また一難どころの騒ぎじゃない

▽▽▽▽

 視界に散ったアスファルト片に真珠の様に丸まった碧色が、直ぐに柳の葉へと変わる。首を伸ばした閃架が俺の背後を覗き込んだ。俺と持ち上げた閃架の上体に挟むようにしていたトランクケースが慌てて抱え直される。

「っくりしたぁ。今の弾丸、さっきのとエネルギー密度口径が違ったよね?」

「その言い方箱外だと通じないっすよ」

 同量のエネルギーでも圧縮度を高めることで弾の質が変わる、のだったか。基本的に圧縮するほど弾丸は小さくなるため、エネルギー銃が主流のこの街で”口径”という言葉は”銃口の直径”以外に”弾の密度”という意味も兼ねる。

 例外はあるし、製造会社にもよるし、全然正式な言い方ではない、この街のみのローカルスラングなのだが。

「さっき来た待ち合わせ相手とも”口径”違ったな。新手か数種持っていたのか――。なんにせよ追って来るのが速いな。ノします?」

「んー……どっちでも良いけど……どっちが楽?」

「俺も割とどっちでも良いんすけどね……」

 相手の手の内がわからないからなぁ。現状はどちらとも判断が付かない。逃げきれりゃ楽なんだがもし撒けなかった場合――撒けたと勘違いして家まで連れ帰っちまった場合、後が面倒だ。

「まぁいいや。んじゃ、取り敢えず走りますね。直接家に向かうのではなく、迂回する感じで様子を見ます」

「ん」

 頷いた閃鬼を抱える腕の力を強くする。温い体温を更に抱き寄せ加速した。

 俺の足跡をなぞるように飛来する弾丸が地面を抉る。ガンガン狙撃してくんじゃん。ちょっとでも速度を緩めたら撃ち抜かれんな。

「おや。上手いじゃん」

 心底感心した声色で、閃鬼が狙撃を褒めているる。余裕そうで羨ましい。俺が荷物を減らす為に閃鬼の事を投げ捨てるとは思ってないのか。それとも投げ捨てられても良いと思っているのか。

 背後を覗き込む閃鬼の右目がきゅっ、と眇められる。

 細くなった眼球の色が光の加減か碧が深さを増した。幻想的な宵空に魅せられる前に無理矢理視線を切って前を向く。

「狙撃手から結構距離あんね。これ接近するとしたらちょっと大変じゃない?」

「どっから撃たれてんのかわかるんです?」

「右。5」

「え、何!?俺視点!?閃鬼視点!?」

 俺の陰から首を伸ばし、背後を観測している閃鬼からいきなり投げられた方向と数字に素っ頓狂な声を上げながら左前方に飛び込む。右側を通っていった弾丸に口笛を吹いた。閃鬼視点で右に5cm動け移動。俺視点だと逆。オッケー覚えた。

「助かります。けどあんま顔出すなよ。危ないんで」

「いや、君が撃たれたらあたしも諸友で死ぬし……」

「それはそう」

 ははっ、と笑い飛ばしながら閃鬼が背後を見やすいように抱え直す。横抱きから向き合って抱えるように膝下に腕を通した。。

 俺の肩に閃鬼が顎を乗せた。トランクケースを握った腕が背中に回る。上半身が胸元にべったりと寄りかかった。

 収まりの良い箇所を探すようにもぞもぞと動いた後、脱力して息を吐く。居付く場所を決めたらしい。こんな時なのに日向ぼっこする猫みたいだ。耳元に掛かる息がくすぐったくて、思わずしそうになった身じろぎを堪える。

「そんじゃまぁ俺は走るのに集中させていただきますかね」

「オッケー後ろは任せろ」

 弾丸にビルの縁に追い立てられながら閃鬼の背中を小さく叩く。どうやら頷いたらしく、肩に顎が減り込んだ。覚悟が決まっているようで何よりだ。まぁ日和ってる暇はないんだが。

 ビルの縁から向こう側に向かって倒れ込んだ。


 天地がひっくり返り真っ逆さまに落ちていく。


 風圧に閉じそうになる瞼を細くにこじ開け、迫ってくる地面を見下ろした。被っていたフードが空気で膨らみ、頭からずり落ちる。

「うっは、お、ちょ、うははははっ」

「余裕だなあんた……」

 ジェットコースターで笑っちゃうタイプじゃん……。

 俺の腕の中で堪え切れずに漏れ出た笑みが徐々に爆笑へと変わっていく。閃鬼のフードが外れないように、頭ごと抱え込んだ。

 10階建てのビルを7階ほど落ちた所で勢いよく足を振り下ろし、空中で身体を半転させる。建物にある窓枠や壁を蹴って徐々にスピードを落としていく。

 ついさっき飛び降りたビルが障害物になって射線が切れた

「左、23」

「お、っと」

 空中で告げられた言葉に従い、着地の衝撃を殺すため曲げた膝のバネをそのまま利用し、右前方に跳び出した。薄皮一枚を弾丸が掠める。あっぶね。

「お相手さん複数か?モテモテだなオイ」

「残念ながら一人だね。うち等が落ちてる間にあっちも移動したっぽい」

「そんじゃ一途に思われてんだな。良いことじゃんか。にしても撒くの失敗したか……自信あったんだけどな。凄腕か?」

「君に遊ばれてるのに?」

 右足の踏み込みを故意に緩め、その分左足を強く踏み込む。俺の一歩後を弾丸が爆ぜた。

 緩急を付けた動き。わざと作った隙。撃たれるのではなく、敢えて撃たせる。

 綺麗に決まったフェイントをからかうような瞳を向けてきた閃鬼にひょい、っと肩を竦める。

「別に遊んでる訳じゃないですよ」

 余裕が無いというほどでもないが。

 閃鬼が射線を予測している。弾丸が来るタイミングまでわかっているのだ。これで当たるようなら俺はここには居ないだろう。

 とはいえ遊ぶほどの余裕もないが。移動距離も速度もかなりのものだ。高低差もあるところをガンガン走ってるってのに、狙撃しながらしっかり追いかけてきやがる。

 ふむ――。

「――俺の客、かなぁ?」

 呟いた声が撃たれた窓ガラスが砕ける音で掻き消された。

「ん、なんか言った?」

「や、何も」

怪訝そうに見下ろして来た閃鬼の体躯が“心当り”と被る。近接戦闘員志望ではあったが、体格に恵まれなかった後輩と同じ狙撃の癖。ではあるのだが。

 あいつ、こんな風に高速で移動しながら安定した狙撃なんてできなかったよなぁ。

 その上仕事でしくじった俺を始末しに来た――にしちゃあ、別件で閃鬼の追手が付くタイミングと被り過ぎている。

「……なぁ、さっきの待ち合わせ相手ってどちら様かご存じ?」

「えー……。特に有名どころではなかったと思うけど……。“黄フクロウ”はさっき倒した方だったから、”切り切り舞い”ってとこだったかな」

「へー……」

 知らんな。

「あ、あと護衛役に”Fictional“と契約したって」

「あー……」

「知ってんの?」

「“外”の傭兵組織でしょ?俺はこの街に来たのは最近なんで。街外の組織の方が詳しいんすよ」

 何はともあれ“外”の人間に俺の顔を見られるのはよろしくない、か?俺自身箱外との方が有名だし。

 頭に辛うじて引っかかっていたフードを被り直す。弾道から狙撃手の位置を逆算したところ、俺の顔は見られて居ない筈だが。なんにせよとっとと撒いた方が良いだろう。

「どうします?適当に人混みにでも突っ込んで撒けるか試してみます?」

「積極的に他人様巻き込もうとすんじゃん……」

「この街だとあんま罪悪感わかねぇんすよね……」

「まぁ……」

 基本的に暴れたい奴かデカい事したい奴しか居ないからなぁ、この街には。平和に生きたい奴はそもそも来ない。何かしら野望があったり、スリルを求めていたりと腹に一物抱えている奴ばっか。“異在者イグジスト”だって箱外に居る割合の方がずっと多い。そもそも派手に異能を行使できる奴は少ないわけだし。

 俺よりも長くこの街に居るらしい閃鬼は身に染みてわかっているのだろう。しょっぱい顔をして、俺の腕にだらりと全体重を預けた。ふらふらと緩く揺らしている足を抱え直す。

「不満なら人居ないとこ選んでダッシュします?構いませんけど、そうすると簡単には撒けなくなりますよ。一般人が巻き込まれるのが気になるならどっか治安の悪い……半グレとかが屯ってるとこでも通ってみます?俺はそこまで詳しくないですけど閃鬼ならどっか場所知っているんじゃないですか」

「右9。ん――……いや、」

「……何?それとは別になんか悩んでます?」

「んん」

 返事の代わりにぐで、と体重が寄りかかる。

「いや、なんか……逃げらんないなぁ、と思って」

「あー、移動、速いですよね。全然振り切れない。移動用の“存在異義レゾンデートル”いや、”異在道具オーパーツ“の方がメジャーかな」

「いや、これは移動が速い、っていうのは当然あるんだろうけど。それ以前に……位置が特定されている?」

 潜めるような呟きに、ちらりと視線を向けた。眉間に皺を寄せ、背後を観測する眼差しに直ぐに進行方向へと向き直る。

「あんまり考えたくない可能性ですね」

「というか考えにくい可能性でもあるんだよ。君の事拉致った時にその手のもの――発信機的なのが付いてないことは確認したし……。それから付けられるようなこと、あったっけ」

「少なくとも自覚はないっすね」

「だよねぇ」

 歯切れが悪くぐにゃぐにゃしている。それでも、何となく、閃鬼がそういうなら”そう”なんだろうな。

 のんべんだらりと俺に全体重を預けながらもキッチリと狙撃を観測していた閃鬼が俺の肩に手を置いた。体を起こして上から俺の体を見下ろしてくる。

「なんかありました?」

「んやぁあ」

 返事だかなんだかもわからない唸り声に苦笑して、彼女が俺を見易いように姿勢を整え、

「イッ」

「あっ」

 閃鬼が視線を切った穴を付くように弾丸が俺の足を抉った。

 勢いよく膝が折れ、体勢が崩れる。伝わった衝撃に閃鬼の手が俺の肩から滑り落ちた。

「んぶっ」

「ワリッ、だいじょぶか。どっかぶつけてない?」

「や、平気。アオは」

「俺も大丈夫です」

「は、走れ――」

「余裕!」

 蹈鞴を踏んだ二歩目で立て直し、詰められた距離を離すように速度を上げる。上から落ちて来た閃鬼の上体を受け止めれば細い腕が俺の首元にしがみ付く。

 油断していた。トリップしていた。気を付けていたのに、碧い湖面に写されて、思わず覗き込んでいた。

 だぁっ、クソ。魅せられないよう気を付けていたのにこの様だ。くそったれ。

「あっ!」 。

「え、何「左20」ハイッ」

 グツグツと煮立った思考に驚愕の声が差し込んだ。手に取るようにはっきりとした予想外の輪郭に、俺の中の優先順位が置き換わる。

 自身の悔いなどどうでも良いと閃鬼に向けた追及は無機質な数値ににひっ叩かれた。

 反射的に横に飛び退く。今度は掠めることもなく体の脇を過ぎっていく。

「今なんか閃きのカットイン入りませんでした?」

「アオ」

「ハイ」

「取り敢えず、このまま人が居ない方に」

「お?――了解」

 閃鬼を軽く振り返るがモノクロの髪しか見られない。俺の肩から乗り出して後ろを覗き込んでいるらしい。

 その雰囲気は先程までのだらけたものとは違う。狙いを定めた鏃のような鋭さ。首筋が総毛立つ。何か気づいたのだろうか。

 良いね。嫌いじゃない流れになりそうだ。

 

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