指定異在特区 プラス・ボックス

 ▽▽▽▽

 揶揄われてる?というのが第一の感想だった。いや、正しく揶揄われてんな。そりゃあちょっと気に食わない。

 舐めた態度、しやがって。

 正面から堂々と視線を向ける。

 ゆるゆると手首に付いた痣を摩るセンカに天を仰いだ。

「おかげさまで右手が殆ど動かなくてね。ほら、この街は何かと危ないだろう?腕の良いボディガードが欲しくってね」

「……俺がやったのか?」

 ――やったんだろうなぁ……。

 口では往生際悪く聞きながら、目元を手で覆う。返事の代わりに聞こえた笑い声にぐるりと思考が回された。

 なんだってこう、厄介ごとってのは続くんだろう。普段の行いが悪いからか。

「疑うんなら君の手と合わせてみる?ぴったり合うよ。痛いからあんまり力は入れないでね。丁重にしてくれたまえ」

「……いや、必要無いんで……。大丈夫です。大丈夫ですけど……、いやマジかよ。全っ然記憶がねぇな!」

「あっはっはっそりゃ残念!君をここまで運ぶの大変だったのに!」

「それはそれは……。とんだご迷惑をおかけしたようで……」

「筋肉痛にもなっちゃった」

「それはそれは……」

 本人がケラケラ笑っているから軽く見えるが、骨に罅くらいは入ってそうだ。俺の手当よりも先にまず自分の腕を手当てしろよ。

 溜息を吐きつつ、ガジガジと短髪を掻き混ぜる。大きく開いた足に頬杖を突き、腕の痕を眺める。

「はっきり痕ついてんなぁ……。よくそんな元気あったなぁ、俺」

 生命の危機に生存本能でも働いたのだろうか。所謂火事場の馬鹿力ってやつ。自分でも予想外で、申し訳なさよりもしみじみと感嘆してしまう。

 ――俺は俺が思っていたよりも生きたかったのだろうか。

 こんな弱そうな女ん庫になりふり構わず攻撃するなんざ、随分と余裕がなかったらしい。

 それとも、ただ縋ったのか。どっちにしろ随分と情けない――。

「あ」

「あ?」

「ごめん。やっぱり触れても?」

「え、うん。良いよ」

 あっさりと差し出された腕にこちらの方が気後れする。躊躇いながらゆっくりと指を這わせた。途端に漏れた噛み殺した呻き声に、反射的に手を引っ込める。中途半端に彷徨わせた指先に、センカが困ったように供養した。

「そんなおっかなびっくり触んなくても大丈夫だよ。こう見えて痛いのには慣れてるしね」

「……リアクションに困ること言わないで欲しいんすけど」

 あぁ。クソ。ダセェな。こちとら百戦錬磨の傭兵だってのに、完全に腰が引けている。さぞ滑稽に見えることだろう。大蛇サーペントに見られたら笑われちまう。

「……ちょっと強めに握っても?」

「おや?疑ってる?」

「疑ってないって。ただちょっと――気になることがあって」

「お゛」

 目でタイミングを確認し、強く腕を握る。色気の無い悲鳴に苦笑いしながら手首を擦った。

「これ病院行きました?」

「イ゛っ、てない……」

「行きなよ……」

「めんどいんだよ。色々と……」

「バ―――カ……」

 覇気のない声と共に俯く。これは罅入ってるな。骨折や変形までは行ってないのは幸いだが。

「そんなに心配しなくても“存在異義レゾンデートル”は使われてないよ」

「えっ」

「ギャッ」

「あ、わるい」

 思わず握った腕にセンカが小さく悲鳴を上げる。慌てて話した掌を胸の前で掲げる。

 涙目でじとりと責められるがこっちはこっちでそれどころではない。誰にも明かしていない秘密があっさりとバレていた。ドッと脳が沸騰する。

「な、なんで」

「だって“異在者イグジスト”でしょ。君」

 喉元で吸い込み損ねた空気に異音が鳴った。


異在者イグジスト”という人間が存在する。

 19年前から現われた刻印と存在異義レゾンデートルを刻み込まれた異能使い。

 多種多様な能力を使う彼らはそれまでの常識を実にあっさりとひっくり返した。

 今まで存在した超能力者も“異在者イグジスト”だったと言う人も居れば、そいつらは全員インチキだと主張する連中も居る。

 人類の新たな進化形だの、どこぞの政府の悪辣な人体実験だの、悪魔からの贈り物だの、天からの罰だの。まるで三文小説のような道聴塗説が一面を飾る。

 その正体が何にせよ中世魔女狩りよろしく迫害されるのがセオリーだろう。時間が経とうが、科学が進もうが、人間の本質はそう簡単には変わらない。


 そんなことは無かった。


 何故ならこの能力は、“誰にでも”“平等に”発現する可能性があるのだから。


 “異在者イグジスト”が現われたばかりの混乱期。17、16年前くらいのこと。その時最も過激だった、反異在者イグジスト団体のトップに存在異義レゾンデートルが発現した

 カルト宗教的な面もあったその団体は最初路上でデモ活動もどきをする程度だったが、テンプレートに段々とエスカレートし、最終的には爆弾テロだの銃撃騒ぎだのを行うまでになっていた。

 そんなヤベぇ集団の総大将がヤベェコトになったんだからそりゃあもうヤベェことになるしかない。なんでも今まで自分が煽りに煽った連中の手で磔にされて火炙りにされたのだとか。それこそ中世の魔女狩りの様に。

 そのせいで他の反異在者イグジスト団体も随分と大人しくなったのはもう皮肉と言うしかないだろう。

 何時自分が迫害する側から迫害される側に変わるとも知れないんだ。おいそれとデカい声を上げるわけにも行かない。


 さて、そんなこんなで世界中のあらゆる所に存在するようになった特殊な力。利用するには恐ろしく、とはいえ全て纏めて排除する訳にもいかない。何より、場合に因っては神に手を掛ける超常の力は捨てるには惜しくもあったのだろう。各国は世界中の“異在者イグジスト”に2つの道を示した。


「なんでそう思う。“タグ”の痕はないだろ。この街に居るからってカマかけてる?」

「なんでって、えーっと」

 センカが戸惑った様子で頬を掻く。


 1つ。政府に完全に管理された“タグ付き”となること。

 2つ。世界で唯一“無制限に能力を使って良い場所”指定異在特区にて暮らすこと。


 表向きの目的は異在者イグジストの保護と犯罪抑制の為。裏向きの目的は他国が“抜け駆け”をしないように。真の目的としては“存在異義レゾンデートル”の研究、観察といったところだろうか。

 結果、この街では“異在道具オーパーツ”を制作する会社が乱立し、力を求めた異在者イグジストが好き勝手暴れ回る。善も悪もごちゃごちゃな、世界で今最も混沌とした場所。力を求める者たちがこぞって雪崩れ込む新世界。

 それがこの街“プラス・ボックス”。


 路地裏でぶっ倒れてたとかいう如何にもな訳アリだ。適当な当てずっぽうは可能だろうけど。

「できれば言いたくないんだけど」

 

 逸らされた視線は疚しいことでもあるのだろうか。ひょっとして“刻印”を見られたか?今着ているのは気絶する前と同じハイネックだ。俺の刻印は服に隠れて見えていない。服脱がされた感じはなかったが。

 今までのこちらを弄ぶ為のはぐらかしとは違う、困惑による本気の言い淀み。ぱたぱたと揺らす自分の爪先を見つめている。

 ベットが揺れるだけで傷に響くからやめて欲しいんだけどなぁ。

 掌の開閉を繰り返す。

 握った手首の感触が残っていた。ノイズのように走った既視感。気絶する前の記憶が体に残っているのだろうか。

 つまらなそうに尖った口元。不満げに地面を蹴る足。伏せられた目に再度脳内にノイズが走る。


 違う、これじゃない。

 

 ――は?


 頭に浮かんだ言葉に困惑する。

 腹の奥から沸き上がった衝動を持て余す。センカを直視し難くて手で目元を覆う。そのままたっぷり30秒フリーズした。

 急に固まった俺に異変を感じたセンカが顔を覗き込んできたのと俺が勢いよく顔を上げたのはほぼ同時だった。鼻先を掠めた頭にセンカがギョッと仰け反った。バランスの崩した体に咄嗟に手を伸ばす。

「あ、ありがとう……」

「……おー」

 見開かれた瞳から彼女の本心が覗けないだろうか。嘘を吐いているようには見えないが、だからといって本当に俺をボディガードにしたいだけとは思え無い。助けられはしたが向こうが勝手にやったことだ。俺が助ける義理はない。

 ハーーッとこれ見よがしに溜息を吐く。ビクッと体を揺らしたセンカが恐る恐る伺って来る。彼女に向けて開いた両手を掲げた。

「わかった。誤魔化されてやる」

「え」

「その通り、俺は“異在者イグジスト”だ。だけどなんで知っているのかは問わない」

 その代わり、俺をここから帰して欲しい。

 取り敢えずアホみたいに治安の悪い街だ。適当に路地裏とか歩いてりゃ絡まれるだろうからそいつらを逆にカツアゲして当面の生活費を稼ごう。そっちの方が正体不明にして軽率な奴のボディガードよりマシだろう。

 碌でもない選択肢に自分の置かれている状況を再確認して、思わず深々と溜息を吐く。

 どこか新しい、別の組織に入るということも出来るのだろうが――最近人間関係で失敗したばかりだ。暫く組織の一員になる気は起きない。柵だのご機嫌取りだの嫌いじゃないし得意でもあるのだが、長年の相棒に裏切られた直後なので傷心中なんだ。

 なんにせよ、ズカズカ危機に向かって行くあんぽんたんの護衛とか、絶対に厄介だろ。命がいくつあっても足りはしない。

 彼女の元には居ない方が良い。


 俺は死んでも良かったんじゃないのか。


「っていうかボディガードとかいんの?いくらこの街の治安が悪いからって一般人には要らないだろ」

「当方情報屋を生業にしておりまして……」

「情報屋ぁ!?」

 なんだその、場合によっては傭兵よりも危なそうな仕事は!

「えっ、センカちゃんバトれる人?」

「いや全く。弱いよ」

「わー」

 キッパリハッキリ言われて思わず口から意味のない声が漏れる。咳払いをして気を取り直す。

「いや、俺も訳ありだぞ。一緒に居た方が危ないかも知れない」

「へー、何それ面白そうだね」

 これは早死にする。

 間髪入れずに返すな。少しは考えろ。

 曲がりなりにも人を勧誘しているのだから、助けても良いと思わせる人柄くらい演じてみろ。俺今ヤバい奴だとしか思ってないぞ。

「借りを返してくれるんでしょ?」

 弾んだ、心根をくすぐるような声に視線が定まる。ゆっくりと上げた瞳はきっと呆れた半眼だ。

 愉快げに口角を上げ、小首を傾げる少女は俺を掌の上で転がしたいらしい。

 小さく息を吐いて気怠い口を開く。慌てたように服の端が引かれた。

「だめ?……あたしは君が居てくれると嬉しいんだけど」

 下がった眉に思わず閉じかけた口を途中で止める。口に出す言葉は変わらない。


「……待遇は?」

 態と顔を顰めて、低い声を出す。肩を落としていたセンカがぴょこんと跳ねた。ベッドが弾む。全身を劈いた悲鳴に漏らしかけた悲鳴を無理矢理喉奥で潰した。

 喜ぶセンカの邪魔をしたくない。素直な反応を見せて欲しかった。

 顔だけではなく、身体ごと俺に向く。この目の碧は嫌いじゃない。

「三食屋根付き、かどうかは仕事の状況にもよるけど。装備支給、経費は応相談。勤務時間は不規則。心身の健康は君の腕に依存。期限はあたしの腕が直るまでの間」

「で、どうよ」と首を傾げるセンカの言葉に逡巡する、ふりをする。

「給与は?」

「生活費は持つけど……」

「……クソブラックじゃん。自信満々に人誘う条件じゃねぇなぁ」

「護衛で人雇ったことないから相場がわからないんだよねぇ」

 そりゃそうかもしれないが。すげなく断られて当然だぞこんなん。

「いくらくらいが良い?」

「んん、この街は他と違うからなぁ。後で相談しよう。それより俺の意思で退職可能ってのも追加で」

「う……オッケー労基に引っかかるもんね」

「労基て」

 法律には詳しく無いけど多分ノリで適当なこと言ってんな。

「え、と。それで、っていうことは、」

 服が強く引かれる。期待にキラキラと光る瞳に向けて片頬を上げた。

「……ま、この街での野宿に比べりゃあマシかもな」

 パッと花咲いたようにセンカが笑う。その笑顔に瞠目した。

 何だその顔。そんな顔するほどの価値、俺にはないだろうが。道ばたの犬をちょっと撫でたみたいな、その程度の感覚だろ。

 ごくり、と空唾を呑む。動揺を隠しながらセンカに左手を差し出した。

「握手は普通、右手でするもんじゃないの?さっきもそうだったじゃん」

「痛めてんでしょーが」

 さっき右手での握手だってマズかったかな、と思ってるんだ。今思えば、力が入っていなかったんじゃなくて力を入れることができなかったのか。

 むぅ、と不満げに唇を尖らせたセンカが左手を出す。差し出されたその掌を握る直前、ひらりと躱され視界から消えた。

「――あ゛?」

 口から漏れた声は予想外にドスが効いて、慌てて唇を引き締める。それでも無意識の内に眉間に皺が寄った。

 躱された腕を視線で追う。高々と振りかぶられた掌にゲッと口から洩れた。眉間の皺が取れた間抜け面に向かって小学生みたいな掌が動き出す。

「ちょ、ま」

「契約成立!」

 ギリギリ掌を眼前に翳すのが間に合った。ただただ力一杯叩付けられた掌を受け止める。小気味良い音を響かせたハイタッチが振り抜かれるよりも速く、ガッシリと捕まえる。


 我ながら、馬鹿なことをしている。

 か弱い少女を傷付けた罪悪感。彼女が笑顔の方が良いと思ったから。あんな顔で求められたのが初めてで。

 理由なんていくらでも言えるが、そもそも"俺"が興味を持った時点でこうなることは決まっていた。

 まっ、死んだら死んだ、だ。別にどちらでも構わない。


 やられっぱなしもなぁ、と悪戯心で細い腕を引っ張った。小さく声を上げながら倒れ込んで来たセンカを受け止める。胸元にすっぽりと細い体躯が収まった。響いた痛みを噛み殺した口で口角を上げる。あ゛――い゛ってぇなぁ。

 キサラギ・センカ、か。

 日本語なら漢字がある。どういう字を書くのか教えてもらおう。あぁ、あとバックパックを返してもらわなきゃ。また必要になったんだから。

 ……俺の人生においてこいつの存在は恐らく凶と出るだろう。既に厄介なモンと関わっちまったと後悔している。

 心の中で自身の浅慮に溜息を吐きながら、至近距離にある碧い眼を見下ろした。牙を剥く様に笑う。


「んじゃあ短い間だが、宜しく頼むな雇用主」

「任せとけ、キッチリ扱き使ってやる」

「程々に頼みますよ。俺だってそれなりに怪我人なんだから」

「分かってるって!」

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