第4話 帝国の守護者

「古い慣習などという惰性から、ただ聖女であるというだけの者を未来の皇帝の妃にしたくないと考えています。ですが、私だけでは父皇帝や重臣たちを説得できない。今の私は何の経験もない、ただ血筋によって世継ぎとなった身ですから」

 そう言いながらアルヴェルディスはイリスの前に膝をつき、彼女の絹沓に包まれたちいさなつま先に額を押し当てた。

 見えずとも何が起きているか、なんとなく察したのだろう。ここではじめて、イリスがわずかに動揺するような気配を見せた。

「殿下、そのようなことは……!」

 だが、アルヴェルディスは制止を聞き入れず、言葉を続ける。


「大聖女にして賢女、未来視の聖女よ、私は貴女にすがるより他ありません。来月、城で開かれる祭典のために、各国より聖女たちがやってくるのです」

 大帝国の皇太子妃の地位を鵜の目鷹の目で狙う者たちだ。聖女とは名ばかりの、俗世の欲に浸りきった者たち。そんな相手を妃にするなど、考えるだけでぞっとする。

「聖女というだけでかしずかれることに慣れ、奢侈に溺れ謙虚さを忘れた驕慢な女たちの群れです。あんな者たちを妃に迎え、国政に関わらせるなど国を傾けさせるだけだ。――未来の皇帝として、絶対に認められない」

 それが世間知らずの皇子のわがままにしか聞こえないことなど、百も承知だった。だが、アルヴェルディスも、これだけは絶対に譲れない。


 顔を上げると、盲目のはずの大聖女が、まっすぐアルヴェルディスを見ていた。そのまなざしはやさしく、慈愛に満ちていて。

 けれどすぐに、アルヴェルディスは理解する。賢女イリスが帝国領に一人しかいない大聖女と呼ばれるわけを。ただ心やさしいだけの、神に仕えるだけの娘ではないことを。


「殿下のお心、たしかに聞かせていただきました」

 そう告げた彼女の双眸は極上の宝玉を思わせるほどにきらめいている。わずかに焦点の合わぬまなざしは、目の前のアルヴェルディスではなく、その先の未来が見えているからだと――そう言われても信じられるほどの、力強い神々しさ。

「微力ながら、殿下にお力添えいたします。わたくし、イリス――イリスティア・アイエノーヴ・レヴェリアスは、この心を神に、そしてこの身を帝国に捧げると誓願を立てましたゆえ」

 その簡潔な言葉のうちに、どれほど強い意志が秘められているのか。

 アルヴェルディスは思い出す。レヴェリアスの大聖女になるための終生誓願――純潔、清貧、信仰、慈悲、謙虚、無私、そして、神殿と帝国への忠誠。どれか一つでも誓願を破ったと見なされれば即破門され、その魂は死後永劫に地獄をさまようという。


 優しいだけの娘などではけしてない。まして、ちょっと心力が強いから聖女に選ばれただけの娘だなんて、とんでもない。

 アルヴェルディスの知る聖女たちとは、何もかもが、違う。

(これが大聖女――帝国の最強にして最後の護りたる者)

 アルヴェルディスは息を呑み、そして、気づけば頭を垂れていた。

「感謝いたします、大聖女イリス」

 噛みしめるように、アルヴェルディスは言った。 



 ――史実に云う。大帝国レーヴェリアの中興の祖、 アルヴェルディス2世の治世において燦然たる名を遺す”賢女”イリスティア。

 歴代大聖女のなかでも人格・信仰心・心力・神からの寵愛、すべてにおいて最も優れていたといわれる彼女が、その生涯をアルヴェルディス2世に捧げたことは、広く知られている――。

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