第4話(2)スイスイと読める
「え⁉」
「い、いや、思わず……」
「思わず?」
「な、なんでもありません、失礼、こちらの話です……」
私は口を抑える。
「こちらの話?」
「妙な罪悪感が……」
「ざ、罪悪感?」
「い、いえ、お名前をお伺いしても?」
「あ、ヨハンナです」
「お住まいはどちらに?」
「南の海です」
「……はい、確認しました。えっと、ヨハンナさんは……」
「はい」
「に、人魚の方ですね?」
「そうです」
そう、目の前にいる方は下半身が魚の姿をした人魚なのだ。まさか人魚の方まで小説家を目指しているとは……。
「えっと……」
「人魚は珍しいですか?」
「い、いや、まあなんというか……はい」
私は苦笑交じりで返答する。
「そうですよね、ワタクシも街の方に来るのは久しぶりのことですから」
「あ、あの……つかぬ事をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「なんでしょうか?」
「ど、どうやってこちらまで?」
「ああ、こうやって」
「!」
私は驚いた。ヨハンナさんが体を伸ばして、器用に立って見せたからである。そして二三歩ほど歩いてみせる。とても自然だ――わずかに聞こえてくるペチペチという音を除けば――。鱗の部分もそういうスカートの柄に見えなくもない。もっともスタイルの良い上半身、美しい顔立ちにまず目がいくというのもある。ヨハンナさんが笑う。
「お分かりいただけましたか?」
「は、はい……」
「結構、こうやって歩いている人魚は多いんですよ」
「そ、そうなのですか?」
「はい、意外と気が付かれないものです」
「そうなのですね……」
「そうなのです」
「……すみません、変なことを聞いてしまって」
「いえいえ」
私とヨハンナさんは同時に頭を下げる。
「あ、どうぞ席におかけ下さい。あっと、その前に……」
席に着く前に私は名刺をヨハンナさんに渡す。
「モリ=ペガサスさんですか……」
「ええ、モリとお呼び下さい」
「……こちらもつかぬことをお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「? どうぞ」
「……モリさんはニッポンからの転移者っていうのは本当ですか?」
「ああ、そうですよ」
もうすっかり慣れたことなので、私は素直に頷く。
「へえ……。ワタクシ、転移者の方を初めて見ました」
ヨハンナさんはこちらを興味深そうに見てくる。
「そ、そうですか……しかし、ヨハンナさんのお住まいの方にも私のことが知られているのですか?」
「ええ、もう結構な噂になっていますよ、カクヤマ書房さんにそういう編集さんがいらっしゃるって。なんといっても人魚は噂好きですから」
ヨハンナさんはそう言ってふふっと笑う。
「そ、そうなのですか……で、あればですね……ごほん」
私は咳払いをひとつ入れる。ヨハンナさんが首を傾げる。
「?」
「ここがカクカワ書店ではなく、カクヤマ書房だということはもうご存知なのですね?」
「はい、それはもちろんです」
もはや毎回のこととなりつつあるが、後で知らなかったと言われても、こちらとしても困ってしまうので、このことに関してはきちんと確認しておかなければならない。私は重ねて尋ねる。
「では、ヨハンナさんは我が社のレーベルから小説を出版することになっても構わないということですね?」
「はい。原稿を送り間違えてしまったのはこちらのミスですから。こうしてお声がけいただいたのも一つの縁というやつなのかなと思いまして」
「ふむ、そうですか……」
「はい」
前向きなのはこちらとしてもありがたいことだ。私はヨハンナさんの送ってきた原稿――海の中で書いたのだろうか? それにしては濡れたりはしていないが――を取り出して、机の上に置く。
「……それでは早速になりますが、打ち合わせを始めましょう」
「はい、お願いします」
マルさんが再び頭を下げる。
「えっと、原稿を読ませて頂いたのですが……」
「はい……」
「率直に言いまして……」
「は、はい……」
「なかなか面白かったです」
「ほ、本当ですか?」
「ええ」
「よ、良かった……」
ヨハンナさんがほっとしたように胸をなでおろす。貝殻で覆っただけの豊満な胸に目が奪われそうになるが、痴漢扱いされたりしたらたまらないので、すぐに目を逸らす。
「とても読みやすかったです」
「そうですか」
「テンポも良いです」
「ああ、そこら辺はこだわっているつもりです」
スイスイと読めました、人魚だけに、と言おうかなと思ったが、余計な一言のような気がしたので、それは飲み込む。
「ただですね……」
「は、はい、なんでしょうか?」
「う~ん、なんと言いますか……」
「……」
「………」
「…………」
「……………」
「……どうぞ、遠慮なく言ってください」
長い沈黙に痺れを切らしたヨハンナさんが話しの続きを促してくる。私は口を開く。
「……お話自体は面白いのですが……」
「ですが?」
「少しリアリティに欠けます」
「リアリティ⁉」
ヨハンナさんは驚く。
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