蛇の道
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時間が経つにつれ、もうもうと上がっていた砂煙が晴れていく。
見失う寸前、撃った弾丸は案の定外れたらしい。
標的であった人影が消失しているのを確認し、無意識に溜息を吐こうとして息が詰まった。喉に強い異物感を覚えるが、機械化された肺では呼吸が完全制御されている為、咳き込むことは出来ない。
消えない違和感に心の中で溜息を吐きながらコードネーム・
頭の内側でキリキリと歯車が回る音がする。眼球と取り替えられたスコープカメラのズーム倍率が徐々に下がっていく。
”箱外”のものと変わらない質量の狙撃銃が金属とは思えない軽い音で内側から自動的に開いていく。完全に展開され、薄い板になった狙撃銃が数多の小さい三角形に折り畳まれた。薄い三角が連なった三角柱がしなやかに撓みながら腕に収納されていく。
「ほ、ん当に凄いな。この街の技術は」
”箱内”のみで出回っている特殊合金を使ったカラクリ仕掛けだったはず。この街の“外”なら何百万もする技術がその辺の店で格安で売っている。恐ろしくも魅力的な街だ。力を求めるものが玉石混淆の区別なく、こぞってこの街に訪れるわけである。
まるでホールケーキの様だ。どこを切り分けても美味しく食べることはできるものの、場所によってデコレーションや味には明確な差がある。
どう切り分け、誰が一番美味しい部分を食べるのか。
――一応とはいえ今回は“Fictional”に依頼された仕事として来たのだが。団長達はこのままケーキの争奪戦に参加する気があるのだろうか。
ハルピュイアとしては既に一切れ分程味わった後である。この街に連れてきたサーペントは個人的興味があるようだがどの程度まで手を出す気なのだろう。
歯車の様に無意味且つ淡々と回る思考の中、聴覚センサーに新たな金属反応があった。自身の内側から発せられる細かい駆動音とは別の、外側から聞こえる音。
重い足取りでゆっくりと近寄ってくる足音に背筋が自然と伸びる。ギィッ、と強く軋む音が至近距離でした。
「なんだぁ。逃がしちまったのか」
「お、あ、は、はい」
気配が隣にしゃがみ込んだ。視線を合わせないように前方に視線を固定する。
軽い口調ではあるが、纏っている雰囲気は重苦しい。ぽん、と優しく肩に手を置かれ、身体が震えた。
うねりの付いた、青みがかった髪。黄のストーンが付いたピアス。引き締まった細身の身体。“蛇”の名にふさわしい、嫌な目つき。
その踝には歪んだ輪の刻印が刻まれている。
ハルピュイアの横で一点を凝視している気配がする。もう煙は晴れたのに、見えない何かを透かす様に細められた瞳は一体何を見つめているのか。
「……元気だったなぁ。あいつ」
「そ、うですね」
先程は逃がしたことを知らなかった様な口ぶりだったが、何処かで見ていたのだろう。親しい者を懐かしむようでもあり、苦虫を噛み潰すようでもある口調にギシリと固まる。感じる威圧感にますます視線が向けられない。
「そんなに怯えるなよ。俺の機嫌は悪くねぇからさぁ」
聴覚センサーの真横で低く笑う気配がする。
身体が緊張するのに合わせて、半分以上機械の身体から金属同士が擦れる音がした。
「えっ、あ、いやっそんなことは……別に、思ってはいませんよ」
「おいおい軋む音で内心がバレバレだぞ。折角望みの身体になったのになぁ。余計な事しちまったかなぁ」
「いえっ、そ、そんな事は!サーペっ、ント先輩の、おかげで自、分ではどうしようも出来なかった肉体を手に入れる事もできましたので」
「“肉”体ではねぇけどな」
「はは」
「もっと元気が無いと思っていたんだがなぁ」
「は――」
「何で」
続く言葉は“何で生きている”だろうか。
再度戻ったドラグーンの話しに空気が張り詰める。排出された冷却液が外装甲を伝った。
自身が物心付いた時から所属していた組織から追われているにも関わらず、焦燥を微塵も感じさせないあたり相当図太いのはまぁ、元々そういう性格だった。まずFictional自体に執着がないのだろう。そもそも
精神面の健全さはともかくとしても身体の健全さは確かに不可思議である。ドラグーンの心臓には蛇が巻き付いたのではなかったのか。
必死ではなくとも瀕死の大蛇。全身に毒が回る様にじわじわと、相手を動けなくよう絡みつく。――筈なのに。
どうすれば小柄な女の子とは言え、人一人抱えながらライフルもミサイルも避けることができるのだろう。
「何か“
――え?
口から出かけた疑問を押し留める。サーペントの呟いた言葉にハルピュイアの心臓が跳ねた。
見ていたタイミングか、アングルが悪かったのか。
ドラグーンが創り変えたビルの屋上に視線を向ける。変形規模を見るに日常で役立つこともあるが、家電以下。ランクはおそらくブルーカラー。戦闘での使用は難しい。
――サーペント先輩に対し、ドラグーン先輩も
ドラグーンに異常な程敵愾心を抱いているサーペントだ。自身と同じ
「は、はしっ、発信機もっ、いつの間にかロストしていましたしね……」
「お?俺が悪いって?」
「そんなことは!」
「それにしても何なんだろうなぁ。あの女は。……ハルピュイア、知っているか?」
「い。いえ……」
「ドラグーンめ。ロリコンだったのか。通りで俺に冷たいわけだ」
「そ、れはっ、関係、ないのでは……」
嚙み合わない会話にハルピュイアがとうとうサーペントにちらりと視線を向ける。質問の形をとっているが返答を聞いていないのだろう。嫌らしく笑ったサーペントの表情にハルピュイアが急いで視線を前に戻した。
「なっ、んにせよ。情ほ、ぅが足りないかと」
「ア――、そうだなぁ」
少女によって蛇から逃れることができたのか、だとしたら干渉できない存在にどう対処したのか。また、どういった経緯であのトランクケースに手を出すことになったのかもわからない。
「自、分達に――“Fictional”に敵対することになると、わかっていたと思いますか?」
「さぁなぁ。どっちだろうが大して気にしはしねぇだろうが。復讐とか考えるタイプでもない」
「復讐……」
所在なく揺らした視覚ユニットがサーペントの腕を捉える。
手の甲には血管が浮き出、ギリギリと握り締められた拳から僅かに血が滲んでいる。
思わず見上げたサーペントの表情はいつも通り薄っすらとにやついた、涼しげな表情だ。
ごくりと息をのむ。
「何を、したのですか」
「ん?はは。――憶測で話すもんじゃあないぜ」
含み笑いと、ギラギラとした瞳。睨まれているわけでは無いのに蛙の様に身が竦む。
ドラグーンが “裏切り者”のレッテルを張られるようになった経緯はわからない。ハルピュイアが知っているのはサーペントから上がった一方的な報告のみであり、事実を知っているのはおそらく当人――ドラグーンとサーペントのみだろう。
サーペントからの報告ではドラグーンが仕事中にミスをして危機に陥ったこと。その後任務自体を放棄したドラグーンが逃走。現在音信不通の消息不明であること。サーペントはドラグーンのせいで怪我を負いながら単独で任務遂行、という内容だったのだが。
全てを額面通りに受け取ってはいない。サーペントがドラグーンのことを蛇蝎の如く嫌っていることはある程度二人に関りがある者は誰でも知っている。サーペントはチャンスがあれば人を陥れる選択をできる男だ。
――団長達に報告、はしなくてもいいのだろうなぁ。
サ-ペントの報告を鵜呑みにしている者は組織に殆ど居ないだろう。副団長はまず信じて居ないだろうし、そうすると団長も信じない、
その上でサーペントに処罰は無く、ドラグーンに対する応援は無い。
ドラグーンはサーペントよりも器用であり、サーペントよりも気が効き、サーペントと同等に強いのだが、サーペントの方が希少価値が高い。組織として“
巡らせていた思考を遮るように、聴覚神経に警戒音が鳴った。同時に瞼の内側に収納されていたフィルターが下りてきて視覚ユニットに嵌まり込む。
「うわっ」
「お」
突然の視界の変化に声を上げたハルピュイアと殆ど同時にサーペントが横を見た。ハルピュイアのセンサーにはそちらから人を焼き殺すには十分なエネルギー反応があった。
「危ないっ!」
声を上げると同時に腕に収納されていた板が高速でライフルに立体化する。
オートメーション化された無駄のない動きで銃口に指が掛かった。同時に踵を軸に回転させ、身体の向きを変える。照準を合わせるのは自力で動いた方が速い。
ハルピュイアの動きを横目で見ていたサーペントが一歩下がり射線を空けた。生身の時の癖で呼吸を止めようとして、息が詰まる。一瞬だけ銃口がブレた。引き金を引く。
威力とは不釣り合いに軽い反動で飛んでいった弾丸がビカビカとゲーミング色の光球を掠めた。
「あ」
「あーあ」
掠めたところからエネルギーが漏れるように鋭い稲妻が迸る。一回り膨張したかと思った次の瞬間、爆発した。
爆風と閃光にサーペントの体が覆われる。暢気に開いていたその口に砂煙が流れ込んでいった。
眩んだ視覚ユニットからセンサーによる索敵に切り替わる。動く人影に肩に格納された近距離用ミサイルを表出させようとし、中断した。
「おいおい、砂食っちまったじゃねぇか。ちゃあんと撃てよ」
「う、……すみません」
「ああもう。そんなに怯えんなよ。俺がいじめてるみたいじゃねぇか」
煙を払うように大げさに左右に腕を開いたサーペントにハルピュイアが首を竦め、巨大になった体を精一杯身を縮こませる。逃げ場所を探すように泳いでいた視線がサーペントの足元で止まった。
「……倒してしまって良かったんですか?その人達」
「向こうから襲ってきたからなぁ」
服に付いた砂埃を払うサーペントが無造作に爪先を前に出す。ハルピュイアが止めるよりも速く、ロープで口元までぐるぐる巻きにされた男が小突かれた。同じようにミノムシにされた2人の男が身をよじり、くぐもった声を上げている。
「こっ、この人達、今回の依頼人……、護衛対象では……?」
「怪我はさせてねぇよ。護らなきゃなんねぇのも人じゃ無くて荷物だしなぁ。問題ねぇだろ」
「ないですか……」
――あると思うけれど。
そもそもその荷物も持っていかれてしまったのだし。
物品の受け取り場所に一足早く向かったサーペントはトランクケースを持ったドラグーンと少女が部屋の窓から飛び降りる後姿を目撃。狙撃手として一団から離れていたハルピュイアに連絡すると同時に自身も追いかけてきたのである。
後続だった受取人達も待ち合わせ場所の惨状を見て急いで追いかけてきたのだろう。剣幕から察するに、どうもハルピュイア達が持ち逃げしたと思われている。
「……どら、ドラグーンせん、輩達が持って行ったことは報告しなかったんですね」
「してねぇなぁ。これもう言っても信じてくれねぇんじゃねぇの?」
「縛っちゃいましたからね……。――それで……これからどうしましょうか?」
「俺等の仕事は荷物を受け取ってから開始、だからなぁ。現状俺等に責任も義務もねぇ」
「そ、そうです、か、ね……」
「とはいえ、このまま俺等が持ち逃げされたと思われるのも厄介だ」
「そ、うですねぇ……」
「何よりアイツに舐められたままっていうのは気に食わない」
「……」
「そうですか?」という言葉をハルピュイアが飲み込んだ。多分ドラグーンはそもそも自分たちに興味ないだろう、ということも。
開いた掌にパシン、と軽く拳を打ち付けたサーペントが細く長い二股の舌でペロリと唇を舐める。
「折角だ。アフターフォローとして取り返して差し上げるついでに、あいつをぶっ殺してやろうじゃねぇか」
獲物を狙う爬虫類の冷たい笑みにハルピュイアが頷く。今回任務の決定権を持つサーペントが決めたのならハルピュイアに否はない。
とはいえドラグーンの所属も所在も分からない状況ではどうしようもないのは変わらない。右も左もわからない新参者の自分たちでは、数分ごとに状況が書き換わるこの街で居所のヒントを集めるだけでも多大なる手間が掛かるだろう。
「ま、ずは……何を?」
「ん、おぉ」
サーペントがスマートフォンを操作する。サクサクとした動きは迷いなく、この後どうするかを最初から決めていたらしい。
「餅は餅屋、っていうだろう」
この街について知りたければ住んでいる奴に。情報を知りたければ情報屋に。
差し出されたスマホの画面に巨体を縮め、覗き込む。
「この街最高の情報屋がどんなもんか、興味もあるしな」
素っ気ないデザインの“情報屋閃鬼”のホームページだった。
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