第14話 沈黙の布告

 大聖女が、目の前へ、現れる。

 リランは片脚を後ろに引き、軽く膝を曲げ、うつむいて手を組む姿勢を取った。各国の聖女は立場でいえば対等だ。たとえ没落寸前の国でも、成長著しい新興国でも、歴史ある大国であったとしても。だが、帝国大神殿レヴェリアスの大聖女だけは違う。大聖女とは文字通り、聖女のさらに上に位置する存在だ。だからこそ、他国の王にすら膝をつかない聖女だが、大聖女相手にはこうして敬意を示す。

 やがて、鈴の音とくゆる薫りに包まれて、ゆっくりと大聖女イリスが姿をあらわした。うつむきがちに伏せた顔の下で、ちらとリランは大聖女を盗み見る。


 ちいさい、というのが一番最初の印象だった。

 リランも人のことは言えないが、まだ十二歳というだけで、同年代と比べれば順当な大きさではある。でも、大聖女イリスは本当に華奢だ。成人年齢とは思えぬほどにほっそりとしていて、折れてしまいそう。ゆったりしたつくりの聖女の長衣のなかでからだが泳ぐようだ。

 イリスが近づいてくる。高く響く鈴の音、低く鳴る小銅鐘の音、薄霧のような靄となった香の薫りをまといながら。


(……、きもち、わるい。あたまがいたい……)

 何度もまばたきをして、なるべく香の煙を吸わないように気をつけて、早く終わって、とリランは願う。煙にむせないようにするので精一杯だ。

 なんとかして咳をこらえようと奮闘しているうちに、気づいたら、すぐ前まで大聖女が来ている。


「ようこそおいでくださいました。アラトヴァの聖女リラン殿」

 そう微笑むイリスは、月明かりを紡いだような薄金の髪に紫の双眸の、文句なしに美しい少女だった。彼女がまとうと、簡素な無字の白い長衣でさえ、極上の装束であるかのようだ。白い布地に負けぬだけの白い肌にはしみも傷もなく、それだけで彼女が宝物のように育てられたことがひとめで分かる。


「このたびは、おまねきくださり、ありがとうございます。イリスさま」

 舌足らずな口調に不似合いな言葉遣い。そして幼子らしからぬ、落ち着き払った立ち居振る舞い。

 たいていの者は、リランの言動に面喰らうものだ。だが、イリスはそのようなボロなど欠片も見せない。微笑んで、リランの肩に触れると、お立ちください、とささやく。


 あまりにやわらかく優しい声に、考えるより先に従いたくなる。この人が言うことに何も間違いはないのだと信じてしまいたくなる。

 だから――リランはこっそり舌先を噛み、その痛みで、自身の目を覚まさせた。


(こんなにやさしいひと、だれよりも聖女さまらしいひとが、アラトヴァの聖女なんてかんげいするとおもう?)

 戦と謀略でもって数多の国を平らげてきたアラトヴァに、好意的な態度を示す国はほとんどない。大聖女イリスの属する帝国とて同じこと。表面上は微笑んでいるだけで、内心では無知蒙昧な蛮族と見下しているのだろう。


(でも、大聖女イリス。あなたも聖女なら、はず)

 哀れみも同情も、侮蔑も嘲笑も。同じ聖女同士にあっては、錆びたなまくらナイフに等しい。そんなものでは聖女に傷ひとつつけることはできない。

 聖女を傷つけることができるのは、真実、あるいは、純然たる暴力のみ。はたして、目の前の大聖女はそのどちらを持っているというのだろう。単純な心力の強さでは、リランに勝る聖女などいない。それとも大聖女イリスならば、賢女とうたわれるほどの知恵で、リランを抑え込めると思っているのだろうか。


(そんなの、むだ。わからないのかしら)

 イリスの頭脳の回転がどれほど速いとしても、その脳ごとリランの操る炎が焼き尽くす方が、はるかに速い。

 それがわかっているからこそ、リランは神聖なる賢女イリスを見上げ、にっこりと微笑んだ。そして誰にも聞こえぬくちびるだけの動きで、つぶやいた。


(しぬのはあなたよ、大聖女イリス)

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