こちら、入館案内です
※この小説は自傷行為、自殺を推奨するものではありません。
▽▽▽▽
「竜騎さぁ、美術館興味ある?」
恐る恐るこちらに話しかけて来る猫撫で声。無言でピッと中指を立てた。閃架の眉毛がハの字に下がった。いつもより水分量を増やした碧い瞳をうろうろと泳がせ、う、と呻いた後何かを弁解しようとしている。
「や、別にマジで死のうと思ったわけじゃないんだよ。ただなんとなぁく、死に掛ける感覚を味わってみたくて」
「は?何ストレスか?」
「いや……そういうわけではないんだけど……」
要領を得ない物言いは、正直に言うと怒られると思っているから。ただ嘘は吐いてないし、閃架が抱えきれないような何かがあれば、狂華からのリークがあるだろう。
狂華ねぇ……。
ちらりと閃架の足元に視線を向けた。蛍光灯に照らされた影は忠実にわたわたと無意味に掌を動かす閃架の動きを追いかけている。
本当に死ぬ気なら俺に追加のお使いを頼んで時間を稼げばいい。俺は喜び勇んで行くからな。俺が間に合うタイミングを見計らって首を括った。
幼少期、閃架の父親とのあーだこーだ(詳細不明)のせいで外見イメージに反して頑丈な奴だ。狂華によって切断された腕も生えてくるくらいだし、常人ではアウトな蘇生時間をオーバーしても回復できるだけの見込みはあったのだろう。実際俺が縄から下ろし、軽く頬を叩いて呼びかけただけであっさり目を覚ましたし、1分も経たず会話もできれば支えもなく歩き出した。前科持ちかもしれない。
で、俺が寄り道したり、トラブルに巻き込まれたりして、遅くなって、死んだらどうするつもりだったんだ。どうなると、思っていたんだ。
ちらちらとこちらを伺う視線から視線を反らす。うぎゅ、と呻いた後、閃架の雰囲気が更に沈んだ。
「もぉ~ごめんってぇ~」
謝罪がヤケクソ染みて来たな……。
わぎゃ、と半泣きで俺に向かって倒れ込む閃架に溜息を吐いた。倒れ込んだ勢いで露になった項には赤黒い縄の痕。ミディアムロングのせいで日に晒されないそれは白い肌にくっきりと浮かんでいる。
あぁもう。これを見ると怒りが長続きしないから意識的に目を逸らしてきたのに。
閃架の後頭部からそっぽを向きながら彼女の頭を撫でる。クソッ。流石に甘過ぎか?呼ばれて帰ったら首吊ってました、なんてもっと怒っても良いだろうに。ただでさえ、俺は怒るようなことはほとんどない。慣れてないんだ。
「あー、わかった。もう良い。許すよ。元々マジで怒ってたわけじゃないしな。ただ次からはもっとわかりやすく言え」
「いや……なんか気まずくて……」
「こいつ……。おい、ちょっと身体起こせ。俺の目を見ろ」
「えぁ……はい……」
びくびくとしながら体を起こした閃架の顎に指を当て、視線を合わせた。ビクッと肩を跳ねさせた閃架の目が勢いよく泳ぐ。そのまま無言で待っていれば恐る恐る視線が合わせられた。それを確認してから小さく息を吸って、口を開く。
「言っとくけど、別にあんたが自殺未遂したことにはキレてねぇからな。あんたが俺に邪魔されないようにお使いさせてどっかやったことに拗ねてんだよ」
「す、拗ねっ!?えぇ……」
「あんたが首括ろうがリスカしようが、自殺未遂の範囲でスッキリするなら好きにすりゃあいい。多少派手だろうが付き合ってやる。狂華が居るなら傷だって残らないんだろ。チャラになる一時の自傷でぐだぐだ言うほどまともならこんな生き方していない。言っとくが、今の人生が嫌ってわけじゃねぇからな」
もう1回やり直しが効くとしても、俺は同じ人生を選ぶだろう。倫理観や性格が変われば別だろうが、それは閃架の武器になることを選んだ”俺”じゃない。
「ただ嫌われるとか、迷惑がられるかもとか、そんなくだらない理由で俺を遠ざけるな。馬鹿みたいなくせに中途半端な遠慮もやめろ。ちゃんと巻き込め。俺はもうあんたの為に生きるって、――あんたの為に生きたい俺の為に生きるって覚悟決めてんだ。閃架が死んだら俺も死ぬからそのつもりでいろ。――あとガチで自殺するほど悩むなら言え。わかったな」
「うぁ……」
「返事」
「は、はい……」
よし、と頷いて閃架の顎に当てていた指を放す。ぐるぐると目を回す閃架は一方的に俺の言葉を浴びせられ、キャパオーバーしてるが、頷いた。言質は取れたということだ。今これ以上言っても混乱させるだけだろうし。取り敢えずは満足した。
一気に捲し立てて吐ききった息を吸いこむように大きく息を吐き、無理矢理溜飲を下げる。よし、切り替えた。
「んで、なんだよ。さっきなんつった」
トントンとテーブルの向かい側を叩く。ちょっと躊躇った後、のそのそと起き出した閃架の目の前に落としてひしゃげたスイーツの箱を置いた。本当は冷蔵庫で冷やした方が良かったのかもしれないが、もういいや。念の為長めに保冷剤入れてもらったし、大丈夫だろ。
「美術館興味あるかなぁ、って……」
「んむ。んんん」
躊躇いながらも箱を開けた閃架にはい、と渡されたのはセルリアンブルーとライトグリーンの粒が混ざった謎物体。中々インパクトのある見た目だが、ショーケースの中にずらりと並んでいたのを見た後だと迫力に欠ける。スプーンで掬い、口に咥えた。同時に質問に答えたことで、閉じた唇の間から不明瞭な音が漏れる。う、と閃架が小さく身を引いた。
「ま、まだ怒ってる……?」
おろおろと聞いてくる閃架にべ、と舌を出してから口の中を飲み込む。因みに俺はもう切り替えた。
口内に広がる仄かな甘みと滑らかな舌触り。触感はプリンによく似ているものの、明らかに卵の味では無い。というか今まで食べたこと無い、ケミカルさ。色も相まってブルーハワイのシロップを固めた様な感じ。見た目緑のタピオカは感触的にはナタデココの方が近い。味全然違うけど。噛むとフルーティな香りが鼻に抜ける。が、何の果物か心辺りが無い。食への興味が薄かったから俺の経験値が低いだけか?それとも“箱内”の食材か?
「これ人間が食べて良いやつ?」
「それ食べる前に聞かない?」
「流石に毒出される程嫌われてはないかな~、と」
言いながらもう一口。しょぼんと声に覇気を無くしながらも「美味しいでしょ?」と首を傾げる閃架に頷いた。
「まぁ……ウマくはあるな」
ミントとは違う、やたら清涼感のある喉越しに慄きながら飲み込む。この街で育った閃架にはなんてこと無いかも知れないが、俺はまだ来て1ヵ月と少し。それも発狂する閃架の介護でほとんど引きこもり状態だった。特産品や地域限定には慣れていない。いやまぁ、如何にも“通”が通う雰囲気の居酒屋で出てくる蜘蛛の様な人間の手の様な物体や収穫された後でも生きて動いて叫ぶ野菜もどきに比べたら全然マシだけど。
閃架がもそもそと小さく掬っているのはアッシュグレーとスカイブルーが混ざったゼリーらしきものだ。上にパッションピンクのクリームが絞られている。食べ物にしてはペンキで塗ったような発色が人間の口の中に吸い込まれていく。思わず視線を奪われる。ぱくりと頬張った一匙を舌で押し潰している閃架と目が合った。
食べたがっていると思われたのか、まだ気を使っているのか。ずいっ、と目の前にカップが付き出される。
「お。あー……、んじゃ、交換で」
代わりに自分のカップを差し出すと閃架が端の方を小さく削る。遠慮したそれに片眉を上げた。
「俺が食べ難いからちゃんと持ってって良いよ」
「う……」
しっかり一口分掬い取っていったのを確認して一つ頷く。俺も同じくらい取って一口。……美味いんだよなぁ。俺のものと負けず劣らず未経験の味ではあるのだが。なんで脳が痺れるくらい甘い匂いがするのに、舌に触れるのは丁度良い味わいをしているんだ。
「で、何美術館?別にそこまで興味はねぇなぁ」
「竜騎、芸術には興味ないタイプかぁ。理系だから?」
「偏見じゃね?芸術鑑賞が趣味の理系だって沢山居るだろ。俺だって彫刻系なら比較的興味あるし」
「……そっちの方が感動するから?」
「製作技術に興味があるから」
「まぁ……好きに楽しみゃいいが」
そういうことじゃなくないか?と微妙な顔で口元をもにょもにょ動かした。
ん、閃架の俺に対して伺う感じが抜けて来たな。ひっそりと息を吐いた。もっと申し訳なく思わせといた方が再犯しなくなるのかもしれない。でも閃架がストレスを感じてるのは見ていて俺もストレスなんだよなぁ。我ながら閃架に甘いというか。いや結局は俺のエゴなんだけど。
「芸術、ねぇ。一言で言っても色々種類があるよな。パッと連想するのは古典、っつーかヴィンテージ、っつーか、ぶっちゃけアナログなんだけど。昨今じゃアニメだってゲームだって芸術っていう人も多いだろうし」
「お?なんだ?娯楽作品は芸術じゃねぇってか。美しい作品だって十分あるだろうが」
「ここに居たか……」
あんたアニメもゲームもそこまでやらないだろ。視覚による鑑賞物だと漫画と洋画の方が観てんじゃんか。何なら1位はテキストオンリーの小説だし。それも文学ではなく。娯楽小説。
さっきまでの遠慮はどこへやら。ガンを付けながら大仰にしゃくられる。呆れを含んだ視線を向けながら、机の上に頬杖を突いた。
「アニメなぁ……殆ど見たこと無いんだよな。あんたに
「名作だぜ?面白かったろ。
にやりと笑った閃架に返事の代わりに肩を竦めた。錬金術師は学者の一種だ。俺は研究職って柄じゃない。依頼人の図面通りに創る製作者がせいぜいだ。性にも合うし。
「とはいえ、確かに。
「フィクションみたいな異能だからね。参考にするのもフィクションでしょ」
わくわくキラキラとした目。パタパタと揺れる足。追いかけているアニメを見る為、テレビの前に座った時の様な表情に俺のことエンタメ扱いしてるんだろうなぁ、と理解した。
まぁ鬼眼は強力ではあるけれど、なんなら理不尽ですらあるけれど、概念的だ。俺みたいに物理的且つ派手に異能を行使できるわけではない。それこそアニメキャラの戦闘シーンを見ているような感覚なのかもしれない。狂華相手にもしている目ではあるし、好意なのだろう。できないことに憧れるのは人の常だ。悪い気はしない。というよりも好ましい。
くすぐったさに声に笑いを含ませながら上体を寝かせ、閃架と同じ高さに視点を合わせる。
「ふ~ん。それもアニメの知識?」
「いや、ラノベ」
あ、さいですか。
冗談のつもりだったのに予想と違う答えが返ってきて、なんて返せば良いのかわからなくなってしまった。
椅子の背もたれに仰け反るように寄りかかりながら話題を変える。
「なんとなくエンタメ要素の強いものほど芸術から離れていく感じするよな」
「思い付きで喋るけど大衆を楽しませるにはわかりやすさってのが必要だからじゃない?芸術って複雑且つ難しいイメージあるんだよね。送り手だけじゃなくて受け手も理解に労力が必要っていうか。いや簡潔なものが簡単に創られてるってわけじゃないんだろうけど」
「シンプルは究極の洗練って言うしな……」
現在までその名が轟く芸術家、レオナルド・ダ・ヴィンチの格言だ。個人的にはモナ・リザの何が凄いか正直全然わからんけども。美術部の学生とかでも描けそうな気がしてしまうのはやっぱり俺がやったことないからか?俺としては飛行器具の概念手稿の方が嫌いじゃない。
「……閃架ってモナ・リザ好き?」
「人物画よりも風景画の方が好きなんだよね。寒色が好きだから水場の絵が好き」
「あー、海とか池とか」
「そーそー。っていっても全然詳しくないんだけど。
「美術館あんま行かない……行かなくない?」と引け目を感じるように伺ってくる。
飄々としているように見えて存外自分の幼少期が“異常(アレ)”なことを気にしているらしい。俺におかしくないか確認されても俺も大概普通じゃない(アレな)んだが。
生まれは不明、育ちは傭兵集団な上に興味がなかったせいでどうにも教養がない。
元団長である
――いや、
俯いてちみちみとアッシュグレーを削る閃架の頭頂部を見ながら「ふむ」と口元を親指とで挟むように撫でる。そのまま人差し指だけピッ、と伸ばした。
「んじゃあ行くか、今度。プライベートで。この街にだって普通の美術館くらい、探せばあるだろ」
バッと勢いよく頭が上げられた。見開かれた目に向けてにこりと微笑んだ。
「俺も行ったことないんだよ。一緒に行こうぜ」
元団長を散々シカトしたおかげで、初めて同士で美術館に行ける。
閃架の引き結ばれていた口角が緩んでいく。段々と瞳がキラキラとしていくのを付いた頬杖に体重を掛けながら眺める。俺の好きな色だ。
「なんか良いとこ知ってる?情報屋」
「生憎平和な依頼は来なくって。なんか探そうか」
「おー、気になるところ見つけたら教えてくれ。俺はよくわかんないから任せるぜ」
ほったらかしにしていたカップの中身を一匙掬う。相変わらずゾッとするような不思議な味だが成程慣れれば嫌いじゃない。
「うん。楽しみだね。デートみたいだ」
ごくん。塊を飲み込んだ。
反射的に噎せそうになって、堪える。なんだか動揺してるとダサい気がして、必要以上にゆっくりとグラスを傾けた。
――閃架に他意はないんだろうなぁ。俺が他意なく彼女を惚れてると言うように。
お互い恋愛感情が無いとわかっているからできる軽口。だけど、向こうから言われるとやっぱちょっとドキッとするな。
とはいえ、まぁ、悪い気はしない。
もう一度、今度は浅くグラスを傾けた。
「……え、デートの約束して終わったけどそれでいいのか?」
雰囲気から仕事関係かなと思ったけど。単なる雑談?俺から怒りを反らす為?
訝し気に顔を顰める俺に、閃架がヤベ、と呟いた。
「おっと、残念。仕事だね」
あっぶね。忘れてた。と続けられて、俺も同じく頬を引き攣らせる。情緒の不安定さを抜きにしても結構ポンコツなんだよな、このお嬢様。それだけ美術館デートを楽しみにしてくれる、ってなら俺としては光栄だが。
閃架がカップに直接口をつけ、残った欠片を流し込んでいた。喉仏の無い首元が晒され、ぐびぐびと上下している。満足そうに小さく息を吐いた後、唇に付いたクリームをぺろりと舐め取った。ニッと口角を上げる。
おっ、可愛い、と思うと同時にあっ、これ面倒くせぇヤツだ、と察する。薄っすらと紅潮している頬は羞恥からくるものではない。自分のミスを誤魔化す為、ゴリ押ししているわけではないのだろう。今にでも武者震いしそうな高揚感。
この鬼が面白そうに、且つ強気に笑う時は大体厄介事だ。こういう表情は狂華の面影を感じる。本人は戦闘力ないのに。
現実逃避気味に回した思考を追い詰める様に、閃架がテーブルに肘を付き、身を乗り出した。まぁ最初っから逃げる気なんてないんだが。さっき俺を巻き込めって散々啖呵切った後だし。その通りにしてくれるなら結構なことである。
「実は呪いの絵、っヤツを見てみたくってさ。付き合ってよ」
あるのだが。
ああほらやっぱり。
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