蛇足、もしくは竜の腕:竜の手を伸ばす

▽▽▽▽

 眠っていた意識が唐突に浮上する。自然の目覚めではない、外的要因による目覚め。

 起床と警戒が紐づけになった身体は、覚醒と同時に扉の前に佇む誰かを知覚した。

 押し殺された息遣いにそっと溜息を吐く。気配に敏い方で良かった。そうでなければ気が付かなかった。

 窓の外は未だ暗い。体感だが深夜と言っていい時間だろう。夜中の2時くらいか?

 草木も眠る丑三つ時。幽霊や化物が出歩く時間。だが訪ねてきたのはれっきとした人間だ。

 音を立てないようにベッドから抜け出す。

 足音を殺し、扉の前に移動する間もドアの向こうは沈黙を貫いている。ノックの音も、立ち去る足音もない。ただ落ち着かない気配をなるべく消して立っている。

 薄くも確かな扉を挟み、彼女の正面に向かい合った。

「どうした」

 静かな問いかけに気配が大きく揺れる。それでも向こうからのアクションはない。――何かあったか。

 鍵は元々掛けていない。逸る気持ちを抑えながら、ゆっくりと扉を押し開いた。


 暗闇の中、ぽつりと佇む閃架は幽鬼の様だった。

 今にも空中に溶けそうな、不安定さ。

 搔き消えそうな存在を繋ぎ止める様、俺は意識してしっかりと声を出す。

「――どうした?大丈夫か」

「……あ」

「うん」

 目を丸くして俺を見ていた閃架が声を掛けた途端、サッと俯いてしまった。眉間に皺を顰めながらその隙に、彼女の足元にさっと視線を走らせた。

 狂華ならなんかわかるかと思ったが――駄目だ。暗くて影が見えないな。そもそも光源が無いので出来てないのか。基本的には表に出てこないのだし、こちらの状況を把握していないかもしれない。

 久しぶりに揚げ物食わせたから油で消化器官でもやられたのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。ただし垂れた髪の間から見える顔色は、闇夜の中でもすこぶる悪い。

 昼間頭から被っていたスライムが人体に害が無いのは“鬼眼”で確認済みだ。疲れ切っていたものの、外傷もない。 記憶を浚ってみたが、瑕疵はやはり思い当たらない。美味い美味いと唐揚げ食って、ぽちぽちスマホ弄りながらソファで俺に半ば凭れかかりながら映画観て。うとうとしていたので日付が変わった頃に自室に突っ込んだ。いつもよりも舌っ足らずな「おやすみ」はご機嫌だったよな。

「えと……」

「うん」

 口ごもる閃架をゆっくりと待つ。怯えるようにこちらを見上げたかと思えば直ぐに視線を伏せられた。一瞬だけ見えた碧色の瞳は迷子の様に揺れている。

「い、」

 震えながら伸ばされた腕が、俺の袖を掴む直前で彷徨った。

「一緒に寝たい」

「いいよ」

 即座に返した肯定に閃架が弾かれた様に顔を上げる。下ろされる前に、空中で所在なく浮いていた手を取った。

 躊躇いからか、蹈鞴を踏む閃架を部屋の中に引き込んだ。彼女の背後で扉が閉まる。その音に怯えたように閃架の肩が跳ねた。

 その反応には言及せず、酷く冷えている指先をやわく揉みながらベッドへと導いた。

「ほれ」

 先んじてベットに入り、壁際まで詰める。ベッドの傍らで途方に暮れた顔で立っている閃架に向かって掛け布団を持ち上げた。うろうろと瞳を泳がせる彼女と繋いでいる手を小さく揺らす。

「閃架」

「う……」

「俺が寒いから」

 名前を呼んで、理由を付けて、漸くその矮躯がベッドに乗り上げた。マットレスを僅かに沈ませながら、俺の隣に滑り込んでくる。その薄い肩に布団を掛けた。

「どうした?怖い夢でも見たか?」

「そういうわけでは……ないんだけど……」

 歯切れの悪い言葉に閃架の瞳を覗き込む。碧い瞳から伺えるのは、怯えと緊張、僅かな安堵。狂華の影響による不自然さはない。

 まぁ理由なんてなんでもいい。なくても良い。

 縮こまる肩を、腕を、背中を撫でさする。

「冷えすぎだろ。次からは勝手に入ってこい。どうせ鍵は開けてある」

「いいの……?」

「おー、折角広めのベッド買ってもらったしな」

「一人用じゃん……」

「狭いか?」

 閃架がまともに動けるようになって直ぐに行ったホームセンター。俺用の食器や家具、私服と一緒に買ってきたセミダブル。

 場所を開けようと壁に背中を押し付ける。閃架がちらりと視線を上げた。

「せま、くない」

 先ほどよりも芯の通った声に「それは良かった」と彼女の肩に手を回し、引き寄せる。布団から出ている背中が収まる様に。

「ほら」

「ぁ、」

 躊躇いながらも、もぞもぞと寄って来た頭の下に枕を滑り込ませる。僅かに位置が高くなった瞳を見上げた。右目にうっすらと浮かぶ鬼眼の刻印。

「そういえばアイマスクは?」

「え、あ、忘れ――」

「あー、待て待て大丈夫だから」

 泣きそうな顔で逃げるように抜け出そうとする閃架を抱き留める。このまま出て行ったらもう二度と帰ってこない気がする。折角緩くなってきたってのに。余計な事言っちまったな。失敗した。

 俺が理由を付けて追い出したがってると思われたのだろうか。その勘違いを打ち消したくて、背中に腕を回した。

「ほら、これでどうだ」

 閃架が寝る際、瞼の向こうさえ拾ってしまう鬼眼対策の分厚いアイマスク。の代わりに掌で目元を覆った。

 拒絶されなかったことか、目元を覆う体温にか。腕の中の体がほう、と小さく息を吐く。徐々に力が抜けていった。

「どうだ。寝れそうか」

「んん~」

「あ?なになに」

 ぐずるように唸りを上げながら閃架がごろりと寝返りを打った。ぐいぐいと引っ張られるままに閃架に近づく。とん、と俺の胸元に閃架の額がぶつかった。お気に召さなかったのかと思ったが、俺のスウェットに顔を埋め、グリグリと懐いている様からはそんなふうには見えない。ちらりと上げられた伺うような視線に柔らかく口角を上げて見せる。指先で梳く様に何度か髪を撫でた。

 体温が上がったせいか、閃架から漂ってきた甘いソープの匂いは俺も使っているものだ。……俺もこんな可愛らしい匂いがするのだろうか。いや、流石にここまでふわふわした匂いじゃないか。

 メジャー且つ安価なものを適当に選んでいるらしいが、もっと合ったものを使えばいいのに。金なら困ってないだろうし。っていうか俺が選んで買い与えたいんだが。許されるかな。

 それでも今はこの安物の匂いが悪くないと思う。

「なんかさぁ……」

「ん」

「上手い事寝らんなかったんだけど」

「うん」

「暗い中ずっとベッドでゴロゴロしてたらさ」

「うん」

 とろとろとした口調で話し出した閃架の髪を一定のスピードで梳く。現在は順調に眠気に引っ張られているようで何よりだ。俺としてはこのまま一晩起きていても全然構わないけれど。どうせ勤め人でも学生でもないんだ。朝方寝て昼に起きても問題ない。

 もごりと口の中で言葉を転がした閃架が額を俺の胸に押し当てる。ぐりぐりと減り込ませる動きが八つ当たりする用で小さく笑いながら、閃架の表情を隠すように掛け布団を引き上げた。

「なんか……――寂しくなっちゃった」

「――フッ」

「笑ったぁ~!」

「アハッ、悪、ごめんって!」

 バサリと勢いよく体を起こした閃架が半泣きで叫ぶ。いや、だって、あまりに素直で、ありきたりで、可愛らしい理由だったもんだから。思わず。

 震わせる俺の肩がバシバシと叩かれる。もういいや、と大っぴらに笑いながらキレてる閃架を掛け布団で巻き込んだ。そのままベッドの上に押し倒す。布団の中でもぞもぞと動く閃架を簀巻きにして、収まらない笑いに合わせてお腹の上をぽんぽんと叩く。暫く芋虫みたいに蠢いていた閃架が力尽きたのかベッドの上にべしょ、っと落ちた。肩で息を吐く閃架の隣に勢いよく寝っ転がる。

「ごめん、って悪かったよ。許してくれ。な」

 未だ震えそうになる腹筋を堪えながら閃架の額と俺の額を摺り寄せる。拗ねた顔をした閃架がぺいっと俺の手を剥がし、マットレスに顔を埋めた。あらら。

「ごーめーんって。そういや、狂華はどうした。寝てんのか?」

「う゛~~」

 露骨に逸らした話題に赤ん坊みたいな唸り声が返ってきた。次いでマットレスに顔を埋めているせいでごもごとした不明瞭な声。

「夢の中で会う、みたいなのはできるんだけど。そうすると寝た気がしないんだもん……」

「う~ん、漫画とかで見る奴……」

「睡眠薬切らしちゃったんだよね……」と呟く閃架に再びう~ん、と唸る。

 寝れないけれど寝たくはあるのか。体は疲れてるだろうしなぁ。

 閃架の髪で適当に手遊びしながらぼんやりと考える。こういう時って体温上げると良いんだっけ。

「ベタだがホットミルクでも作ってみるか?鬼眼使えば睡眠薬――とまではいかなくても導入剤の代わりくらいにはなるかも」

「――いい。歯磨きするのめんどいし」

「じゃ、白湯?」

「んん」

 外気に晒された裸足同士をすり合わせる。

 返事の代わりにばさりと俺の体に掛け布団が降って来た。次いで、細い手足が俺の体に回される。

「取り敢えず、これでいいよ」

「――へぇ」

 同じ掛布団に潜り込んできた閃架が無遠慮に俺の腕を取り、べちりと掌を目元に乗せた。そのままぐいぐいと、俺の肘関節を強引に曲げながら胸元にすり寄ってくる。開き直ったのか顔だけではなく体まで2人の間に殆ど隙間はない。俺の筋肉質な脚に細い足が絡まり、胸元に温い熱源を感じる。モノクロの髪が無造作に2人の体に掛かっている。

 くっつくことの躊躇がなくなってきたな。1カ月間世話を焼かれた感覚が残っているのか。鬼眼がバレて至近距離から覗き込まれることに警戒する必要がなくなったからか。

 俺が今、襟の開いた服を着ているのと同じように。

 というか、閃架は元々身体的接触は好む質なのだろう。親子関係でなんかしらあったっぽいのでそこに原因があるのかもしれない。料理中、味見を催促するときに背中や腰に懐く様になった。隣に座る時、肩や腕が触れ合う距離になった。

 流石に深夜、夜這いする躊躇はまだ残っていたようだが。明日の朝には、当たり前という顔で布団の中に潜り込むよう変わっていれば良いと思う。

「ま、好きにすればいいよ。嫌だったらちゃんと言うしさ。とりあえず、俺は閃架にくっつかれるのは嬉しいよ」

「ん……」

 これがまともかと言われれば、それは違うのだろうけど。

「明日の朝、なんか食べたいもんある?」

「……ホットケーキ」

「はいはい」

「でも朝起きらんないかも……」

「ブランチか。良いな。アイスは確か冷蔵庫にあったよな。乗せようか」

 跳び起きてはしゃいだせいで眠気が吹っ飛んだのかと思ったが、一度寝かけた閃架は今度は早かった。っていうか暴れたせいで疲れたのかな。直ぐに思考がとろとろとしてきた。

 うつらうつらと夢と現が曖昧になっているつむじに鼻先を埋める。

 むずがるように眉間に皺を寄せるのが目元を覆った掌に伝わる。相も変わらず可愛らしくて小さく笑い声を漏らした。


「おやすみ」

「おや、すみ……」

 俺の腕の中で眠りに落ちていく閃架に確かな充足感を感じる。

 次に起きる時は閃架が目覚める気配で、だろう。若しくは俺の方が先に目覚めるか。どちらにせよ。懐の中に、俺の隣に閃架が居る。

 寝息を立てる閃架を追って、ゆっくりと瞼を閉じた。


 ああ、朝が来るのが楽しみだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年11月24日 20:00
2024年12月1日 20:00
2024年12月8日 20:00

アナザーズ・レコード 紙葉衣 @another013

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ