第3話 聖女なるもの
「……聖女イリス、あなたを前にしてこう申し上げるのも申し訳ないのですが、私は聖女というものが信用ならないのです」
ついに言ってしまった。アルヴェルディスはきつく目をつむる。
他ならぬ自国の聖女相手に、世継ぎたる身で「聖女が信用ならない」などと告げるのがどれほどあり得ないことかくらいは理解できる。大帝国の皇太子でさえ、聖女の不興を買えば廃嫡の憂き目に遭いかねないことだって。
(そもそも、そのこと自体がおかしいのだ。なぜ聖女が、皇族さえもご機嫌取りをしなければならないほどに権力を持っている?)
かつて、聖女とはその名の通り聖なる者、聖職者であった。神殿に籠り、人目には触れず、日々神への祈りを捧げながら生きる。清貧を旨とする敬虔な存在――であった、はずなのに。
現代では、古い時代のような、奇跡の力を現わし、国を救うような、神に愛されし聖女などほとんどいない。聖女の地位は役職として形骸化し、各国の神殿の飾りとして、それなりに心力の強い娘を選び出して、据えるだけとなった。当然、選ばれた聖女たちも、祈りによって神に仕え、国を守る聖なる身としての自覚はほとんど持たない。
ただひとり、この大聖女イリスを除いて。
だからこそ、アルヴェルディスはこうして賭けに出た。
率直な胸の内を打ちあければ、大聖女の不興を買う可能性は十分にある。
だが賛同を得られれば、賢女イリスと呼ばれるそのひとの知恵と知識を借りることができるかもしれない、と。
はたして、イリスは穏やかな表情を揺らがせることもなく、そうなのですね、と言った。
「はい。貴女にとってはご不快でしょうが。これが私の本心です」
「不快とは思いませんわ。殿下には殿下の、わたくしと違うお考えとお立場があって、当然ですもの。よろしければ、その理由をうかがっても?」
そう訊ねるイリスの表情には、不愉快そうな表情は欠片もない。純粋に、疑問だから知りたいと思っているだけのようだ。
良かった、とアルヴェルディスは思う。自分で一方的に押しかけておきながら、やはりこんなことを話すのはどうだろうかと、心の隅では迷っていたのだ。
「そもそも……、現代の聖女は、各国の神殿が勝手に擁立しただけに過ぎません。政治の産物で、象徴で、ただのお飾りです」
「確かに、そのようの側面もございますね」
「聖女という地位には、確かに求心力があります。影響力も。信仰心篤い貴族や、無知な民衆たちにはとくに絶大な影響を持ちます。
だが、聖女はかつては国の護りであったかもしれませんが、今は形骸化して、ただの名誉職だ。そんなものをどうして妃に迎えなければならないのか、私には理解も納得もできません」
ぐっと手のひらを握りしめる。抑え込んでいた怒りが、また油断すると溢れてきそうな気がして。
「昨今の聖女たちの専横ぶりは目に余ります。聖女という地位を良いことに、国政を乱し、私腹をこやし、あまつさえ民をまどわす。国の守護たるつとめを放棄に田舎に引っ込む者もあれば、婚約者たる王族との婚約を放棄する者もある。――清貧と信仰に生きた聖女など、賢女イリス、あなた以外にはもうこの時代にはおりません」
「確かに、そうかもしれませんね。今の聖女たちは、昔よりもはるかに自由に生きることができるようになりましたから」
「ただの貴族の令嬢にならば、私とて目くじらは立てません。好きにすれば良いと思う。
ですが、聖女は聖職者なのです。神殿に入り、神に祈り、信仰でもって国を守護する。現代に、それだけの覚悟と気概を持った聖女がどれほどいるというのです?」
対し、イリスは長いまつげを伏せるだけで、何も言わなかった。彼女とて知っているはずなのだ。聖女と呼ばれる者たちの不品行は、上流階級では事欠かない噂の種で、しかもそれが、根も葉もある噂なのだということを。
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