竜が見る夢

▽▽▽▽

 ぶら下がるだけの腕が重い。頭がぐるぐると回る。立ち上がれたのは良いけれど、どうするかな、これから。

 我が欲へアルケミアは手で触れる必要がある。空かされた腕では使えない。尤も幻獣イマジナリーモンスター相手には使えても効かないだろうけど。

 心臓に巻き付いた蛇と同じ、物理干渉無効。対して俺の存在異義レゾンデートルは実体があるもののみ。“夢想幻想ワンダーファンタジー”は実体を無くす能力だ。逆に存在力を上げる鬼眼は滅茶苦茶相性が良いんだが。

 さて、どうする?閃架を逃がすことが出来れば良いんだが。力の入らない腕では抱えることができない。もし我が欲へ《アルケミア》が使える様になって床を創り変えられ動かせても俺が創り変えられるのは認知の範囲内のみだ。遠くまでは離せない。いやはや俺って役立たねぇな。

 歯噛みする俺と対照的に、“幻獣イマジナリーモンスター”は剽軽な1歩で間を詰めた。回避――は間に合わない。“幻獣イマジナリーモンスター”が振り上げたブロードソードに反射で動かない腕を構える。指先が僅かに震えた。

 瞠目し、奥歯を噛み締める。ブロードソードを肩口で受けた。

「い゛ってぇなぁ゛!」

 叫んだ拍子に口から溢れた血液が地面を赤黒く濡らす。

 勢いのままに、俺を斬る為に近づいた“幻獣イマジナリーモンスター”の胸倉を掴む。白いスーツが俺の血で赤黒く汚れた。

 動かない筈の腕を動かした俺に“幻獣イマジナリーモンスター”が甘いマスクを驚愕に変える。ああ、劇場掛かった余裕が剥がれたな。

 防御に対する反射を理性で制した腕はただ邪魔であるが故の重さとは違う。しっかりとした質量を感じる腕を“幻獣イマジナリーモンスター”に付きつけた。

 今まで素在にできなかったそれらを意識して、指定する。

 イメージは――大蛇サーペントが蛇に見立てたのを習って、俺と縁あるものを。

 ――蜷局を巻く竜が空へと昇る様を。


 材料指定――“空気”。

 設計図面――描画完成。

 製作工程――想像代行。

 ――現実創造“我が欲へアルケミア”。


 空の腕は動かない。実態のない空気では創れない。ただ、“鬼眼”によって存在力を上げられれば。

 閃架に意識があるかはわからない。碧い光は今にも消えそうだった。薄っすらとではあるけれど、それでも瞼は開いていた。呼吸は続いている。

 力が迸る先を知覚できない。それでも確かに実感はある。実体のないものは“空かし様”がない。“幻獣イマジナリーモンスター”にだって通じる。

 行ける。多分。やったことないけれど!

 閃架が俺を視てるのならカッコ悪いところは視せられない。

 

「作品名“竜の咆哮バスタード”!!!」


 攫った姫を護るように、勇者を挫く強大なる一撃を。敵を切り裂く邪竜の咆哮ドラゴンブレスを。

 開いた掌を中心に、渦巻いた空気が“幻獣イマジナリーモンスター”へと襲い掛かる。

「え、うぉ、ぁぁぁああ!」

「おぉ……」

 腕に対して警戒していなかった“幻獣イマジナリーモンスター”がまともに竜巻に吞み込まれた。“幻獣イマジナリーモンスター”の踵が浮いたかと思えば、背後に勢いよく吹っ飛ばされた。

 予想以上の出来栄えに口から感嘆の声が漏れる。”男子3日会わざれば刮目して見よ”と言うが、3日どころかたかが1日で随分と成長したものだ。

 

 言っちゃあなんだか、初めてで取り敢えず大きく創った竜巻がガリガリと周囲の壁を削る。派手に上がった土煙と瓦礫の崩れる音。

 ――あの勢いで壁にぶつかったのなら暫くは。

「おい、まだ起きててくれよ!」

 霧掛かった青空の様な茫漠とした視界から外れないようにしつつ、着ていたパーカーで閃架を自分に縛り付ける。

 この部屋を囲んでいた結界は既に無い。今の内にとっとと逃げる。踏み出した足が頽れた。

 ――あ?

 俺の体に限界が来たか?こんなところで?

 体重を支えきれず、ゆっくりと体が倒れる。振り返った足には聖具のようなダガーの柄が生えていた。

 四肢の3つがまともに稼働しない。閃架を潰すわけにはいかないと、残る1本で身体をひっくり返す。2人分の体重で背中を強かに打ち付けた。衝撃に呼吸が引き吊る。咳き込み、生理的な涙でぼやけた視界に影が掛かった。

「凄いな。久々にこんなに食らったよ」

「――俺もこんなにボロボロのあんたは久々に見たな」

 砂埃を被って白いスーツが薄汚れている。いつもピシッとカッコつけているのに。よれた姿は一見の価値がある。

 炎系の“異在者イグジスト”が覚醒時に暴走して周りを火の海にした時以来だ。あの時は俺も大蛇サーペントも呼び出されて大変だった。

「復帰速くないか?」

 残った1本で地面を蹴り、閃架を庇う為に体をひっくり返しながら“幻獣イマジナリーモンスター”をジト目で見上げる。

 チッチッチ、と気取った仕草で指を振った幻獣イマジナリーモンスターがダガーを掲げた。

「ぶつかる前に壁を“空かして”衝突のダメ―ジを無くしたのさ」

 自慢するに相応しい内容を自慢しながら、俺の残った足にダガーを突き刺した。クソッ、さっき不意打ちされたせいで徹底的に封じてくる。

 閃架の視線内に入っているのに感覚が戻らない。未だ息はあるが意識は完全に落ちてんな。 

「オイオイ、庇ったところで意味ねぇだろ」と脳裏で大蛇サーペントが嘲笑う。たとえ一撃俺が庇ったところで、俺が死んだ後に閃架が殺されるだけだろう、と。

 うるせぇな。わかってんだよそんなことは。これは俺の自己満足だ。俺のエゴだ。今だけは俺の足を引っ張るな。

 策は無い。助けも無い。それでも諦めるには欲したものが大きすぎる。

「ふむ。そこの女の子を殺せば竜騎士ドラグーンは連れ戻せるかと思っていたのだが……その様子では無理そうだ。それにそんな劇的な出会いを引き離すのは可哀そうだな」

「理解してくれたようで嬉しいね。これで閃架を助けてくれたならもっと嬉しいんだが」

竜騎士ドラグーン、君も殺してあげよう」

 まぁ、そう来るよな。乾いた唇を舐める。血の味を飲み下した。

「おい、この子”鬼眼”だぞ。ここで殺すには惜しいだろ」

 閃架からしたら命に代えても隠したい話かもしれない。それでも、生きていて欲しい。これは俺のエゴだ。例え分の悪い賭けだとしても、切れるカードはこれしかない。

「ああ、成程。さっき腕が動いたのはそのせいか。ならボクとしては死んだ方が良い……いや、」

 叫び出したいっような、もう何も聞きたくないような衝動を堪える。幻獣イマジナリーモンスターが口元に指を当てた。思考を巡らすように指で唇を擦る。

「確か鬼眼は唯一他人に移植できる存在異義レゾンデートルだったんだか……よし」

 ぽん、と幻獣イマジナリーモンスターが掌で横向きの拳を叩いた。その独り言に唇を噛み締める。やっぱり、ここで死んどいた方が閃架的には良かったか。

 陳腐な表現ではあるが、絶望に視界が暗む。それでも生きてれば何かチャンスがあるかも、希望があるかもという思考を止められない。そもそも四肢が動かないので何もできない。俺の首を斬り落とそうと振り上げられるブロードソードの下、無意味だとわかりつつ、閃架を庇う為に身を固めて――体が硬い地面に落ちた。


「オイオイ、困るなァ」

 は。

 影が立体的に伸び上がるような動きで小柄なナニカが前に出る。その影が振り下ろされたブロードソードを片手で受け止めた。“幻獣イマジナリーモンスター”の驚く顔。聞こえて来た第三者の声に目を見開く。――第三者?じゃ、ねぇな?

 

 ――閃架?


 抑揚、話し方が似ても似つかず別人かと思ったが、声は確かに閃架の物だ。

 “幻獣イマジナリーモンスター”と俺の間に立ち塞がる痩身も、羽織っている水色のオーバーサイズのパーカーだって閃架が着ていたものだ。

 いやっ、でもっ。


 聞き慣れてきた声の聞いたことのない話し方に背筋が粟立つ。口から突き出そうになった叫喚を抑えつけた。

 減らず口を叩きながらも、存外素直に感情を見せる――いや、多分隠したくても隠せないだけなんだろうけど――閃架とは違う。皮肉気に弾んだ、何処か歪んだ抑揚の付け方。

 髪の色はモノクロではなく、くすんだ白。雰囲気も飄々とした怖い物知らずの愉快犯とは違う、全てに対し害のある、異様な――化け物のような。


 ブロードソードを素手で受け止める閃架の――閃架の姿形をしたナニカの細腕に青筋が浮く。贅肉が無いせいで見て取れる筋肉が僅かに強張った。とはいえ、その力は微々たるもの。その筈なのに。

 精工な刀身に指が食い込み、波紋状に罅を広げた。彫られた茨が砕けていく。

 掌に深々と刃が食い込み、鮮やかな紅が彼女の腕をしとどに濡らす。肘を伝い、垂れた血が足元に水たまりを作った。

 ヒャハッ、と引きつった耳障りな嗤い声。今までに聞いたことはない。


「ソレは、閃架の、オレの器の、お気に入りなンだ」


「物好きなンだよ。アイツ」

 血を流し過ぎたせいか、薄膜の張ったような聴覚では何を言っているか聞き取れない。

 ただ、その圧倒的な存在感だけが肌を伝わる。

 何か良くないものを起こした、胸騒ぎ。


 呆気ない音を立てて、荘厳だった刀身が砕け散る。

 大ぶりの武器を握り潰したとは感じさせずに掌に刺さった破片を叩き落と――いやこれ逆に破片を埋め込んでないか?掌の傷が酷くなっていく。

 幻獣イマジナリーモンスターが大きく飛び退く。向けられた半分ほどになったブロードソードの刀身を気にすることなく、ナニカがひょいっと俺を振り返った。

 乱暴に剝ぎ取られた眼帯が地面に落ちる。初めて素顔が晒された。

 眼帯の下は傷1つなく、右側と同じ綺麗な肌で。ただ眼の色だけが違う昏い紅。

 狂烈で、狂悪で、狂喜な笑み。

 彼女の体を汚す血と同色の左眼と眼が合い――脳裏に流れ込んできた真っ紅な濁流に意識が押し流される。俺はあっさりとブラックアウトした。


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