましい。


「すっごーい! 天元院さんってスポーツもできたんだ!」

「バスケ経験者だったの!?」

「ねえねえ、さっきのもう1回やってみてよ!」


 ジャージ姿のアヤカは、そんな称賛の嵐にも動じることはない。

 数々の授賞式や記者会見、マスコミの囲み取材などで慣れっこなのだ。


「ははは、バスケットボールははじめてだったが、シミュレーション通り上手くいったな。それからこれはワシ本来の身体性能ではない。人口筋繊維を編み込んだこのジャージのおかげじゃな」

「人口筋繊維……?」

「パワードスーツのようなものよ。これを着れば、どんなに運動が苦手でも超一流アスリート並みのパフォーマンスを発揮できるのじゃ」

「えっ、ホントに!? それ着たら私もダンクできるようになるの?」

「うむ、できるぞ。スペアがあるから試してみるか?」

「うん、貸して貸して!」


 アヤカからジャージを借りた女子生徒たちが、次々にダンクを決めていく。

 それを見た男子生徒のひとりが自分にも貸してくれとやってくる。


「ダメに決まってるじゃない!」

「えっ、なんでだよ?」

「私たちが着て、洗濯もしてないんだから」

「俺はそんなの気にしないけど」

「私たちが気にするの! デリカシーってもんがないの!?」


 その様子を、アヤカは不思議そうに眺めていた。


「のう、どうして貸してやらんのじゃ?」

「だって……汗とか……その、匂いとかしたら……」

「ふうむ、臭気を測定してもまったく問題のない値だぞ。感染症のリスクも無視していいレベルだ」

「えっと、そういうことじゃなくって……」

「まあ、お主らが貸したくないというのならそれは仕方がない。思想的、文化的、宗教的な問題が数字だけでは割り切れぬことがあるのはワシにもわかっておる。よし、ここはワシが着ているジャージを――」

「それもダメーっ!!」

「なっ、なぜじゃ!?」


 アヤカの心に疑問を残しつつ、体育の授業が終わった。


■昼休み


 ひとりの女子生徒が泣きそうな顔で床を探し回っている。

 その様子を気にしたアヤカが声をかけた。


「どうしたのじゃ? 何か失くしものか?」

「うん、髪留めをなくしちゃって……中学から使ってたのに……」

「ほう、それは一大事じゃな。どのような形状か詳しく教えてくれるか?」

「えっ、手伝ってくれるの? でも悪いよ、昼休みにそんなことさせたら……」

「なあにかまわんかまわん。写真などに残っておらんか?」

「ありがとう……えっと、これに写ってるやつ」


 女子生徒がスマートフォンを差し出す。

 友だちと一緒に撮ったその自撮りには、小さな花のモチーフがあしらわれた髪留めが写っていた。


「ふむ、では画像解析にかけて……お、体育館じゃな。持って来させるから少し待て」

「えっ、なんでわかるの!?」

「この学校での生活はすべて録画しておるからの。なに、プライバシーの心配はするな。撮影はワシの見聞きできる範囲に限定しておるし、生データはワシの研究でしか使わん。論文などにする場合は統計処理をかけて個人の特定を不可能にする。必要なら守秘義務契約をしてもよいぞ」

「いや、そういうことじゃなくて……」

「お、待たせたの。失せ物のお届けじゃ」


 アヤカが指差す先に、宙を飛ぶ髪留めがあった。

 ドローンがステルス状態のまま運んできたのだ。

 アヤカのドローンにはマニピュレータが搭載されており、簡単な作業くらいならできる。

 髪留めがするすると空中を滑って、女子生徒の手にぽんと落とされた。


「わあ、ホントに私の髪留めだ! すごーい!」

「金具が緩んでおるようじゃの。修理するか?」

「えっ、そんなこともできちゃうの?」

「単純な構造じゃからな。特別な冶具やぐもいるまいて」


 アヤカは髪留めを預かると机に置いた。

 そして「ちゅいーん」とか、「きんこんきん」といった音とともに、髪留めの周りで火花が散る。ステルス状態のドローンが作業をしているのだ。

 1分ほどでそれが終わると、髪留めは再び女子生徒の手に戻される。


「わあ、新品みたいにぴかぴか!」

「修理のついでに研磨や洗浄もさせてもらった。む、元の重量から0.58グラム減ってしまったな……余計な世話じゃったらすまなかった」

「そんなことって! ホントにありがとう! ねえ、よかったら一緒に自撮りしてくれない?」

「かまわんぞ。その程度はお安い御用じゃ」


 女子生徒は髪留めをつけると、アヤカと肩を組んでスマートフォンで撮影した。

 その様子を見ていた他の女子生徒たちが群がってくる。


「えー、ずるーい! 私も天元院さんと撮りたい!」

「私も私も!」

「抜け駆け禁止―!」

「むう、仕方がないの。一人ひとり撮っていたら昼休みが終わってしまう。集合写真でよいか?」

「さんせーい!」


 女子生徒たちはアヤカを中心に黒板の前に並び、それをドローンが撮影する。

 視線が揃うよう、ステルスモードを解除することも忘れていない。

 そして撮影が終わると、画像は全員のスマートフォンに即座に転送した。

 生徒たちははしゃぎながら思い思いにそれを加工し、クラスのグループチャットに投稿して盛り上がっている。


 しかし、やはりその輪に加わっていないものがひとりいた。

 金髪のその少女は、教室の隅で何度もメッセンジャーアプリを起動しては新着通知がないか確認しているのだった。

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