来ました。盗品美術館

▽▽▽▽

 昼間に来た美術館――が建っていた筈の、空き地に片眉を上げる。立派な建物が立っていたのに草一本生えていない。日も沈み、周囲が黒一色なことも相まって、のっぺりとして見える。

 っていうか敷地の大きさ自体が全然違う。そりゃあ世界でも有数な美術館のように何棟もあるってほどではなかったけど。こんな一軒家にも満たないサイズには収まらなかった。建物に物理的に入れない、って言われてもピンと来てなかったけど成程、こういうことか。

 美術館の入り口があった辺りに検討を付けてしゃがみこむ。地面を撫でたが見た通り土と砂の感触がするだけだった。

 え、閃鬼どうする気なんだこれ。こうも何も無くちゃとっかかりも無くないか。

 掌同士を叩いて砂を払う。こちらに小走りで駆け寄ってくる足音に顔を上げた。

 短い距離の間にブンブン振られた腕にゆるりと上げ返す。“視て”きた結果が現れるやや小走りな足取り。ご機嫌だな。

「おー、満足したか?」

「重畳」

「そりゃ何より」

 立てられた親指に口角を上げる。立ち上がって、ぐ、と体を伸ばした。

 小さい体を見下ろすが、大きめのフードに隠れて表情が見えない。眼帯とマフラーで右目以外の殆どを覆っている為、正面から見ても大して変わらないだろうが。

「眼帯on眼鏡は止めたんだな。あれ、面白かったのに」

「いや、だって馬鹿みたいだし。君に右眼の刻印がバレないように隠す為だったからもう付ける意味ないでしょ。一応”閃鬼”が鬼眼だってことは隠してるけど、至近距離で覗き込まれなきゃわかんないだろうし……。それにもし見つかってトラブっても、竜騎が護ってくれるでしょ」

「そりゃ勿論」

 閃鬼の肩に寄りかかる。体重を掛ければ「んぎゃー」と棒読みの悲鳴を上げながら小さい体が傾いた。言う通り至近距離から瞳を覗きこめば、碧い瞳に刻まれた幾何学的な印が見える。ばってんマークになっていた瞳が動いて俺を見返した。ニコッと微笑めばにこっと笑みが返される。

 俺はこの距離が許されてるってことだもんなぁ。良い気分だ。好ましいね。

「んで、この後の算段は付いたってことで良いのか?」

「うん。んじゃあ竜――風竜。これから正確にあたしの後に憑いて来てね」

「お?ん。了解。正確に、って何処までだ。背丈とかも合わせて屈むか?」

「そこまではいいや。ただ足跡は正確に、ね」

「足のサイズも俺の方が大きいんだよなぁ」

 閃鬼の肩に回していた腕が外される。あ、と思っている間にそのまま彼女の胸前に回された。後ろから半ば負ぶさる形になりながら重そうに歩いていく閃鬼の後をついて行く。

 空き地から数歩離れて足を止める。閃架が深く息を吸う。彼女の胸が膨らむのが、腕から伝わった。腕の力を緩める。

 閃鬼が一歩足を進める。まるでコンビニにでも行くかの様な気負わなさ。いや、この街の治安の悪さを考えるとコンビニ行く時の方が警戒するかもしれない。

 進む閃鬼に逆らわず腕の力を抜いて、解く。離れるよりも速く、手が取られた。前を見る碧い瞳と視線は合わない。彼女の足跡を追って一歩。

「ゼロ敷地って知ってる?」

「名前ぐらいは」

「それも雑誌?」

 くすくすと笑う閃架に肩を竦める。

 迷いは無いながらも寝ぼけているかのようにふらふらと定まらない線から外れないよう一歩、二歩、三歩――。

「この街でも上位の防犯システムって聞いたけど」

「防犯!まぁそうかな。盗品ばかりを集めた美術館最大の護りに使われてるって考えると中々皮肉だけどね。細かい話はメンドイんで省くけど、実体の存在力を数値化すると実数の方にしか増えないんだよ。でもゼロ敷地は敷地内にある実体の数値を虚数の方向に増やす減らすの。んで、基本的に実数側の存在って存在力が0以上のものしか観測できないからさぁ。0何もない様に見えるってわけ」

「……つまり建物を幽霊化させて見えない、触れない状態にしたって感じ?」

 虚数にする=幽霊という理解で性格なのかはわからない、っていうか多分違うんだろうけど。ニュアンス的にそこまで間違っていないだろう。

 っていうかこの街そんな技術あるのか……。コワ……。

 異在者イグジストという自身の存在を知覚できる者が現れたことで直接存在に干渉できる技術が生まれたとは聞いていたが。

「やっぱ人類を存続させる為には端から異在者イグジストを殺した方が良いんじゃないだろうか……」

「好き勝手言うじゃん……。自分だってそうだろうがよ。誰が異在者イグジストになるか、何人なるかわからないんだから、人類全滅させないといけなくなるかもしれないよ?」

異在者イグジストが死んでいけば種の防衛本能的なのが働いて、ならなくなるかもしれないだろ。存在異義レゾンデートルは新しい進化の形って説もあるくらいだし。異在者イグジストになった方がマイナスなら止まるだろ」

「適当なこと言ってんな……」

 と、おもむろに前を進む足が止まった。踏み出しかけた足が地面から離れる前に、踵を浮かせたところで押し留める。

 どうかしたのかと顔を上げ――目の前に降りた、薄い光のヴェールに口から間抜けな音が漏れた。……スッゲェ。

「え、何だコレ」

 暖かな光で編まれた、柔らかいドレープが風も無いのに揺れている。裾の動きに合わせて解ける様に散る欠片は橙色に周囲を仄かに照らしていた。

「後ろ見て」

 言われるがままに振り返る。垂れ下がった幕には先程まで居た空き地が精密なタッチで描かれている。美術館で見たどの絵よりも写実的だ。

 揺らめく布の隙間から見え隠れする向こう側には、昼間訪れた美術館が覗いている。

「こ、れがこの美術館で一番綺麗かもしれないな……」

「アッハッハッ!んじゃあいいもん見れたじゃん!」

 無警戒な所に叩きつけられた身震いするほど幻想的な光景に力の抜けた声が漏れる。呆けた意識が後ろから聞こえて来た笑い声に引き戻された。くん、とパーカーの裾を引く閃鬼は慣れているのかにやにやと笑っている。気恥ずかしくて視線を逸らしながら、引っ張られるままに寄っていく。

「せ、閃鬼さん。閃鬼せんせーい……」

「はいはいはい?」

 伸ばした腕で閃鬼の肩を捕まえ引き寄せる。テッテと寄って来た閃鬼がぼすり、と俺の胸元に収まった。

「なにこれ」

「ふむ。正しくは“なにこれ”よりも“どこここ”だね」

「あ?」

「ここは有と虚の境。一と零の間だよ」

 伸ばされた細い指先がヴェールを撫でた。揺蕩う動きに合わせてまた光が散る。重さの感じないさらりとした動きは水の流れを思わせる。

「……手触り気持ちよさそうだな」

「触ってみる?視ててあげるよ」

 ぱちぱちと細かく浅い瞬きに合わせて複雑な虹彩が煌めいている。ネオンのように映える幾何学的な刻印は“鬼眼”が起動中である証だ。

「――物理的に存在しない実数の世界と虚数の世界とやらの境目を“鬼眼”で“視る”ことによって“存在するある”ことにして入り込んでる、ってことでいい?」

「あってるあってる」

 にこにこ無邪気にピースサインをチョキチョキと動かす女の子に口角が引き攣った。幼げな雰囲気さえあるのにやっていることは凶悪だ。この街でも最上級ハイエンドクラスの警備を短時間且つ隠密に突破するな。

 そうだった。幽霊の例えを使うなら閃架は霊感がある人間だった。視認はおろか祓えるタイプの。

 流石はこの街でもトップクラスのクソヤバ能力。伊達に一財産築けるだけの懸賞金が掛けられてはいない。乾いた笑いが漏れちゃうな。

 強さを増した右眼の光に背中を押され、こくりと浅く唾を飲んだ。

「わくわくしちゃうな」

「良い事じゃん」

 体の奥底に疼く、幼子の様な逸りを抑えながら手を伸ばした。

 指先が幕に触れる。それこそ幽霊の様な存在感の無さなのに、しっかりと触れた感触がある。ただし重みは感じない。

 指の間を滑らかな細かい糸がくすぐった。

「うわっ、なんかいいな。これ」

 面白い感覚だ。泡が出るシャワーってこんな感じだったりするのだろうか。

 しゃらしゃらとカーテンを持ち上げては落としてを繰り返す。「そのまま捲って」との言葉に従って金色の幕を掻き上げた。

 今日の昼間訪れたばかりの建物がはっきりと見える。ロマネスク建築様式に寄せたしっかりとしたレンガ造りの荘厳な雰囲気。小洒落たガラス戸の上に金色に輝く「ZOLZIAZ」の文字。

 緩い力で背中を押されるままに踏み出す。一歩であっさりと敷地内に侵入した。

「――ゼロ敷地とか言う上位セキュリティも形無しだな……」

「いえい」

 戯ける閃架を呆れた顔で見ながら、モノクロの頭を撫でる。

 う~ん無法。自衛も怪しい戦闘能力の“閃鬼”がこの街一の情報屋である理由がわかっちゃうな……。

「ねね。仮面付けて仮面」

「ん?あぁ、確かにそろそろ顔隠した方が良いか」

 布を潜る為に屈めた肩を無遠慮にばしばしと叩かれる。

 素顔を隠す為、という合理的な理由よりも単純に面白がっているんだろうなぁ。お気に召したようで何よりだ。どうも彼女の浪漫の琴線に刺さったらしい。

 西洋甲冑をイメージして作ったバイザーは横向きに3列の覗き穴が空いている。顔の上半分を覆い隠し、黒色のフードを深く被った。

「竜騎って派手に揉めてクビになった割に結構“竜騎士ドラグーン”の異名好きだよねぇ」

「あんたにカッケーって言われたからな。そんなことより閃鬼」

「ん?」

「似合う?」

 とんとん、と指先で仮面を突き、片頬を上げる。碧い瞳を瞬かせた閃架が一転、ペカーッと笑った。

「似合うしカッコイイよ。騎士っていうよりは暗殺者っぽいけどね」

「全身真っ黒だからな!」

 右目以外の殆どを覆い隠し、夜闇に溶け込む青みがかった黒を纏う閃鬼の方がよっぽど暗殺者っぽいけどな。

 前にも見たこの衣装は閃鬼の仕事服にして勝負服なんだろう。眼帯の上に掛けていた眼鏡がなくなった分、惜しげもなく碧眼が晒されている。

 先行って、と促されるままに幕を潜る。幕から視線を反らさないように続いた閃鬼が視線を切った。途端、持ち上げていたカーテンが空中に溶けていく。

「おお」

「ふふ」

 上がった俺の声に笑みを零しながら追い抜かした閃鬼がドアレバーに手を掛け、引っ張った。ガチッ、と途中で途切れた寒々しい金属音にきゅ、と閃鬼が顔を窄めた。

 レバーが動くのみで扉自体は微塵も動かない。施錠されてる。まぁそりゃそうか。

 片肩に背負ったバックパックを背負い直し、彼女の肩越しに手を伸ばした。レバーに触れる前に止める。

「俺ので開くか?」

「ん……。物理的な施錠のみだね。多分?」

「適当だなぁ」

 閃鬼が俺の胸に寄っかかる。遠慮なく掛けられた体重に「ぐえー」と棒読みしながら指先でドアレバーに触れる。美術館の設計図は記憶済みだ。閃鬼に「これ覚えて」って渡された。なので鍵の構造は把握している。頭の中に鍵の開いた図面を描きながら力を流し込む。ドアレバーを引っ張った。ガチャン。

「お、開いたね」

「な」

 1度深く俺に体重を掛けた閃鬼が反動を付けて上体を跳ね上げた。つんのめるような動きで照明の全て消えた美術館に足を踏み入れる。

「俺が先の方が良くないか?」

「風竜の身体で視界が殆ど塞がれちゃうじゃん。鬼眼に透視能力はないよ」

「あ~~」

 昼間はふらふらと寄り道しながら歩いた道を一直線に進んでいく。両脇に並ぶ展示品には統一感が無い。怜悧な騎士の彫刻。名状し難き粘土細工。自動で色が変わっていく装飾品。共通点は”盗品”のみ。手当たり次第って感じだな。

 どんな施設でも真っ暗になると雰囲気が変わるものらしい。昼間は変わってんな……、としか思ってなかった美術品が不気味に感じる。閃鬼はするすると進んでいくが。まるで見えているかの様、というか、実際明るい中と変わらないのかもしれない。

「そういやさぁ。あの絵を盗む理由って依頼があったから、ってだけなのか?」

 やや速歩で進んでいく閃鬼だが、約40㎝の身長差のコンパスを使えばゆっくり歩いても十分並べる。大股数歩で隣に並んだ。

「ん?なんで?」

「いや、依頼されても興味なければ蹴るだろあんた。懐に余裕もあるっぽいし」

 情報屋“閃鬼”ってのはどこかに事務所を構えているわけじゃない。何処にあるのか、本当に存在するのかさえ分からないが、噂は聞く。この街にバカほど転がっている四方山話、道聴塗説、街談巷説。その中でも有名な物の1つ。所謂都市伝説と呼ばれるものだ。どうやって依頼を受けてるのかは俺だって知らない。今んとこ閃架に言われた通り動いているだけなので。この件は依頼人についても知らない。

「呪いの絵って触れ込みだけどさ。一口に呪いといっても色々あんだろ。あんたがどんなものに興味持ったのか、興味がある」

「さぁ?」

「あん?」

 予想していなかった答えに思わず足を止める。説明面倒臭がられてんのか、とは思ったが。気にすることなく進んでいく閃鬼を小走りで追いかけた。

「昼間視てたじゃんか」

 絵を鑑賞しながら片目を瞑っているのは見た。鬼眼を使用している時のルーティン。眼鏡越しだったし時間も短かったとは言え、概要くらいは把握しているものかと。

「いや、なんつうかさぁ、休眠状態なんだよあの絵。パソコンでいうスリープっての?見ても“呪いの絵”、って事が分かるだけでその内容が視えてこない」

「……研究とかされていないのか?“異在道具オーパーツ”なら可能な限り“世界異在機構WEO”が記録取ってる筈だろ?いや日々新作が生まれているし、全数の3割も把握できてなさそうだけど」

「その“世界異在機構WEO”の研究所への輸送中に盗まれたんだよ」

「……フルアンカー?」

「フルアンカー」

「わー」

 流石、空前絶後の怪盗様だ。予告状を出すなど、ベッタベタなことして遊んでいるだけはある。やってることが児童書の登場人物なんだよな。

「休眠なぁ。人為的な封印か?」

「いや、絵自体が持つシステム的なものだよ。特定の外刺激があれば目覚めるっぽい。それが何かはわかって無いけど、大きな刺激である必要はない、筈」

 スリープ状態のパソコンのエンターキーをタイプするように。スマートフォンの画面に触れるように。ちょっとしたアクションで直ぐに目覚める。

 最近のスマホとかちょっと傾けるだけで起動するよな。ポケットとかに入れてると服に擦れて勝手に動き出したりする。

「依頼を受けた理由っていうのはぶっちゃけお得意様から、っていうのもあるんだけど、前々からこの美術館自体にも興味あったんだ。一人で来る、って程じゃなかったんだっけど、丁度チケットが手に入るタイミングとお得意様からの依頼と同行者が全部揃ったから」

「あ~、まぁ好きそうだよな。こういうの」

 漫画みたいな中二病の設定。

「お、喧嘩売ってる?」

「違います」

 閃架も本気ではないようで、向けられた視線は直ぐに逸らされた。

異在道具オーパーツ、とか曰く付き、とか興味深いのもあったんだけどさ。あんま人前で鬼眼使う訳にはいかないじゃん?”閃鬼”と鬼眼が紐づけられるのはまだ良いけど、”閃架”は困る。ただまぁ不完全燃焼だからさぁ1作品ぐらいはガッツリ視とこうかなって」

「欲に忠実に動いてんな……」

 ははっと空笑いを漏らしながら足を止める。

「成程ねぇ。じゃあ閃鬼にとって、これからが本当の鑑賞会だ」

 閃鬼が視線を上げた。

 仄かに発光する碧眼の視線を辿る。金の瞳で妖美に笑う魔女が睥睨していた。

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