俺は誰
▽▽▽▽
扉を薄く開けた途端、むわりと湯気が脱衣所に流れ込む。隙間から身を滑り込ませ、後ろ手に扉を閉めた。
髪の毛から滴る水滴がバスマットを濡らす。
適当に選んだ水色のバスタオルを掴んで頭から被る。グシャグシャとかき混ぜるように髪の毛を拭ってから首に掛け、視線を上げた。
「誰だこいつ」
聞こえた声にはっとして、掌で口元を覆う。完全に無意識だった。掌の奥で「えぇ~」と呟きながら流し台の鏡を覗き込む。
「こんな顔、してたっけなぁ」
映る自身の顔を撫でる。シャワーを浴びて火照った指先にはひんやりと冷たい。
じっとりと濡れた短い茶色い短髪を掻き上げる。鼻先を伝った水滴が鬱陶しくて顔を顰めた。緑色の虹彩を持った吊り目が睨み付けてくる。こう見ると中々目つきが悪いなぁ。俺。
にっ、と口角を上げてみる。意識して作った人好きのする好印象な、その中にあえて僅かな胡散臭さを混ぜたいつもの表情。う~ん、問題なく作れていると思うのだが。
怪訝に見える様に作った表情で首を傾げ、鏡に向かって牙を剥く。奥の方でちらりと犬歯が見えた。
次の瞬間すべての表情が抜け落とす。
顎先から落ちた水滴を視線で追う。
近接戦闘担当の傭兵職で鍛えた体格はそれなりだと自負している。治療の為に閃架が巻いてくれていた包帯やらガーゼやらはシャワーを浴びる前に濡れるからと全て取っ払った。青紫の痣が肌を染める。怪我なんぞ見慣れているが中々エグいまだら模様だ。動いた感じ鈍い痛みこそあるものの、大した怪我ではない。足の銃創も血は洗い流したし、手当をしっかりすれば問題ないだろ。
鎖骨の上に刻まれた白い刻印はどことなく漠としており、肌色との境目もわからない。
うん。まぁ概ね健康だろう。いつも通りだ。
――なのに、この違和感はー―。
「――なんだってんだマジで」
顔色も悪くない。寧ろ良い。なんなら、ちょっと良すぎるな?ピンピンしているとはいえ、血を流したことを考えるともうちょっと血色悪くても良いはずなのに。
っていうか、それか?
シャワーを浴びたせいで身体が火照っているのかと思ったが、違うのだろうか。
流し台に両手を付き、体重を掛け、上体を支える、鏡の中をまじまじと覗き込んだ。
なんというかこう――
僅かに上気した頬。
きらきらと輝く瞳。
無意識に上がっている口角。
最近、何度も見た表情。
――楽しそう、だな。
流し台に力を込めていたことに気が付いたのはバランスを崩した上体が大きく傾いだからだった。
慌てて身体を起こす。大きく歪んだ流し台に天を仰いだ。
「やっ、ちまった~」
どうも無意識に
こういうのって普段はヘボなのに、なんでうっかり発動した時は馬鹿みたいな出力が出るんだろうな。暴走状態に近いからかな……。っていうか感情の起伏による無意識での発動なんて初めてしちまった……。散々見て来たけどこんな感じなんだ。
元来器用なタチなもので、初めて使用した時だって意識的に制御で来ていたのに。
あまりに幼稚な凡ミスに衝動的に目の前の蛇口を思いっきり捻る。勢いよく吹き出した水を掬い、叩付けるようにして顔を洗った。飛び散った水が胸元を濡らす。
物理的に頭を冷やし、息を吐く。首に掛けたタオルで顔を拭いながら周囲を見た。
うわ、思ったよりも酷いことになってる。
洗面台が変な形に歪んでしまったせいで、周囲の床まで水が飛んでしまっている。
雑巾……この家にあるか?家事とかズボラそうだし、多分ちゃんとしたのは無いぞ。
頭を掻きながらなんか無いかと周りを探す。使い終わったフェイスタオルが丁度洗濯機に引っかかっているのを見つけた。もうこれでいいか。
っていうか俺の出力じゃ直せないんだよな……。どうしようこれ。弁償かな。閃架に謝んないと……。
洗面台に両手を付き、ハー、っと大きく息を吐く。なんとなく、いや――意識して視線を上げる。……本当に、むかつくツラをしてやがるなぁ。
むかつくけれど、嫌いじゃない。
キラキラ光る緑の瞳に向けて鼻を鳴らしながら勢いつけて体を起こした。
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