閃鬼宅内見

▽▽▽▽

「出ました~」

「ん~」

 手っ取り早く汗と汚れを流しただけとはいえ、怪我の手当と濡らした周辺の後片付けも含めれば30分以上は経っている。

 生返事の主は俺が部屋から出た時と全く同じ姿で床にちんまり座り込んで居た。30分もあれば小説だって漫画だってキリの良いところまでいきそうなもんだが。

「………すいません。流し台歪めちゃったんですけど」

「んぇあ~」

 これは許されたカウントして良いのだろうか……。

 生返事、というよりも唸り声だなもう。諦めて、部屋の端に置いてある小型冷蔵庫を開いた。空間を持て余している中身を覗き込む。

 ミルクティーのパック、コンビニのフルーツティー、開封済みの炭酸水。

 同じものが複数あったら貰おうかと思ったんだが。好きに飲んで良いと許可はもらっているが憚られるな。

 冷蔵庫の扉を閉じる。

 ちょっと迷ってから上の段も開けた。アイスキャンディのファミリーパックとバニラ、チョコ、ミントのカップアイス。冷蔵スペースと違い、こちらはほとんど埋まっている。

 アイスキャンディの中で一番残っているブドウ味を咥える。わざとらしい甘さが冷気と共に伝わった。人工的なブドウ風味。

 2つ並んだ閃架のデスクの内、書類が少ない方に浅く腰掛けた。手持ち無沙汰に部屋の中を見回す。

 壁際に並んだデカい本棚にはゴツいファイルがいくつも並んでいる。背表紙の内容を見るに仕事用の資料や新聞などのスクラップ記事をファイリングしているのだろう。かと思えば科学関係の論文に分厚い紋章事典、幻獣事典、果ては黒魔術や仏教と様々な本が並んでいる。あらゆる国の由緒正しき神話から最近の都市伝説とジャンルも幅広い。オカルト関係とか好きなのかな?一番上の段だけ空いているのが低身長の悲哀を感じさせる。

 ちょっとしたオフィスサイズの空間を一人では持て余しているのか、床にローデスクと人をダメにするクッションが置いてある。その上に放り出してある数冊の小説と漫画本。

 さっき俺が中を拝見した冷蔵庫の上にはファミリーパックのチョコとクッキーの袋、スティックの抹茶ラテやミルクティーが置いてある。

 ……なんだか仕事部屋と休憩室を混ぜた様な部屋だ。

 机の上に積んであるハードカバーを手に取る。表紙を見ればギリシャ神話と星座の本だった、手持無沙汰にぱらぱらと捲る。

 へー、乙女座って正式な神話がないんだ。知らなかった。……こう見るとやっぱり星座の神話って誘拐系多くないか?

 適当にページを捲っていた手が蛇遣い座で止まる。黄道12星座の13番目。

 死者蘇生を咎められ、雷で灼かれた、医神ねぇ。大層だな。

「お風呂―!」

「ん。はい」

 沈んでいた思考を唐突に上がった声に断ち切られる。本を閉じ、机の上に置き直した。

「キリ良いとこでも行ったんです?」

「うん。取り敢えずは」

 両腕を掲げていた閃架がこちらを向く。口内の殆ど溶けたアイスを舌で押し潰し、飲み込んだ。

「お、良いもん食ってんじゃん!」

「良いでしょー。あんたのもんですけどね」

「あたしも!」

「風呂入ってからにしろよ。なぁカップのアイス食べて良い?」

「バニラなら良いよ。何お腹減ってんの?」

「んー。閃架は?」

「ちょっと減ってるかな。あたしも後で何か食べ、あ!」

「あ?」

 ガジガジと歯型を付けていたアイスの棒から口を離す。

 いそいそと立ち上がった閃架が冷蔵庫の扉を開いた。

「アオ炭酸水飲める?」

「飲んだことない。良いのか?」

「うん。買ったは良いんだけど炭酸強くて……味もあんまりしないし」

「口はつけてないから」と差し出されたペットボトルを受け取った。シュワシュワと上がる泡を見ながらキャップを捻る。

「んじゃあまぁ遠慮無く」

 蓋を開けたペットボトルを煽る。

 喉に感じる細かい刺激に小さくあー、と声を上げながら、ラベルを見た。素っ気ないデザイン。面白い感覚だな。

 唇に跳ねた水滴をペロリと舐める。

「おいしい?」

「ん~、無味」

「ふふ。なんか苦くない?」

「俺は嫌いじゃないですよ。全然飲める」

「じゃあそれ飲んじゃって」

「オッケーです。口付けちゃいましたしね」

 目元を和らげた閃架を見ながらペットボトルを傾ける。

「それ飲んだらお腹いっぱいになっちゃう?」

「二酸化炭素でお腹膨らむのはちょっと寂しいな」

 はは、と笑う俺の前にバニラアイスが置かれた。次いで冷蔵庫の上にあったクッキーやチョコレートがぱらぱらと降ってくる。

「お腹減ってるなら好きに漁って良いよ。……甘くて一個しかない奴はダメ」

「甘党なんすね」

「んじゃあお風呂入ってくる」

 アイスキャンディの最後の一欠けを煽った炭酸水で流し込む。喉の奥を滑る冷たさと弾ける感触に顔を顰めながら、駆けるように消えていった閃架を見送った。

 バニラアイスの蓋を開けながら重い腰を上げる。

 この家で足を踏み入れたことがある場所は多くない。閃架の居室、浴室に洗面所、この仕事部屋、後はトイレくらいなもんだが……おそらく生活に必要な部屋同士、風呂と同じ1階だろう。動線から考えて……お、あった。

 ――薄々思っていたが、広いなこの家。

 六人は優に座れそうなテーブルが置いてあるカウンターキッチンに眉間に皺を寄せた。とんと扉に軽くもたれかかり、目を閉じて周囲を探る。

 相も変わらず人の気配は1人分しか無い。それでも、他に数人住んでるんじゃないかと疑ってしまう。

 ファミリーサイズの食器棚を開ける。何も入っていないガランとした空間にぎょっとして急いで閉めた。

 シンクの下を開けると一人暮らしに相応しい量の食器や調理器具が入っている。洗面所のタオルや歯ブラシも1人分だった。

 どういった経緯で閃架がここに住むことになったのか知らないが、この家は一人暮らしにしては大分広い。外観から見た感じ6階建。どう考えても持て余す。埃被っている部屋が半分過半数を超えるだろう。

 1人暮らし用には一回り大きい冷蔵庫を開ける。適当に漁って良いとは言っていたが食材が碌に入ってないのは仕事部屋と変わらない。。

 最低限の調味料。萎びた玉ねぎが半玉、消費期限が今日までの合い挽肉が200g。一人暮らしってしたことないからわからないのだが、こんなもんなのだろうか。

 水回りのありすぎる生活感に苦笑しながら缶詰とかが雑に入れられている籠を漁る。お、いいもの見つけた。ぽーんと放り投げたトマト缶をキャッチする。

「ねぇー!なんか流し台えらいこえらいことになってんだけど――!」

「すいません俺で―す!」

 遠くから聞こえてくる声に同じく声を張る。「テメー!」と返って来たが怒気はない。ホッと息を吐いた。

 急な怒鳴り声にビビって落としかけた缶詰を爪先でリフティングして手元に蹴り戻す。スプーンで掬ったアイスを口に入れた。っていうか閃架やっぱり俺の話聞いてなかったんだな。

 ……タマネギって風呂入った後に切る食材じゃねぇよなぁ。

 流し台――修理、弁償。いくらだ?っていうか俺の今の財産ってどうなってんだ?無一文か?

 益のないことをつらつらと考えながら何となく耳は閃架へ、手は作業へ。

 取り敢えず玉ねぎの皮を剥く。

 ふと、閃架の声に手を止めた。


 ――あ……?誰かと喋ってる?

 脱衣所に携帯でも持ちこんだんだろうか。聞こえる声は一人分。耳を澄ますよりも速く、声はしなくなった。

 会話をするには短すぎるな。やっぱ独り言か、気のせいか。

 大きく掬い取ったアイスを口に入れる。舌の上でドロリと重ったるい甘さが溶けた。

 皮を剥いたタマネギを切ろうと、包丁に力を込める。

 サクリと良い音を立てて刃が入った。


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