同じ鍋のパスタを食う
▽▽▽▽
「ミートソース!」
「食べます?」
「食べる!」
煮立ったトマトの臭いに釣られたのか、勢いよく扉が開く。閃架がぷつぷつと音を立てるフライパンを俺の背中越しに覗き込んだ。片手鍋の中で泳ぐ麺を軽くかき混ぜてから、閃架を振り返った。
滴が垂れる髪。上気した頬。スポーツブランドのジャージ。眼帯on眼鏡という妙な姿は変わらないが、その素材は先ほどと違う柔らかなものに変わっている。室内用の眼帯とか存在するのか。
「ほら、ちょっとそっちのいてください」
閃架を鍋から距離を取らせた。モノクロの髪を首に掛かっていたバスタオルで拭う。
「ドライヤーは」
「アオもしてないじゃん」
「俺は髪短いからいいんですよ。してきな。鍋小さいのしかなかったから1食分の水量で2食分茹でてるんで。ちゃんと茹でた方が良いならドライヤーしてる間に閃架の分を茹でます」
「あたしが食べるかわからないのになんでそんな茹でてんの、あ」
「2人前くらい俺が食えますし。――はい。食ってる間もう一回俯け」
「んー」
大きく開かれた口にフォークで引っかけたパスタとソースを口に入れる。下手くそに啜った閃架の頭を強制的に俯かせた。ガシガシと頭を掻き混ぜれば下から抗議の唸り声が上がるが無視。
「お味は?」
「ん!」
「よし」
上げられた親指と乾いてきた髪に頷いて閃架の首にバスタオルを掛ける。とりあえずこんなもんだろう。
「フォーク2人分ある?」
「フォークはあるけど深めの皿が1枚しかない。平皿の大きいのはあるけど」
「それは全然。なんなら皿自体2枚あるとも思ってなかったですし」
足下の収納スペースでごそごそしている閃架を避けながら「笊」と手を伸ばす。渡されたそれに向かって鍋を傾けた。
「っていうかドライヤーは?」
「食べたらする食べたらする」
「絶対だぞあんた……1人分くらい食べれます?」
使ったのか使って無いのか分からない、流し台に放り出してあったマグカップとグラスを軽く洗って水気を払う。
飲み物、はポットで水出しされているこの茶色いやつで良いのか?
「なぁ飲み物ってさぁ」
振り返ったら居なくなっていた閃架に首を傾げながらポットの蓋を開けて匂いを嗅ぐ。香ばしい臭い?中華料理屋で嗅いだ茶の匂いが一番近いか?
ぱたぱたと戻ってくる足音に顔を上げる。トランクケースを抱え込んだ閃架が小さく息を弾ませていた。
「後で見て欲しいんだけど食卓に持ってこない方が良かった?アオマナーとか気にする?」
「いや別に。なぁ何これ」
「麦茶!」
「むぎちゃ」
揺らいだイントネーションで繰り返しながら注いだグラスを閃架に差し出す。
トランクケースで手が塞がり、わたわたしてる閃架に苦笑して顎でテーブルを指した。
「先そっち座ってて良いですよ」
「はーい」
トランクケースを床に置いた閃架の前にパスタを配膳する。嬉しそうに手を合わせた。うーん、日本文化。
「いっただきます」
「はい召し上がれ」
戯れに返事をする。閃架が待ちきれないと言わんばかりに嬉々としてフォークにパスタを巻き付け、頬張った。
「ファフォ、ん、
「実は結構器用なんですよ」
膨らんだ口元を手で隠しながらもごもごと動かす閃架の目尻に朱が刷けた。嫌いじゃない。促されるように俺もパスタを口にする。
あー、トマトの酸味と挽肉の旨味が胃袋に染み渡る。ここ2日ほど固形物食って無かったのもあってメッチャ美味いわ。閃架もお気に召したようだし、何よりだ。
「元気出た……」
「アオ、昨日食欲無い、っつてたもんねぇ」
実は昨日から腹減っていたんだけれど、毒の警戒をしていたからなぁ。物によっては死ぬより酷い目に遭うので、例え慣れていたとしてもあまり経験したくはないものだ。今は警戒すんのも面倒臭くなってもういいか、って感じだが。
ちらりと視線を上げて、閃架を伺う。
「……おいしい?」
「おいしい」
ふぅん。
「そっか」
そうだろうなぁ。
こんなににこにこしてんだから。わざわざ聞かなくてもわかることを聞いてしまった。
「アオは?」
「ん?」
「アオはおいしくないの?舌肥えてたりする?もしかして、自分の料理、嫌い?」
「や、俺もおいしいと思うぜ」
「んふ。でしょ?」
何であんたが自慢気なんだよ。唇に付いたトマトソースをぺろりと舐めた。ちらりと揺れた視線が俺に戻る。
「アオさぁ。自分の事嫌い?」
「いや別に」
「じゃあ――興味ない?」
あぐ、と多めに麺を巻き付けたフォークに向けて大口を開けた。
……料理のことについて聞きたかったんじゃないな。こっちが気になること、というか今まで気になっていたことか。
ゴクリ、と口の中のものを飲み込んだ。
「なんでそう思った?」
「自分の
「そうか?」
適当に相槌を返しながら、それはともかくで別のことを考える。
単純に、客観的な傾向としての話なのか。当事者としての意見なのか。
やっぱり閃架も
「閃架」
気にはなるが。ここで深入りすればそれこそ厄介ごとに頭から突っ込むことになる。同時に深入りさせる気もない。
「俺は現状不満ないよ」
にっこりと微笑んだ。踏み入られないよう、当たり障りのない態度で線を引く。
質問に対する返答ではない俺の返しに「まぁそりゃそうかもだけど」と不満そうに口元を尖らせた。ミートソースで赤くなった。口元では可愛い、おかしい、以外の感想はないが。
「ん――、あのさぁ」
無意味に麦茶のグラスを揺らした閃架がこくりと一口飲む。ぼう、っと見つつ閃架が口を開くのを待った。
「アオ的にこれは言われなくても良いこと、なんだろうけどさ」
「おう?」
「もっと自己中になれば良いよ。そうすれば、
「正直に、ねぇ……」
俺の何を知ってるんだ。とか、何時の間にそんな評価が高くなってんだ、とか色々ツッコミたいところはあるものの、それ以上に。
――その欲自体が無いんだよなぁ……。
「取り敢えず名前を呼ぶことから始めてみたら?」
「んあ?なんの」
「名前。君の、“
「えっ無いけど……」
「えっ!は――、フフ……」
「えっ」
驚愕、感嘆の後突然零された含み笑いが理解できない。どうしたのかと閃架を見つめるものの悪感情は感じない。微笑ましいドヤ顔的なアレは感じるが。
「こういうのって
「いやだって……“タグ付き”になんの面倒だったんだよ」
常時GPS付き。政府に監視・管理されるとか窮屈だろ。
「“
「こんな大したことない力にわざわざ名前を付ける意味とかあります?」
「あるよ」
閃架が好奇心からギラギラと光る瞳の輝きとは対照的に、優し気に「ふふ」と再度唇を震わせた。
「“
向けられた瞳の色は期待だった。
ピッと閃架がフォークでこちらを指す。
「名前を付けて、定義しろ。君の”存在”を、“存在意義”そのものを。自分はどうしたいのか。どういうものか。願いを込めて型に嵌め込め。ま、それで強くなるかは人に因るけどね」
「……期待させてくれんじゃん」
詳し~。情報屋だからってだけじゃなさそ~。
はぁ、と溜息を吐きながら背もたれに体重を掛ける。自分と向き合う、ねぇ。随分と難しいことを言う。
「インドにでも行けってか……」
「アッハッ。よく聞くやつだ!え。行くの?いやでもどうせならマチュピチュ行ってみたいな」
「現状どっちも予定はねぇかな……」
「まー、自分なら洗面所の鏡見れば居るもんねぇ」
「ん゛」
所謂自分探しの旅を馬鹿にしている言い方だが、先ほど実際に鏡を覗き込んで考え込んでいた俺からすると居た堪れない。やめろよ……。俺が思春期の痛い奴みたいになっちゃうじゃん……。
「まー焦ることはないと思うけど。“
「確かにタージマハルよりも空中都市よりもインパクトのあるもんが見れそうだけど……」
人生観どころか世界観まで変わるからなこの街は。
なんだか気疲れしちまったなぁ、とパスタを一口。――俺は俺だし、もしこの世界が変わったように見えてもそれは錯覚でしかないけれど。それでもこの街に来たことで俺に多少の変化はあった。多分これからもあるんだろう。良い事にしろ。悪いことにしろ。否応なく。
巻いたパスタをもう一口。うん。美味い。
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