竜蛇の喰い合い①

▽▽▽▽

「これからだ」

 散々っぱら煽ったことで、混乱よりも怒りが勝ったらしい、大蛇サーペントの顔がぐしゃりと歪んだ。と、思ったらスッと表情から全ての感情が抜け落ちる。

 不自然な程緩慢な動作で握られた拳が振りかぶられた。

 ――今更なんだ?

 隠す気もない予備動作は何度も見ている。技名だって覚えている。

 思った通り、開かれた掌からぱ、っと視界に白や銀が散った。

「“引きずり込む巣穴ナルシス・スネーク・デンズ”」

 足首2周くらいの長さに切られた紐や針金。無造作に投げられたそれは手数も範囲も多く、1つ当たれば次から次へと巻きつかれる。無闇矢鱈と身体中に巻きつかずとも、間接さえ固めて動きを止めれば、後は脳天目がけてハンマーを振り下ろしちまえばいい。

 避け難く面倒、なのは認める。とはいえ俺の“存在異義レゾンデートル”相手にやることか?

 素早くしゃがみ込み、コンクリートに掌を当てた。ピッ、と人差し指を立たせるのに合わせ、床を聳え立たせ壁を創る。壁にぶつかった布や針金が呆気なく地面に落ちた。

 この技は広範囲防御が出来る奴には通用しない。大蛇サーペントもそのくらい分かってんだろうに。

 ――誘導――ブラフ。

 訝しむ思考に掠れた音が割って入る。あばら家が思い浮かぶと同時に頭の何処かがフラッシュした。リフレインするのはケチャップの甘酸っぱい匂いと、ジトリとした碧い目、2人の間に流れる気まずい空気。

 咄嗟に身体を大きく捻る。さっきまで居た場所を黒い尾が薙いでいく。

 思わず鳴らした口笛が朗らかに狭い部屋に響いた。

「あっ、ぶね!そういやてめぇも口笛下手だったな!」

「誰と比べてんのか知らねぇが、オレのは態とだ」

「あ?そうなの!?」

 ピュイ、と大蛇サーペントから軽快な音が響く。マジじゃん。ずっと下手なのかと思ってた。つか、なんだこのデカブツ。今までこんなもんなかっただろ。

 俺の“我が欲へアルケミア”は既にあるものを素在――存在異義レゾンデートルの材料――にしなければならない。無から有を作り出すことは不可能だ。それは大蛇サーペントも同じ。蛇っぽい、細長いものが必要になる。

 伸びてきた黒い蛇に跳び退る。鼻を掠めた強い錆の臭い。俺の大刀と同じ鉄臭さ。

「鉄骨かこれ!」

「当りだ竜騎士ドラグーン

 壁を隆起させる際に床のコンクリートを使ってしまった。場にあるものを利用するのは何も俺に限ったことじゃない。剥き出しになった鉄骨が“拘束愚バインド・オブ・エデン”で蛇になった。

 ぐんっ、と流れた尾を躱す。大きい質量が身近でうねり、風圧が頬を叩いた。

「はー、これっだから見立使う奴はよぉ」

「いいだろう?便利で」

「そうだなっ!」

 “拘束愚バインド・オブ・エデン”はあくまで物を巻き付かせるだけの存在異義レゾンデートルだ。本来自律運動も追尾機能も存在しない。ただ“存在異義レゾンデートル”は“異在者イグジスト”の認識やイメージによって効果が大きく変わる。

 大蛇サーペントは対象を蛇に見立てることで、口笛で操っている。掠れた口笛でも操れるあたり、聞かせる必要すら無いんだろう。

 モデルはインドの蛇使いか?あれって音に反応している訳じゃなくて足で籠を叩く振動や笛の動きに反応して蛇がうねっているだけらしいから、あくまで”それっぽい”ことだけで成立させている。

 振動にしろ音にしろ、戦闘中に蛇まで伝わるか、というのは疑問ではあるが、“存在異義レゾンデートル”は認識と想像で融通が利いてしまう。

 俺が愚痴っている間も絶えず耳に擦れる口笛。掠れた音と明朗な音が混ざったそれは音量のピントが合わない分、全てが小さい音よりも聞き取り難い。

 耳を澄ませるよりも速く、次の瞬間朗々とした音が聞こえて合わせていたチューニングがキャンセルされる。小手先だけの技術だが煩わしい。

 “外”ならこんなまどろっこしい手を使うまでもなく片が付くから知らなかった。大抵相手は暴走していてこんな小技が通じる状況じゃなかったし。

 これ以上鉄骨を増やさないようにする為には迂闊に壁も立てられない。

 鉄骨蛇から距離を取る。大蛇サーペントに向けて大刀を構――ずるりと足が引っ張られた。


 口笛で操れるのは鉄骨蛇だけではないらしい。初手でばらまいていた紐や針金がいつの間にか這って近づいて来たらしく、足首に数匹巻き付いている。

 切断、は簡単だがそれよりも鉄骨蛇に巻きつかれる方が速いな。

 背に腹は代えられないか。

 蛇の道を塞ぐように壁を立てる。俺を中心に地面を螺旋状に創り変えて動かし、足下に集る蛇を払った。その隙に大刀で巻きついた針金蛇を斬り払い、直ぐ様眼前に構え直す。

 衝突音。衝撃。重圧。

 痺れる腕に口角を上げながら視線を向ける。爬虫類のように冷たい瞳と視線が合った。

「この隙突いてくると思ったよ」

「だろうなぁ」

 ハンマーを力づくで弾く。弾かれた勢いのまま、一回転して帰って来たヘッドに身を屈めた。そのまま一歩。大蛇サーペントの懐に入り込む。得物がデカいのはお互い様だが殆どが柄であるハンマーと違い、こちらは多くが刀身だ。

「わざわざ近づいてくれてありがとな」

 至近距離なら俺に分がある。

 視線だけで追いかけてくる大蛇サーペントのがら空きのボディに向かって大刀を振り抜い――

「“大槌大蛇ハンマーコブラ”」


 ピュィ。


 構えた大刀が強い力で背後に引っ張られた。

 ギョッとして振り返れば躱したハンマーがぐねぐねと曲がり、大刀に巻きついている。

 ――あー、うん。この技は知ってるわ。

「近づいてくれて、ありがとよ」

「ぐっ」

 刀身を伝ってくるハンマーを手放すよりも速く、無防備な正面を思いっきり殴られ体が吹っ飛んだ。同時にハンマーが奪われる。

 地面の上を転がる視界の中、大蛇サーペントがハンマーを俺の頭に向けて振り下ろすのが見えた。

「あ、ッベェ!」

 地面を勢いよく叩いて身体を跳ね起こす。

 ヒューィ。

 口笛に合わせてハンマーの柄がぐにゃりと曲がる。地面を殴り付ける寸前だったヘッドが浮き上がり、俺の頭を追いかけて来た。

「ダァッ、クッソッ」

 身体を押す向きを変え、起こし掛けた身体で強引に倒れ込む。側頭ギリギリをハンマーが掠め、感じる圧にブワリと全身が総毛立った。

 蛇の柔軟さが有るクセして、威力は思いっきり振り抜いたのと同等。いやはやとんでもねぇな!

 “存在異義レゾンデートル”の使い方がまず上手い。

 認識の幅が広く、対象となる素在が多い。複数に使用しているにも関わらず個々の操作も淀みない。“異在者イグジスト”になって日の浅い、というか戦闘に利用できるようになったのがついさっきの俺とは違う、経験による練度がある。

「いやぁ、オレは嬉しいぜ、竜騎士ドラグーン。お前はなんでも直ぐにできる奴だと思ってた」

「人に言われるほど下手じゃないだろ」

 人面鳥ハルピュイアと同じでまだ慣れてないんだよ。かといって使わずに勝てるか、って言われると厳しいしな。

 さぁて、どうするか。

 顎に垂れる汗をぐっ、と手の甲で拭った。

 振り下ろされたハンマーに半歩下がる。床に罅を入れたハンマーがバウンドする様に再度俺の頭を狙う。同時に背後からシュルシュルと鉄骨蛇が這ってくる。

 ハンマーとの間に隆起した壁が割り込み、砕かれた。その間に鉄骨蛇に回し蹴りをするように足を差し出した。自身に無い脚が羨ましいのか、全身で縋りついてくる。熱烈だな。蛇って嫉妬深いっていうしね。

「――ア?」

「オッ、ラァッ!」

 避けた隙を殴ろうと思っていたのだろう。動揺した大蛇サーペントに向かって、鉄骨蛇に差し出した足を止める事無く振り抜いた。鉄骨蛇をぶら下げたまま。

「がァっ」

 サーペントの脇腹に鉄骨蛇の尾を叩付ける。長くしなやかな尾が大蛇サーペントの胴体に巻き付いた。

 “拘束愚バインド・オブ・エデン”の遠隔操作している“蛇”は相手にある程度の質量があり、巻き付ける細さであれば触れたもの全てに巻き付く。相棒だったので詳しいんだ。

 足を引いて”蛇”ごと引っ張る。こちらに向かって一歩蹌踉めいた大蛇サーペントをぶん殴った。鉄骨はそう長くない。両方が繋がれていれば強制的に近距離戦になる。

 ハンマーのヘッドよりも内側にいるので俺に当てるならばさっきの様に蛇化させてうねらせなければならない。が、あれは威力が落ちない代わりにスピードも変わらない。この至近距離で思いっきり振り下ろしたハンマーの軌道を曲げてみろ。俺が避ければ事故って自分に当てかねない。なんせ今俺と大蛇サーペントは繋がれているのだ。

 片足が繋がれている俺と胴が繋がれている大蛇サーペント。体の端部と中心。抑えられて嫌なのは中心の方だ。俺は足だけで相手のバランスを崩せるが、向こうは体全体を使わないと俺を引っ張れない。

 両の拳を構え、とん、とステップを踏む。

 ファイティングポーズを取った俺に大蛇サーペント憎々し気に舌打ちをした後、口笛を吹いた。大蛇サーペントの胴体に巻き付いた蛇が解ける。拘束愚バインド・オブ・エデンは破壊しなければ解けも外れもしない。異在者イグジスト本人であろうとも、外すならば存在異義レゾンデートル自体を解くしかない。俺の足の拘束も外れた。

 瞬間回れ右して閃架に向かって走り出す。

「はっ?」

「いつまでもあんたに付き合ってらんねーんでなぁ!アバヨ!」

「――テメェッ!!!」

 キレてるキレてる。

 今までバトってた俺が急にシカトしたことで一瞬呆気に取られていたサーペントが猛然と追いかけてくる。俺の方が足速いので単なる徒競走なら追いつけやしないだろうが。

 とはいえハルピュイアからの迎撃があるし。

 踏み出した足が引っ張られる。文字通り。

 振り返れば足首に縄が巻き付いていた。

 そらこうなるわな。そう簡単に俺の意志で閃架の元に行かせてなんてくれないだろう。なので、大蛇サーペントの意志で届けてもらう。

 大蛇サーペントに思いっきり殴り飛ばしてもらう。閃架の方向に向かって。

 脳みそが沸騰した大蛇サーペントは俺を拘束することよりも殺すことを優先させる。――ガラスの割れる音―-。飛ぶ方向はこちらの位置取りで調整すれば良い。今まで散々相棒として合わせてきたんだ。そのくらいはできる。骨の2本や3本、内臓の1、2個イカレるだろうが問題ない。

 振り返り、大蛇サーペントと呼吸を合わせる。――俺の真横を何かがすっ飛んでいった。

 えっ、なんだ。

 ハンマーを振り絞り、大きく胴体を捻った大蛇サーペント。その胸に、とん、と何かがぶつかった。バチリ、と小さく火花が上がる。瞬間、サーペントの体が派手に痙攣した。

「ぎぃっあああああああっ」

「ぅおっ、え?」

 肉が焦げる饐えた臭い。

 空気を伝い、俺の頬を炙る熱。

 この街に来て、よく聞く様になった電気エネルギーが爆ぜる音。 

 それは感電――電撃だった。


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