第3章

第97話 お見舞いイベント

 なにかの音が聞こえたのをきっかけに、自分の意識が浮かび上がってきて、眠りから覚めたことを自覚した。


 まだ眠気に抗われ完璧に意識が起きてこない中、なおも枕元で音を鳴らし続けるスマホを呻き声を出しつつ、目を閉じたまま手探りで探す。


 うっすらと目を開き、焦点の合わない瞳で画面を見て、目を瞑りながら、通話に応じる。


「……あ゛い。もしもし……」

『もしもしじゃないわよぉ。ちょっと寝過ぎじゃない? どれだけ連絡しても出ないんだからもぉ』


 聞こえてきた声は、画面に表示された名前と違わず、我が母君の呆れ切ったものだった。

 そんなに連絡されたの? 全然気が付かなかったけど……。


 俺は通話を続けながらRAINの画面を確認してみる。

 そこには俺が昨日学校をサボった旨と今日風邪を引いてしまって休むという連絡をした直後から、1時間置きくらいにずらりと並んでいる着信履歴。


 連絡を送ったのが7時過ぎくらいで今の時間が16時過ぎくらいと考えると、なるほど。ぐっすり熟睡してしまったらしい。

 多分、昨日の寝不足と今日の体調不良が合わさったからだろうなぁ。


「……あー、ごめん」

『もういいわよ。それで、体調は大丈夫なの?』

「うん。それはもう大丈夫っぽい。元々軽めだったし」


 ぐっすり寝たおかげか、朝頃にあった頭痛や寒気、身体のだるさ、熱っぽさはすっかりと緩和されている。

 まあまだ喉の痛みは若干あるけど、この分ならすぐに治りそうだ。


『ならよかったわぁ。……それで、サボりの件なんだけど、詳しく説明してくれるのよね?』


 あれ……? おかしいな、治ったはずの寒気がまた出てきたぞ……?

 

 サボった件については説明が難しかったので、あとで説明しようと思って放置していた。

 ……やっぱり怒ってるよね、当たり前だけど。

 

 分かりにくいけど、このおっとりした声音の中に感じる確かな圧の前で、幾度となく土下座をしている父さんを見たことがあるので、間違いなく怒っている。

 

 多分、言葉を間違えたら仕送り減らされるかネット回線切られるレベル。

 俺は喉を鳴らし、無意識の内にベッドに正座して、慎重に言葉を選んで説明をしていく。


「——というわけなんですけど……」


 俺の説明を聞き終えた母さんが『ふぅん』と相槌を打つ。

 

『そういうことなら、仕方ないわね。ペナルティはなしでいいわよ』

「え? いいの? ゲームのセーブデータ何個か消すくらいは覚悟してたんだけど……」

『その子の為にやったんでしょ? なら怒るに怒れないわよ。それに、聞いてる限り優陽の判断が間違ってるなんて思わなかったしね。でも』

「でも?」

『その子をだしにして、開き直ったりして保身に走ってたら怒ってたわね。まあ、あなた自身は悪い部分はちゃんと分かって反省してるみたいだったから』

「う、うん! 反省してるよ! もちろん!」


 よ、よかった……! 言葉を選んで慎重に説明して本当によかった……!


『ならいいわ。だから、私が怒らないといけないのはあまり無茶なことはしないようにってことだけね』

「で、出来る限り約束します」

『出来る限りじゃなくて確約してほしいんだけどねぇ……。まあ、無茶をしてでも助けたいと思えるような友達が出来たのは、嬉しいわ』


 うふふ、と穏やかに笑う母さんの声を聴いていると、スマホが別の通知で震える。

 通話を繋げたまま、画面を切り替えて通知の正体を確認すると、


「わ、マジか」

『なに? どうしたの?』

「いや、友達がお見舞いに来てくれて、今マンションの前にいるって連絡が来た」


 通知の正体は芹沢さんからのチャットだった。

 どうやら、乃愛も一緒にお見舞いに来てくれたらしい。


『あら、そうなの?』

「うん。だからもう電話切るよ?」

『あら、切ることないじゃない』

「え?」

『せっかくだし、お友達に挨拶させてほしいわ。いいでしょ?』

「いいでしょって……いやいやいやいや」


 いいわけがない。いいわけがないんだけど……このまま説得しても絶対に素直に引き下がらないのは目に見えてる。

 芹沢さんたちももうマンションの前にいるって言ってるし、すぐに部屋まで来ちゃうよね……? 


 と、考えていると、俺の思考を肯定するように、エントランスのインターホンが鳴らされてしまう。


「ああもうっ! 話すのはいいけど絶対に変なこと言わないでよ!?」

『分かってるわよぉ。息子のお友達に変な人だって思われたくないもの』

「本当に頼んだからね!?」


 無理矢理通話を切ることも出来たけど、それをやるとあとが怖すぎる。

 だったらもう母さんを諦めさせるよりも、芹沢さんたちを待たせない方が重要だ。

 早々に説得を諦めた俺は、エントランスを開閉した。


「……っと、マスクマスク」


 軽い風邪とはいえ、うつしたら大変だしね。

 そうこうしている内に、部屋の方のインターホンが鳴らされたので、玄関に出迎えに向かい、扉を開ける。


「やっほー優陽くんっ。体調はどう? 大丈夫?」


 扉を開けて、顔を合わせるなり、芹沢さんがパッと笑みを浮かべた。


「うん。もう熱も下がってるし、大丈夫だよ」

「ん。ならよかった」

「乃愛も来てくれてありがとね。心配かけてごめん」

「私のせいで優陽くんが風邪をひいたんだから、お見舞いするのは当たり前だし、謝るのは私の方。迷惑かけてごめん」

「その話はもう終わったでしょ? いつまでも言い続けない」


 ひとまず2人を部屋へと招き入れ、俺は申し訳ないと思いながら、話を切り出した。


「……ごめん、2人とも。来てもらって早々あれなんだけどさ」

「「?」」

「実はうちの母が2人と話してみたいと言っておりまして……迷惑じゃなければ、相手してもらえればと……」


 そう言うと、2人がそれぞれ驚いたリアクションをする。

 そりゃそうだ。俺だってそうなる自信がある。


「あ、ほんと! 嫌なら全然いいからね!? 母さんが無理言ってるだけだから!」

「い、いや……ちょっと驚いただけで、全然嫌とかじゃないよ」

「ん。私も大丈夫。むしろ、ちょっと話してみたい」

「うう……本当にごめんね……」


 うちの母親が本当に申し訳ない。

 俺はミュート状態にしていた通話を再開させ、スピーカーにしてから芹沢さんに手渡した。

 

「こんにちは! 初めまして! 優陽くんのクラスメイトで友達をやらせてもらってる、芹沢空って言います!」

『あらあら、元気のいい子ね。初めまして、優陽の母です。息子がいつもお世話になってます』

「いえいえ! どちらかと言えばお世話になってるのは私たちの方なので! ね、乃愛ち?」

「ん。……初めまして、お母さん。芹沢さんと同じくクラスメイトで友達の白崎乃愛、です。優陽くんにはいつもお世話になってます」

『ふふ、空ちゃんに乃愛ちゃんね。覚えたわ』

 

 ほ、本当に大丈夫かな……?

 ハラハラしながら、芹沢さんと乃愛が話すのを見続ける。


『今日はあなたたち2人でお見舞いに? 他の子はいないのかしら?』

「はい! 今日は他の友達は予定があって来られなくて……お見舞いに来れないことをとても残念がってましたよー」

『あら本当に? 優陽のことを心配してくれるお友達がたくさん出来たみたいで、お母さん嬉しいわぁ』

「……今、優陽くんが友人と呼んでいる人たちは優陽くんの人となりに惹かれ、信頼を置いている人たちばかりですよ」

「ちょっ、乃愛……!」

「ん。なに?」

「いや、そう言ってくれるのは嬉しいんだけど……いくらなんでも恥ずかしいって言うかさ……」

「事実。空ちゃんもそう思ってる」

「うん。間違いないね」


 うぐっ……! 芹沢さんまで……!

 

『うふふ。よかったわね、優陽』

「茶化さないでよ母さん……」

『あら、いいじゃないの。……でも、本当によかったわ。そんな風に親しくしてくれる友達がちゃんと出来て。優陽が友達を作れなかったのは元はと言えば、私たち親のせいだったから、とても心配してたのよ』

「……いや、それは俺がどこに行っても上手くやれなかったせいだから。俺自身の責任だよ」


 確かに、小さかった頃は父親の転勤に振り回されるしかなかったし、どうせすぐに転校するのなら友達なんて作らない方がいい、出来なくてもいいと諦めていた時期も、親を恨んでしまったこともある。

 

 けれど、勝手に空回りして、失敗続きで浮いたのは結局俺のせいでしかない。

 俺の失敗全てを親のせいにするつもりはない。


『ありがとうね。空ちゃん、乃愛ちゃん。息子と友達になってくれて。よければこれからも仲良くしてあげてね。他のお友達にも伝えておいてくれる?』

「はい! もちろんです!」

「こちらこそ、仲良くしたいと思っています。なので、安心してください」


 そんな2人の声を聞いて、スマホからもう1度『ありがとうね』と嬉しそうな声が聞こえてきた。

 そのやり取りを見てると照れ臭くて、なんか顔が熱くなってきた。


 むずがゆいものを覚えていると、


『あとは彼女でも作ってくれたら、親としてももっと安心出来るんだけどねぇ』

「「っ!」」

「そんな簡単に出来るわけないでしょ。友達だって作るのに苦労したのに」

『あら、そうでもないかもしれないわよ。現にこうして女の子2人がお見舞いに来てくれるなんて隅に置けないことになってるわけだし』

「なに言ってんの、そんなこと言ったら2人に失礼でしょ」

『……ねえ、空ちゃんに乃愛ちゃん。彼氏がいないならうちの子なんてどうかしら?』

「「っ!?」」

「母さん!? なに言ってるのさ!?」


 喉が痛むことも忘れて、大声を出してしまう。

 そんな俺の声をスルーした母さんは、なおものたまう。


『ちょーっと卑屈が過ぎるけど、我が子ながら見た目はそこそこイケてる部類だし、自分が懐に入れた相手なら絶対に尽くすし、大切にしてくれる子よ。親としてそこは保証するわ』

「ちょっと! やめてってば!」

『優陽、病人がそんなに大声出すものじゃないわよ。大人しくしてなさい』

「誰のせいだよ!」


 やっぱり通話なんて断っておけばよかった! 嫌な予感はしてたんだよ!


『ってことで、どう? お買い得よ。うちのゆー君』

「もう切るからね父さんによろしくじゃあね!」


 一息に言い切り、俺は通話を切って、スマホを沈黙させた。

 

「ごめんね、うちの母親が……」

「ああ、いいよ! 全然! 私たちも突然言われてちょっとびっくりしちゃっただけで、ね?」

「ん。嫌だったとかそういうのじゃ全然ない」

「そう言ってもらえると助かるよ……」


 なんだろう……朝にあった倦怠感が戻ってきた気分だよ。

 がっくりとしていると、芹沢さんが俺の顔をじっと見つめてから、ぽそっと呟いた。


「……ゆー君」

「んぐっ……!」

「普段そう呼ばれてるの?」

「べ、別に普段からじゃないん、だけどね……? 昔はそう呼ばれてて、今は恥ずかしいからやめてって言ってるんだけど、結構な頻度で出ちゃうみたいで……」

「ゆー君。可愛い呼ばれ方してる」

「やめてよ乃愛まで!」

「いいじゃん。可愛いよ? これから私もゆー君って呼ぼうかなー」

「勘弁してよ! 言っとくけど冗談じゃないからね!?」


 最悪だ! 母さんめ、マジで恨むからな! 

 

「あー今すぐ謎の怪電波でこの場にいる全員の記憶が消えればいいのに……」

「そこまで!? というかそれだと優陽くんの記憶も消えるけどいいの?」

「……こうなったら死なば諸共だよ」

「ごめんごめん、からかい過ぎたね。お詫びにおかゆ作ったげるから許してよ。お腹空いてる?」

「……空いてる。朝からなにも食べてない」

「おっけ。じゃあ、座って待ってて」


 芹沢さんはテーブルに置いていたレジ袋を手に取り、キッチンに入っていく。

 それから、エプロンを身に着けてヘアゴムを咥え、髪をひとまとめにした。


(やっぱ、学年でも1、2を争っているレベルの美少女が、自分の部屋でこうして制服のままエプロン着てるって信じがたい光景だよね。今更だけど)


 なんとなくぼーっと見ていると、芹沢さんがレジ袋の中から色々と取り出し始める。


「お醤油と洗剤って確か切れかけてたよね? 予備買ってきたから、詰め替えとくね」

「え、本当? 助かるよ、ありがとう」

「いいえー。冷凍ご飯使っちゃってもいい?」

「うん」

「あ、冷凍ご飯もなくなりそうだから、ついでにご飯炊いちゃうよ」


 芹沢さんがテキパキと準備を進めていく。さすがの手際だ。

 やることもないので、キッチンで動き回る芹沢をなんとなく眺め続けていると、隣に座っていた乃愛がくいくいっと袖を引いてきた。


「ん? なに?」

「空ちゃん、凄く手際がいい」

「うん、そうだね。まあ、芹沢さんって自炊も普通にしてるから」

「ここ、優陽くんの部屋なのに、どこになにがあるかも把握してる」

「俺の次にこの部屋のキッチンを使ってるのは芹沢さんだからね」


 過言じゃなくて、実際そうだ。

 

「……優陽くんは、女の子は料理が出来た方がいいと思ってる?」

「え?」

「その方が、嬉しい?」


 なんで急にそんな質問をしてきたんだろう?

 疑問に思ったけれど、乃愛の瞳にはどこか真剣な雰囲気があったので、俺は疑問を引っ込めて考えてみる。


「うーん……いや、別に出来なくてもいいんじゃない? 出来ない人だっているのが当たり前だしね」


 というか俺自身も出来ないことの方が多いのに、それを棚に上げて相手に求めるなんて、そんなこと選べるわけがない。


「だから、少なくとも、俺から相手に料理が出来てほしいって求めるようなことはしない、かな」

「……そう」


 告げると、乃愛はきゅっと唇を結ぶ。

 それがどういう感情なのかは読めないけど、悪い感情じゃないことは、なんとなく伝わってきた。


 それから、乃愛が「ん」となにかを考えるような仕草を取り、なぜか俺の方に少しだけ身を近づけてくる。

 拳1つ分空いていた距離が、その半分くらいに縮められた。


(……なんで寄ってきたのかは分からないけど、俺って一応病人だし、うつしたらまずいし離れた方がいいよね)


 そう考えた俺は、乃愛が寄ってきた分だけ距離を離す。拳1つ分の距離なんて正直大差ないと思うし、マスクもしてるけど、うつさないようにするに越したことはないはず。


 すると、乃愛は少しだけ首を傾げ、また距離を詰めてきたので、俺はまた離す。

 

「……なんで距離を取るの?」

「いや、俺一応風邪だし。うつしたら悪いから。そっちこそなんで近づいてくるの?」


 乃愛の方こそ近づいてくるような理由はないはずだ。


「………………そういう気分なだけ」


 問いかけると、長い長い沈黙の末に、よく分からない答えが返ってきた。

 今度は俺が首を傾げ、乃愛を見つめ返すと、乃愛はふいっと目を逸らす。……なんなんだ、一体。


 そんな疑問も、芹沢さんが作ってくれたおかゆを食べ終える頃には俺は、すっかり忘れてしまっていた。

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