第72話 暗闇の中で

「きゃあっ!?」


 暗闇の中から、芹沢さんの驚く声が聞こえてくる。

 俺も驚いたけれど、咄嗟のことで肩を跳ねさせるだけで声は出なかった。


 暗くなった世界で、バクバクと鳴る心臓のあたり。抑え、気持ちを落ち着けていく。


「び、びっくりした……今の雷、かなり近かったね」

「うん。多分今の感じだと、このあたり一帯が停電してるのかも」


 俺は手探りでローテーブルに置いていたスマホを探り、ライトを付けた。

 それから、窓の方へ向かい、外を確認する。

 やっぱり、電気はどこも点いていなかった。


「……君、ちょっと冷静過ぎない? 落雷した時も声も上げてなかったし」

「いや、ちゃんとびっくりしてたよ? タイミング逃して声出なかっただけで」


 スマホを伏せてライトを上にした状態でローテーブルに置くと、周辺がほんのり照らされる。

 

 俺がソファに再び腰を落ち着けようとしたタイミングで、また大きく雷が鳴り、一瞬だけ外が明るくなった。


 そこで、芹沢さんが少しビクリとしたのが目に入る。


「……もしかして、雷怖い?」

「えっと、あはは……バレた? 実はそうなんだよね。プラス暗いのも結構苦手だったり……」

「え、そうなんだ。あれ? じゃあ林間学校の肝試しの時大丈夫だったの?」


 藤城君は確か怖がってはいたけど、抱きついたりはなかったって言ってたよね?

 まあ、男友達に抱きついたりするのはさすがに避けるだろうから、ひょっとして相当我慢してたのかな?


「頭の中でひたすら好きなラノベの展開を般若心経よろしく文字に起こして朗読してた」

「なにその妙技」


 藤城君がアピールの機会をうかがっている大事な時にこの人そんなことしてたのか。

 衝撃の事実過ぎる。


 そこでまた、窓の外でゴロゴロと空が鳴った。


「……っ」

「大丈夫? とりあえずスマホでなにか音楽でも流すよ。それかアニメ見る?」


 言いつつ、スマホに手を伸ばすと。

 薄暗い視界の中で、横から伸びてきた手が控えめに俺の袖をちょこんと摘んだ。


 怪訝に思いながら、手が伸びてきた方を見やれば、眉を下げてしおらしい顔をした芹沢さんが「……それでもいいけどさ」と伏し目がちに呟いて、顔を上げた。


「少しの間だけ、こうさせててくれないかな……?」


 俺は一瞬だけきょとんとして、ふっと笑みを漏らした。


「このくらいなら全然いいよ」


 これだけで怖さが柔らぐというのなら、袖の1つくらいいくらでも貸そう。


「ありがと。いやー雷は昔を思い出すからどうしても苦手なんだよね」

「昔?」

「うん。……小さい頃ね。学校から帰ってる最中に急に大雨が降ってきてさ」


 芹沢さんが窓の外をぼんやりと眺めつつ、話し始める。


「だから一緒に帰ってた友達の家に避難させてもらったんだけど、雷が落ちた瞬間、その友達が泣き出しちゃってね」

「うん」

「そうしたら、その子のお母さんがその子を抱き締めて、だいじょうぶだいじょうぶって優しい声をかけながら、その子を頭を撫でてさ」

「……うん」

「それがどうにも羨ましかったんだよね。私は家に帰っても誰もいないし、お手伝いさんだって毎日いてくれるわけじゃないし。台風とか雷が鳴ってる時に限って、1人でね」

「うん」

「それから、なんか友達の家に遊びに行くのも控えめになったんだよね。大抵の家には、お母さんかお父さんがいて、ズルいなーって気持ちになっちゃうから。今よりも全然気持ちのコントロールも出来なかった時だったし」

「うん」

「だから、雷は苦手なんだ。そういう思い出とか、1人で部屋で寂しくビクビクしてた時を思い出しちゃうから」

「……そっか」


 別に俺が間を繋ぐ言葉を探さなくても、強風や雨音、それに彼女が苦手な雷鳴が会話の合間を埋めてくれる。

 

 それでも、自分なりに思ったことを言おうとして、芹沢さんが「でもね」と笑い、摘んだ袖をくいっと持ち上げた。


「今はこうして話を聞いてくれたり、袖を掴ませてくれる相手がいるから、平気だよ」 


 また、空が光って音が鳴ったけれど、今度は芹沢さんは驚かなかった。


「……はは、それは大役だ。袖が伸びない程度にお願いしたいかな」

「伸びたら買い換えるから大丈夫大丈夫」


 本当に大役だし、その相手が俺に務まるかは分からない。

 

 けれど、いつか、この役を他の人に……例えば彼女に恋人だったり、別の友達だったりに譲る時が来るまでは、俺の袖で我慢してもらうことにしよう。


 なんてことを考えていると、


「……っ」


 いい加減、この薄暗さにも慣れてきた視界の端で、芹沢さんが身じろぎしたのが見えた。


「どうかした?」

「いやー……えっと……なんでも、ないよ?」

「いや、そんななんでもある感じで言われても……まあ、言いたくないならいいけどさ」


 俺はスマホを手に取り、改めて音楽でも流しながら電子書籍を読もうと、操作し始める。


「……っ〜〜〜!」


 そうしている間にも視界の端で、まるでなにかを葛藤しているように、芹沢さんの身じろぎが加速していく。

 どうしたんだろう。


 さすがに気になってもう1度聞こうとして、スマホから顔を上げると、


「っ〜! もう限界! 優陽くん!」

「な、なに?」

「こ、この歳になってこういうこと言うのももの凄く恥ずかしいんだけどさ……ト、トイレ……付いて来てくれない、かな……?」


 俺じゃないと外の音にかき消されて聞き逃しそうなほど消え入りそうな声が、聞こえてきた。


 俺は、なにを言われたのかが分からずに一瞬だけ呆然としてしまう。

 

 芹沢さんは羞恥に耐えるように顔を赤くして、顔を伏せていた。


「……ごめん。俺にそんなことを言うってことはよほど切羽詰まってる状況だってことは分かってるし、ただでさえ恥ずかしがってるところにこう言うのもなんなんだけどさ。聞き間違えかもしれないからもう1回言ってもらってもいい?」

「………………トイレ、付いて来てほしい、です」

「……行ってくれば? 自分のスマホをライト代わりにすれば行けるでしょ?」

「む、無理無理! 1人で行く途中に雷落ちたらどうするのさ! スマホライトで暗闇の廊下歩くとか1周回ってホラーだよ! というかトイレも電気点かないし!」


 芹沢さんが目をぐるぐるとさせながら、オタクモードさながらの早口で捲し立ててきた。


 だからって男の俺が同年代の女の子のトイレに付き添う方が俺にとってはよほど肝試しだと思う。


 いや、付き添うだけでなにを大げさな、と思われるかもしれないけど、考えてみてほしい。


 そういう目的で付いて行ってる時点で割と意識してしまうのに、その上横でトイレに入られて、完全に意識しないことなんて出来るのかということを。

 人によるだろうけど俺は無理。


(けど、本当に切羽詰まってる感じだしなぁ……)


 ……仕方なし。


「……着いていくのはいいけど、ヘッドホンはさせてもらえる?」

「……そうしてもらえるとこちらとしても助かります」


 話も終わったところで、芹沢さんが本当に我慢の限界にならない内に、袖を摘まれた状態でトイレに向かう。


 芹沢さんがトイレに入るのを気まずい心境で見届けつつ、俺は鼓膜が破けんばかりの音量でヘッドホンから音楽を聴き始める。


 サビを聴き終えたくらいのところで、横で扉が開き、中から慌てた様子の芹沢さんが飛び出してきて、抱きついてきた。


「な、なにっ!? どうしたの!? 虫でも出た!?」


 ヘッドホンを外しながら尋ねると、少しばかり涙目になった芹沢さんが俺を見上げてくる。


「雷落ちたんだよ!」

「……あ、そうだったの?」


 音楽爆音で聴いてたせいで全然聞こえなかった。

 

 芹沢さんは涙目で「超びっくりしたぁ……」と声を漏らしていて、まだ気が動転しているのか俺に縋りついたままなのに気が付いていないらしい。


 つまりは今の俺は柔らかさといい匂いに襲われている状況ということなわけで。


(うわぁあわぁああわぁぁぁぉあっ!?)


 叫びたい気持ちでいっぱいだった。

 というかよく堪えたと思う。


 とにかくこのままだとなんかもう色々と危ないし、芹沢さんもヤバいので、俺は「……も、戻ろっか」と伝わってくる体温と柔らかさを努めて意識から追い出しつつ、そう提案する。


 芹沢さんはこくこくと高速で頷いて、もう肩に寄りかかったまま、俺の横を付いてきた。


 足早にリビングに入ったところで、パッとリビングに明かるくなった。


「「……」」


 俺たちは至近距離で顔を見合わせ、


(遅いよ! もう少し早く点いてほしかった……!)


 多分、理由は違うと思うけど、考えていることは一緒であろうことを心の中で叫んだ。

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