四人の聖女

第6話 聖女の息子

 深夜の非常識な訪問から二日後。何もなかったかのように、アルヴェルディスは大神殿を訪れて大聖女イリスとの面会を乞うた。

「大聖女と内々に話をしたい」と案内役の高位神官に伝えると、風の吹き抜ける中庭の四阿あずまやのような場所へ通された。ひとに聞かれたくない話をするのなら、密室ではなく開放的な場所を選ぶのは宮廷人の常識だ。俗世に不慣れだと思っていた神殿の者も気の利くのだな、と思う。

 半刻(30分)ほど待って、質素な白の長衣をまとったイリスが、神殿仕えの童女に手を引かれ、姿をあらわす。


 宮廷で会う同じ年頃の少女とは、こうして見ると、雰囲気がまるで違う。アルヴェルディスの知る女性という生き物は、甘く甲高い声を響かせ、中身のない浮ついた言葉を話し、隙あらば身を擦り寄せてくる。貴族の娘だけではなく、異性に近づいてはならぬはずの聖女見習いでさえその体たらくだ。

 だが、イリスにはそのような不快感を感じさせるところは欠片もない。その若さに似合わぬ落ち着き払った立ち居振る舞いは、改めて彼女が俗世との縁を絶ってひさしい聖女であることを再認識させた。


 イリスは童女に導かれて白い石造りのベンチに腰を下ろす。彼女がうなずきかけると、童女は心得たように何も言わず、一礼してその場から離れた。

「お呼びたてして申し訳ございません、大聖女イリス」

「そのようにおっしゃっていただく必要はありません、殿下。わたくしは殿下にお力添えすると誓ったのですから、殿下の御用があるのなら、いつでも呼びつけていただいて構わないのですよ」

 そんなことできるものか、とアルヴェルディスは思ったが、口には出さない。

 大神殿を統括する大聖女たるイリスは、皇太子などよりも遥かに多忙な身だ。帝国領内に数百ある大小の神殿の管理や采配、帝国のために日に何度も捧げる祈り、そして彼女の知恵を借りにくる貴族や重臣たちの相手――実際、今日の面会だって、神殿側にかなり無理を言って時間の工面をつけさせたのだ。

「いえ。貴女の時間を不必要に奪うことは、この国のためにもなりません。ですから手短に済ませたいと思います」

 そう前置きをして、アルヴェルディスはひどく気が進まない、その用件を言葉にした。


「来月の祭典に招待される、各国の聖女たちの名が出揃いました。いずれも帝国レーヴェリアの皇太子妃の地位を狙う者たちです」

 懐から取り出した紙片を取り出し、これを、と差し出しかけて、アルヴェルディスは息を呑んだ。手渡したところで、イリスにそれを見ることはできないのだ。

「――失礼いたしました。この聖女たちの大半は、無視しても構わない存在です。ですが、一部、無視できない聖女たちもいる。背後にいる王の後ろ盾が強力であったり、友好関係を保つべき国の聖女であったり……事情はさまざまですが」

 イリスは顎を引くようにちいさくうなずいた。

 俗世の世情に関わらぬのが聖女の慣習ではあるものの、イリスはその知識と知恵を見込まれて、国政への助言を何度も行なってきた。当然、国内外の情勢については知っているはずだ。


「先日もお話ししたように、私はいずれの聖女も、妃として迎え入れるつもりはありません。ですが、真っ向から拒絶できないだけの事情や背景を持つ聖女たちも数人いる。――大聖女イリス、貴女に頼みたいのは、この一部の厄介な事情持ちたちを、どうにかして追い返すことです」

「追い返す……」

「聞こえが悪いかもしれませんが、ようは、聖女たちの誰ひとりとして私の妃に選ばれることがないまま、祭典の終わる日を迎えたいという意味です。どんな手段をとっても構いません。が、それぞれの聖女の出身国とは表向き波風を立てたくない」

「承知いたしました。ところで、殿下、ひとつお訊ねしたいことがございます」

「答えます」

「ありがとうございます。――皇太子妃とは、どなたが、どのような基準でもって選ぶものなのでしょうか」


 聞かれると思っていた通りの問いに、アルヴェルディスは苦い顔になる。

 予想できていても、自ら口にしたい内容ではなかった。

「……表立っては、皇太子たる私みずからが選ぶということになっているが。実際は、皇帝と皇妃、重臣たちが選ぶことが恒例となっています」

「その方々に働きかけることはできない、というわけでございますね」

「ああ。皇帝の妃が聖女から選ばれることは、もう何十代と続いた慣習だ。それを私の一存でやめることなど、頭の固い貴族たちは許さない。

 父上は……皇帝陛下は、もしかしたら、納得してくださるかもしれないが。貴女も知っている通り、もう何年も長患いに臥せっていて、とてもではないが、皆を説得してくださるだけの体力がない。そして、母上は、」


 そこで不自然に、アルヴェルディスの声が途切れた。イリスがわずかに上向いて、まっすぐ顔を向けてくる。

 続きを言わなければと思うのに、舌は石に変じたかのように重く、硬直して、唸り声すら出すことができない。

 居心地の悪い沈黙が落ちた。アルヴェルディスは拳をきつくぎりぎりと握りしめた。

 その時、やわらかな声が落ちてきて、ぎこちなかった空気をたちまち一変させた。


「もしかしたらと、仮定でお訊ねさせていただきます、殿下。皇妃さまは、最も強く、殿下のお考えに反対されておいでなのでは?」

「…………、ああ、そうだ」

 アルヴェルディスは弱々しく頷いた後、それではイリスに伝わらないことを思い出し、喉奥でうなるような声をなんとかしぼり出した。

「やはり、そうなのですね。皇妃さまもかつて聖女であらせられた方、聖女を君主の妃に据える制度には賛成されるでしょう」

「賛成して当然だ、そうやって甘い汁を吸い上げて来たのだから」


 アルヴェルディスはわざと鼻を鳴らし、吐き捨てるような口調で言った。

「母は帝国の属領出身の貧しい貴族の出から、聖女となり、大レーヴェリアの皇妃にまで昇り詰めた。今では、かつて聖女であった頃の敬虔さなど、欠片もない。贅沢三昧の日々を送り、神殿になど月に一度足を運べば良い方だ。祖国を優遇する政策をとらせ、身内を呼び寄せては官職につけさせ、ご機嫌取りたちをはべらせては年中旅行ばかりで城の行事でさえ欠席する。――聖女であったというだけで、皇妃に成り上がったひとだ。もはや聖女には、皇族の妃にふさわしいだけの品位も何も備わっていないと、証明されて一番困るのは母上だろう」

 苦々しさを通り越し、憎しみすら感じさせる語調だった。イリスも当然気づいただろうが、言及はしなかった。何もなかったかのような穏やかさで、話を先へ進める。

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