君の名前は?

▽▽▽▽


入り口に佇む中学生くらいの小柄な少女の顔を見て、反射で握った意識的に拳を緩める。視線は逸らさず、いつでも飛び出せる様に体重を爪先に移動する。戦闘の意志はなく、ただし、何かあれば対処できるように。

その仕草を視線で追った少女が心音を弾ませたのがわかった。向けられる微笑みの意味は分からない。悪意はなさそうなんだけれど。

ゆるゆると上げられている口の端とは逆に、俺は警戒で唇を引き結ぶ。気分はサイコホラー映画の被害者役だ。小柄な少女と鍛えた青年、端から見れば俺の方が加害者側に見えるのだろうが。

小さく唇を舐めて湿らせ、ゆっくりと開く。

「取り敢えずなんだが」

「はい」

「目の周りの情報量多くない?」

「んふ、ひひひひ」

 噛み殺そうとした笑いが堪えきれていない。身体をくの字に曲げ、奇妙な笑い声を上げる女の子を膝に頬杖を突いて眺めた。

 目の部分だけにパッチがある医療用とは違う、頭の周りをぐるりと回る帯状のダークネイビーの眼帯。その上からボストン型の眼鏡を掛けている。薄らと色の付いたレンズが青い光を反射させた。ブルーライトカットって奴か?

 ――眼帯の上から眼鏡掛けている奴って初めて見たんだが。この街ではこのくらい普通なのだろうか。

帯の素材が厚いせいで眼鏡のレンズに当たってる。眼帯を変えるなり、コンタクトにするなり、もっとこう、良いやり方があるだろ。

 少女ははー、と落ち着く為に深く息を付き、顔を上げる。改めて向けられた視線に、掌に乗せた頬が上がった。

 笑い過ぎによる涙で潤んだ瞳なのに、一挙手一投足を細かく計器で測っている様な圧。動揺する俺の前で、瞳が再度笑みに変わる。

 ――このまま、流れを持っていかれたくないな。

 危機感か、対抗心か。自分でもわからない感覚に従い引き攣った顔に笑みを浮かべる。

「え~っと、どちら様?」

「おや?人に名前を尋ねる時は自分から名乗りなさいって習わなかったの?」

 外見相応の声。英語も通じる。このまま会話をする気はあるらしい。もっとも返って来たのは煽りだが。

 そうくるなら、じゃあ。

「あんたこそ知らない人間を家に入れてはいけませんって習わなかったのか?それも異性だぞ」

「……生憎親が碌でも無くてね。そういうまともなことは教えてくれなかったんだよ」

「俺も天涯孤独な身の上でなぁ。礼儀作法とか教えてくれる相手が居なかったんだ。悪いなぁ無礼者で」

 不幸自慢に皮肉気な口調で付き合えば少女がぱちりと眼を瞬かせた。何故だか脳裏に碧がちらつく。

 なんだ今の。想起させるものなんて何もなかっただろう。いやまぁ、レンズ越しの目の色は青っぽいけど。思い出したのはもっと非現実的だった。っというか、このイメージはなんの色だ。

 困惑する俺とは対照的に、彼女は酷く楽し気だ。

「これは一本取られた、のかな。良いね。面白い。OK。んじゃああたしから名乗ろうか」

 短く息を吸った途端、表情の切れ味が増した。

 背筋を伸ばし、胸を張って、俺を見た。

「如月閃架。以後お見知り置きを」

 堂々とした不敵な態度。こちらを射抜く視線に吊られて背筋を伸ばす。

「……日本の名前か?センカの方が名前であってる?」

「あってるあってる」

 “キサラギ・センカ”。“センカ・キサラギ”じゃねぇんだ。

 元々この場所は様々な国の文化を集めた観光地兼人間の行動研究を目的として作られた。とある企業といくつかの主要国家が協力した中々デカいプロジェクトは世界最大の人工島として話題になった。

 結局全然違う使われ方をしているとはいえ、その名残かオリエンタルな文化も存在する。中でも日本文化はやたらと濃いが。

「とはいえやっぱ欧米文化の方が強いだろ。人口の割合も多いし」

「や、だって閃架如月より如月閃架の方が良くない?なんかこう、音的に」

「……なるほど?」

 見た目から国籍は掴めないが、日本がルーツにあるのだろうか。ミディアムロングの髪はアジア圏らしい黒髪――というには3割くらい白髪のメッシュが入っているモノクロだ。染めている、というよりは色が抜けた印象を受ける。

「あと日本語が好き。平仮名と片仮名と漢字が混ざってて表現によって変えられるのが良いよね。漢字だけで何となく意味が分かるところもラブ」

「LOVEですか」

 話す英語はスムーズで日本語の訛りは無い。

 日本語なぁ。日常会話くらいは出来るんだけど。 

「それで?」

「ん?ああ名前?アオです。どうぞお見知り置きを」

「そ。よろしく」

 女の子――センカに促され、彼女の挨拶をもじって返す。気が付いたのか、面白そうに笑みを深める。

 差し出された小さい手を、少し迷ってから握り返した。この街で知らない奴相手に気軽に接触をするべきじゃないが、まぁうっかり死んだら死んだだろ。俺を殺す気なら寝てる間にやってただろうし。

 センカ自身手を取られた事が意外だったのか、握った腕が小さくピクリと震える。一拍置いて緩やかに左右に揺れた。

 なんか小学生とお手てを繋いでる気分だ。……握手というにはセンカの手に込められる力随分と弱い。ひっかかっているだけで俺が一方的に握っている。

「アオ、ね。……ファーストネーム?」

「そうっす」

「ラストネームは?」

「無いっす」

「……本名?」

「勿論」

「ふぅん。――そっか」

 嘘です。2秒で考えた偽名です。

 見透かされてそうな気もするけれど。というか、暫定日本人相手にこんな雑な偽名、バレない方がおかしいけど。まぁ、バレても問題ないし。

 “キサラギ・センカ”という名前も本名かどうか怪しいもんだ。っていうか多分偽名だろ。

いや、バレてるなら彼女の瞳の色を彼女の母国語で偽名にした奴になるのか。それはもう口説いてんじゃん。ヤバいな。どんなナンパ野郎だよ。

「……どうしたの?」

「いや、別に……」

 とはいえ、あれほど即答で断言したのを撤回するのも面倒だ、と渋面に対する追及を躱す。こいつにどう思われようと関係ないし。

「この手当はあんたが?」

「消毒と包帯巻いた程度だけどね。その位なら、まぁなんとか」

「謙遜するじゃないすか。上手いっすよ。遅くなりましたけどありがとうございます」

 ぐるぐると腕を回す。ズレた感覚に慌てて動きを止めた。

「世辞でしょ」

 じと目で見てくるセンカに苦笑を返す。拗ねたようにそっぽを向かれた。賞賛は世辞だが感謝は一応本物なんだけど。

この体格差なら気絶した俺の治療は難儀しただろう。30cmくらい身長差がある。まず俺の身体を支えられない。包帯とかもそりゃちゃんと巻けないわ。

「んで、ここ何処です?あと俺の荷物は?」

「なんで?」

「な、なんで?え、帰りたいから、かな……」

「あら。帰るとこあんの?もう無いかと思ってた」

 端的だが意図のわからない質問に戸惑いながらも返せばさらっと告げられた。浮かべていた笑顔が凍る。あまりにも率直で返す言葉を失った。

 よくまぁ本人相手にここまでズケズケと言えるもんだ、と感心さえ憶える。態となのか天然なのか。

 というか、

「なんでそう思うんだよ……」

 何を何処まで知っている?

 大怪我して行き倒れていたんだ。そう思われてもおかしくは無いし、実際正しいが。

 目線の動きさえも見逃さないように目を凝らす。鼓動一つ、血管を流れる血の音さえ聞こえるように耳を澄ます。

「……俺の記憶でも読みました?」

「まさか。あたしにそんな力は無いよ」

 信用出来ねぇなぁ。

 ……ここに長居するリスクはあってもメリットはない。

 自然と鋭くなる視線を和らげ、余裕ぶって肩を竦める。手当のおかげか寝たおかげか。倒れる前よりも調子が良い。これならある程度は動ける。帰るところがなくても、どこかに向かうことは出来るだろう。……今のところ目的地も無いけれど。

「これ以上お世話になるのも悪いんで。どっか適当な所に泊まりますよ。金は……まぁ何とかなるでしょ。野宿でも良い。今日はありがとうございました。この借りは後で必ず返します」

「借り、ねぇ……」

 無防備に寄ってきたセンカがベッドの上に腰掛けた。間隔は半人分。思わず俺の方が後ずさる。

 殺せる間合いだ。そんなに腕に自信があるのだろうか。

「この街で野宿?正気かよ」

「それだけ腕に自信があるって事ですよ」

 俺の虚勢を吹き飛ばす様に、センカが綺麗に微笑んだ。待ってましたと言わんばかりの、狙っていた小動物が罠に掛かったのを見る様な慈愛の笑み。

「君が強いという事は知っているとも。だってほら――」

 猫撫で声のセンカがゆっくりと右腕を掲げ、袖を捲る。細い手首にはっきりと付いた赤黒い痣に天を仰いだ。心当たりは無いけれど、持っていかれる流れはわかる。センカが小さく肩を震わせているのが視界の端に映る。

「と、言う訳でウチでバイトしない?」

「は!?」

 急に話飛んだな!?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る