これがプラス・ボックス
▽▽▽▽
すんと空中に向かって何度か鼻を動かす。蜂蜜、青草、赤錆、やたらと香ばしい匂い。その他嗅いだことのない不思議な臭いが混じっている。露店やら屋台やらが集まっている区画だから多分食べ物の匂いなんだが。どんなものか想像もできない。
「にしても、何処行く気なんだかなぁ」
あ、ヤベ。なんだか胸焼けしてきた。
嗅ぐのを止め、頭の内側にある異物を振り落とすように頭を振る。匂いから意識を逸らすため、視線の先で点となっている人影に目を凝らした。
彼女の尾行が目的なんだが、あまりにも注意を向けていると罪悪感がのしかかってくる。どれだけ目を逸らしていたとしても俺の罪は変わらないんだが。
きょろきょろと視線を上方に向けながら歩く彼女は完璧にお上りさんだが、進む足取りは迷いない。慣れている様子でずんずんと歩いていく。
ちぐはぐな様は傍目で見ているだけでヒヤヒヤする。ああほら、今も人にぶつかりそうだ。
う~ん、やっぱり遠い。こんなに距離が開いていたら何かトラブルがあってもすぐに助けに行けないんだよなぁ。過干渉を正面から咎められた上、無断で尾けているなんてバレたら確実に揉めるだろうし、どっちにしろおいそれとは助けられないのだが。まぁ今俺が懐に入れている携帯端末に発信機が付いていたら遅かれ早かれバレるだろうけど。
「我ながら、馬鹿なことしてんなぁ」
いつからこんなになってしまったんだか。
へらりと独りで苦笑する。内心では大きく吐いた溜息は、ゴォという轟音に搔き消された。
車輪の下だけ線路を敷いては畳んでを繰り返し、空中を縦横無尽に走り廻る列車が真横を通る。耳元で唸り声の様な金属の擦れる音が聞こえ、上着の裾がバタバタと大きくはためいた。随分と危険走行だがこの街では普通なのか?
俺を追い越していった電車がうねる竜の様に閃架の真横を通る。俺の時よりも近くを通った列車が彼女のミディアムヘアを巻き上げた。アバンギャルドなモノクロの髪色々と突飛なこの街にはよく馴染んでいる。
――多分、本当に俺なんか居なくても大丈夫なんだろうな。
急に湧いた取り残された感覚に小走りに歩を速めた。閃架の背中を見続けるのが気まずくて、集中力を外へと散らす。
どこからか聞こえる金切りの鳴き声。耳を掠める異音の数々。突如吹っ飛んだ道の脇の八百屋。
果汁をまき散らしながら降ってくる白いトマトっぽい果物。青色のレタスっぽい葉。なんかもう野菜じゃなさそうな物体達を避けながら歩く。いくつかを割らないように腕ではたき落とした。半歩引いた足下に落ちた、ぼこぼこと大小の四角に盛り上がる西瓜模様の何かが割れる。思っていたよりも多かった黒い果汁がスニーカーの端を汚した。うわっ……。
節足を素速く動かす青紫色の果物が逃げた先で巨大な白いナス的な何かに食われるのを何とはなしに眺めながら、スニーカーをアスファルトの地面に擦り付ける。……こういうの見ると、植物と動物の2種混成異在食物に手を出す気がなくなるな。興味がないわけではないんだが。
地面に出来たシミを避けながら、骨と内臓が薄く発光する小型トラックサイズの透明な魚が空中を泳ぐ。見上げた先、自身より5倍の大きさの荷物を運ぶドローンが空を横断していた。
――観光特集だのニュースだのでしょっちゅう見るので画面越しとはいえ、この街の混沌とした風景は見慣れていると思っていた。実際見ると全然迫力が違う。
――16年前まではこんなにぐちゃぐちゃじゃ無かったんだけどなぁ。
世界中の混沌を集めたブラックボックス。全ての面白いものを集めたおもちゃ箱。お化けよりも怖い、人間の欲が隅から隅まで詰め込まれたパンドラの匣。
物理的なモンにせよ社会的なモンにせよ力に対する渇望ってのはどんな時代でも人間が持つ、原始的な欲求だ。
溢れる異常と技術は想像を絶する富と力を齎す。各国諜報機関から凶悪犯罪組織まで、表裏余すことなく、在りとあらゆる組織が蔓延る新奇と混沌の実験場。
――あと単純に力を振るいたい奴ってのも多いんだろうが。
思い出した顔を頭を振って飛ばす。アイツも相当に欲深く、自らこの街での仕事に立候補するような奴だった。
……一人になると碌なこと思い出さないな。思い出せる記憶の引き出しが元々少ないというのもあるのだろうが。
ふらふらと揺らす視線の先、瞬いた光に視線を動かす。
うわ、スゴ。オーパーツってこんな普通に街中に売ってるんだ。流石指定異在特区。え、マジで本物か?
いつの間にか閃架との距離も詰まっているし、時間を潰したい。机の上に並んだシルバーアクセや小物がどんなオーパーツなのか気になって歩を向けた。
「よぉ、兄ちゃんみてってよ」
「おう。見て行くわ。な。この
「全部が
「ふーん……」
派手なアロハシャツに小さな円型のサングラス。びっくりするほど胡散臭いおっさんが示した銀製の小物を手に取った。
四角い輪とキューブが重なったオブジェには刻印は見当たらない。内側に刻まれているのか、
「これどんなうヤツなんです?」
「浮遊系だったかなぁ。俺も卸されたやつ売ってるだけであんまり詳しくねぇんだよな」
「え――……。――これは?」
異例ばかりのこの街とはいえこんな路傍に売っているものだ。
それよりも銀のゴツい腕輪のデザインに興味を引かれて手を取った。
「そいつは
「ふーん……」
右腕に嵌めた腕輪を空に向かって掲げ、太陽光に光らせる。
精巧な模様でナメクジが描かれていた。俺の方がもっと良いものが彫れるけど。
っと、そろそろ閃架を追いかけなくては。机の上に戻そうと腕輪に手を掛けた。
そんな感じで、有り体に言えば油断していた。
背後にばさりと落ちた布の音に振り返る。視認するよりも速く、足元から締め上げられ、引きずり倒された。
下半身から胸元にかけて巻きつくパーカーに慌てて力を込める。
身体を起こすよりも速く、首に袖が巻き付き、地面へと引き倒される。呼吸が制限され、噛みしめていた口が薄く開く。呻き声とも付かない荒い呼吸が漏れた。
――あぁ、ヤバいなこれ。
酸欠で白く眩み始めた視界に見覚えのある人影が映る。握っていた手が解かれ、滑り落ちた細いリボンがゆらゆらと揺れながら俺の胸に落ち、心臓を締め付けた。
「グ、ぁ――ッ」
体が大きく痙攣する。口の端から垂れた涎が地面に落ちるのを視線で追った。
力の入らない身体に対し、締め付けが強くなる。ギチギチと臓器が軋む音が体内で反響する。
――お使いも禄に出来ないのは俺の方かよクソッタレ。
露店のおっさんは少しだけ残念そうな顔をしたものの、あっさりと視線を逸らして素知らぬ顔をしていた。慣れすぎだろ。この程度は日常茶飯事、ってか。マジで治安悪いんだなこの街は!
ここまで”巻き”付かれると自力で逃れることは不可能だ。最低限でも果たさなければと思いっきり手首を捻り、指先を伸ばす。後ろ手に拘束されていたの幸いだった。指が尻ポケットに突っ込んである連絡端末に触れる。迷惑を掛けないように、閃架との繋がりを消さなくては。指先で挟む様に引き寄せたそれを、力の限り握り締めた。薄れる意識の中、手の中のものが砕ける感触と破片が刺さる細かい痛みに安堵し力が抜ける。
夕飯を買って帰るは無理そうだ。
「悪いな」
誰にも聞き取れない譫言が零れ落ちるのを最後にプツンと意識が途切れた。
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