箱の中身はなんだろな
▽▽▽▽
空になった皿に息を吐き、畳んだティッシュで口元を拭う。ごちそうさまでした。
「――んでこれ俺も見て良いやつ?」
「ふぉひふぉん」
飲み込んでから喋りなよ。
俺が食べ終わっても閃架の皿には半分弱残っている。手持ち無沙汰でトランクケースに手を伸ばした。食べ終わった皿を押しのけ、代わりに引き寄せる。雑に突っ込んである書類の中から1掴み、ごっそりと取り出した書類に視線を落とした。チラリと見ただけでわかるヤバイ単語の羅列に顔が引き引き攣る。
「うわ、人間に値段付いたリストある……えぐ……」
「ふぉーふぇー」
もぐもぐと口を動かしながらの生返事。視線をこちらに向けることもなく、注意は完全にミートソースパスタに向いている。その表情に陰りはない。
……慣れてんなぁ。
「慣れてんじゃないの?」
「……あ?ハ、俺がか?」
頭に浮かべていたのと同じ言葉が聞こえてきて、反応が遅れる。無意識のうちに口から漏れていたのかと思った。
閃架の声だと気が付いて顔を上げる。アウイナイトに俺の呆けた顔が映っていた。
「……なんで?」
「いや、何となくだけど……」
口ぶりは適当ながらもじっと視線を向けてくる。その視界を遮るために大きくマグカップを傾けた。……これやっぱり俺の元の職場把握されてんのかな。“閃鬼”だもんな。別に隠すつもりも、隠せるとも思ってなかったから構わないが。
晒した喉仏をごくごくと鳴らす。“むぎちゃ”。初めて飲んだがただの水よりも嫌いじゃないかも。やっぱ味が付いてるって大事だな。
ごくりと最後まで飲み干しぷはぁ、と息を吐きだした。閃架に向かってにっこりと笑って見せる。露骨にシラを切った俺に向けられた半眼がパスタに向き直った。
「いやそんな嘘つけ、みたいな顔されましても。マジで慣れてないっすよ。“外”はここまで治安悪くないし」
そもそも業務内容も微妙にズレてるし。とは口の中だけで転がした。
書類と一緒に入れられた数本の小瓶に向かって指を伸ばし、視線で閃架を伺う。小さく頷いたので摘まみ出し、照明に透かす。
濃い緑の硝子瓶の中、ちらちらと瞬く玉虫色に短く口笛を吹く。次いで聞こえた芯のなく掠れた、隙間だらけの廃屋を風が通り抜けるような間の抜けた音に何かと思って顔を上げた。
崩れるように頭を抱える閃架がいた。
一拍置いて、再度口笛を吹けば伸び伸びと高音が響く。閃架が勢いよく顔を上げた。不満そうに睨んで来るが耳まで真っ赤になっていては全然怖くない。すり合わせた指を前に出す。
「……閃架さん指鳴らせます?」
「……」
無言のまま閃架が指を出す。
空気が張り詰める。眼鏡の奥の碧が輝きを増す。そのあまりの鋭さにゴクリと喉が鳴った。
呼吸を詰め、閃架が親指と中指を擦る。すしゃ、と肌と肌が擦れる音がした。
「……」
「……」
無言のまま自分の親指と中指を凝視する閃架に向かって差し出した指を擦る。パチン、と小気味良い音が部屋に響いた。
「……」
「……」
ゆっくりと手を下ろし、アンプルを掲げる。
「なんなんです?これ」
細かく震えながら俯いていた閃架が突如ぐわりと大きく動き出した。勢いよくフォークに巻かれた、玉みたいなミートソースパスタに大口を開ける。
あーあ……やけ食いしちゃった。
いや、まぁこれは意地悪した俺が悪いんだが。
「ふぁふいふぁふっふぇいうふぁ、ふぁふいふぁふぁ」
「なんて?」
口に入りきらなかったパスタを垂らせ、唇を真っ赤に汚しながらガッツく閃架に「服汚すぞ」と声を掛けた。
「ごめんって。拗ねんなよ」
返事の代わりに閃架が足を振り上げた。届かなかった爪先の代わりに飛んできたスリッパが脛にぶつかる。
カピバラみたいな顔で眉間に皺を寄せ、頬張る閃架のグラスに麦茶を注ぎ足す。口の中身を流し込むのを頬杖を突きながらゆっくりと待った。
「ン、……麻酔薬、っていうか麻薬かな。静脈注射で体内に入れると不安が無くなって元気でハッピーでホッピーになれる。らしい。……やってみる?」
「やってみねぇ。ハッピーはともかくホッピーってなんすか」
「お酒」
「……語感だけで適当なこと言ってんな。確かに酔えはしそうだけど」
「あと強くもなれるらしいよ」
「おん?」
伸びてきた小さい手が俺が持っていたアンプルを摘まみ取る。俺に対して横を向きながら頬杖を突き、眼鏡をずらし隙間から覗き込んだ。髪や手に隠れて瞳は僅かにしか見えない。角度も悪い。それでもアウイナイトに玉虫色の光がビンの色に反射し、黄鉄鉱を含むのが見えた。深い碧色のラピスラズリのように変わる。脳内の何処かがチカチカと瞬いている感覚がする。
「”プリズム・ティア”。中枢神経の興奮以外にも痛覚遮断、身体能力――特に筋力の増加・活性化。まぁ要するに即席の人体改造薬。期間限定の狂戦士製造薬だ。尤もコレは奴隷用の稀釈版だけどね。聞き覚えは?……アオ?」
「あ?あ――……。……あるな。名前だけだが」
ぼぅと閃架の瞳に見惚れていた意識が呼び戻される。首を傾げる閃架に気にするなと手を振った。何の話をしていたか。夢現だったけれど何か物騒な単語が聞こえてたな。
「そ?んでその横にあるやつは“ポーション”」
「は!?」
「――のパチモン」
「んっ、だよ!ビビらせないでくださいよ!」
「んふふ」
上体を勢いよく仰け反らせる、大きく揺れた椅子が立てた音と閃架の笑い声が重なった。悪戯を成功させた子どもが身体を細かく体を揺らしている。
「いや、そんな驚く?」
「慣れてないんですよ! “ポーション”って箱外なら小瓶サイズで9桁いくことだってありますよ。有名ですけど実物の話は眉唾もんしか聞かないんでほぼ都市伝説みたいな扱いなんです」
「へー、この街だともっと安価に買えるよ。一口に“ポーション”と言ってもピンキリだけどね。流石にその辺で売ってたりはしないけど、この街で流通しているやつの方が外よりも効果も良い。いやぁこういうの聞くと“外”との違いを感じるぜ」
「……アレ以上のがそんなポンポンあんのかよ。あるんだろうなぁ」
以前経験した混乱と喧噪を思い出せば頭の奥がズキズキと痛む。いやぁ、あの時は大変だった。
口元を抑えながらの力無い呟きに閃架が身を乗り出した。
「お、何々。何か酷い目にあったことでもあんの?」
「あんたねぇ」
やたら楽しそうにする閃架は随分と趣味が悪い。さっき口笛とフィンガースナップが出来なかったことの腹いせか。閃架に「そんな大したことでもねぇよ」と肩を竦める。実際強がりじゃなくて事実だ。ちょっと死にかけただけ。
閃架が小瓶を小さく揺らす。黄色い液体が小瓶の中でパチパチと爆ぜた。
「本物と比べて性能はまぁ、大分劣るけどそれなりに使えるよ。パチモンシリーズの中では品質良い方」
「“ポーション”ってこの街でも――つまり世界中でも並ぶものが数社、上に立つものは無二ってレベルの“指定異在企業”なんでしたっけ?んで、そのパチモンってのはどんくらいなんです?」
「使用法としては電力の増幅。この液体自体が帯電していて瓶から外に出ると放電する。単独で使えるほどじゃないからさっきの電子異在砲みたいなのと併用しての威力上げたりするのに使うの」
「へぇー。俺が似たようなの使われた時は投擲された小瓶が足下で割れたと思った雷が落ちた様な音と光がしたんですよね」
「メチャクチャ雑な運用されてんな……。じゃあ丁度同系統だ。直接食らっても感電してないならサイズもクラスもそんなに高くないな」
「結構びっくりしたんですけどね……」
その一発ネタで俺も
「貴重な経験でしたけどね」
「この街ならいっぱいできるよ」
にっこりと閃架が微笑んで首を傾げた。皮肉なんですけどね。ときめいちゃうな。
「“ポーション”だの”プリズム・ティア”だの“閃鬼”だの、来て早々有名どころがガンガン出てくるなぁ」
「いーでしょ。毎日愉快でお祭り騒ぎで!」
うーん物騒。
「因みに“都市伝説”には詳しい方?」
瓶の中、極小の稲妻に満足したのか、閃架が持っていた小瓶をトランクケースの中に戻した。衝撃緩衝材に嵌め込む際、ぱちり、と音がした。向けられた碧く反射するブルーカットのレンズ越しの視線にふむ、と口元に指を当てる。
「そもそもこの街に来たのが最近なんですよね。最低限は事前知識として入れてきましたけど――いや、最低限にも足りてないかなぁ」
「ヤバイ街だと聞いてたけれど、想像以上だったわ」とぼやく俺に閃架が「あ~」と首を傾けた。
「まぁこの街割と即死トラップばっかりだしねぇ」
「そんなにかよ。ギミックが雑なデスゲームか」
「歩き方さえ知っていればそんなに悪い街じゃないよ。住めば都、ってね。んじゃあそんなアオでも知ってるってことはそれなりに有名ってこと?」
「まぁ一概にそうとは言えないでしょうけど、一つの指標にはできるかもしれないですね」
と、俺でも知ってる有名な情報屋に返した。
まぁ“閃鬼”の場合は自分で情報操作しているのかもしれないが。名前が通っている方がやりやすいこともあるだろう。
噂は聞けども姿は見えず。影は街中にあるにも関わらず、形は誰にも掴めない。性別年齢人数、存在全てが不明。魔術も神話も何でもありなこの街で蔓延る“都市伝説”の1つ。
――その正体がこんな小さい女の子だったとはなあ。
いやまぁ本物という証拠はないし、実は彼女以外にも沢山居て、その中の末端だったりするのかもしれないが。
もっ、もっ、と頬張っている口元を汚した顔だけ見れば幼ささえあるのだが、片手間に人間に値段が付いたリストを物色しているって考えるとこの暢気さがいっそ不気味だ。
「あふぉなんふぁ知ってるこふぉある?」
「え?あー、と」
もごもごとした言葉に記憶を巡らす。いくつか有るけど。
有名情報屋の“閃鬼”なら真実を知っているかも、と思いながらこの街の与太話を挙げていく。
「黒刀。鬼子の製作所。図書界。裏サイト・電子の
「ほーん?」
「……閃鬼先生、“鬼眼”って知ってます?」
「ん」
適当な返事をしていた閃架がちらりとこちらを向いた。小さく覗いた舌が唇を舐めたる。
「質問に質問で返すけど、アオはどのくらい信じてんの?」
「え、聞いた話は一応全部信じてますけど……。“存在を視る
「視ただけで全ての情報がわかる、とかね。人によって言っていること違うし、所詮眉唾だけどね」
「あれ?調べたことないんですか。需要めっちゃありそうなのに」
この街でも外でも値千金の情報だ。相場に詳しい訳ではないが、悪どい金持ち相手に上手いことふっかけりゃ、ちょっとした一財産くらいは築けるんじゃないか。この街そういう金持ち多いだろうし。
金目当てで仕事やってるとは思わないけれど、情報屋の名を冠している以上、真偽の調査依頼くらいは来そうなものだが。
「仕事は選ぶ方なんで……」
「羨ましいこと言いますね……」
「“鬼眼”についてかぁ。あんまり興味無いんだよね……」
「ふ~ん?」
意外だな。なんとなく、閃架は“都市伝説”に興味がありそうな気がしていたんだが。治安が悪くて倫理観がないヤベぇ
「ふぁあふぇふぉ」
「ん?はい」
残り僅かなパスタがフォークに巻かれていくのをぼんやりと眺める。最後の大きい一口が小さい口へと消えていく。
咀嚼している間暇なのか、どこか遠くを見ている瞳。さっきまで眼の話をしていたからか、憶えた違和感にアウイナイトを見つめる。俺の視線に気が付いたのか、ちらりとこちらを向いた。
ぱちりと合った視線。ごくりと喉を鳴らした閃架がごくごくと勢いよくグラスを煽る。勢いよくテーブルに置くと同時にぷはー、と息を吐く。
ティッシュで念入りに拭いた口元が微笑んだ。
おっさんがビールを飲んだ時の様な俗っぽさから一転、どこか人外染みた笑みを浮かべた閃架が「まぁでも」と首を傾げる。合わせて垂れた髪が眼帯の上から左目を覆う。右目が眇められ、弧を描く。皿に置かれたフォークとスプーンがカランと耳障りな音を立てた。
「全部正しいのかもしれないね。“視る”っていうことは“認識する”ということで、“認識できる”ということは“存在する”ということだから。もし本当に全てを“視る”ことができるのなら、全て
成程?
確かにそれなら
情報料代わりに目の前のテーブルの上にチョコレートアイスのカップと小さいスプーンを置いた。元々俺のじゃないけれど。
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