第58話 空ちゃんってどんな人?

「……っ!?」


 俺は咄嗟にジュースを吹き出しそうになったのを堪える。

 気管に入ってしまい、咽せそうなのを堪えながら、必死にジュースを喉へと押し流す。

 

 炭酸じゃなくてよかった。炭酸だったら絶対気管に入った時点で噴射してる。


(……今のほぼクリティカル染みた発言に、乃愛は一体どういう対応するんだろう)


 さすがに全部を我慢するのは無理があったので、怪しまれない程度に軽く咳き込みつつ、2人の様子をこっそりとうかがう。


「ん。よく知ってる」

「ほんとに!?」

「ん。私は登録者数1桁からの古参。声と話し方が似てるからシンパシー感じてた。だから、人から似てるって言われるの嬉しい」


 すげえ! 眉1つ動かさずしれっと言ってのけたよ、この人! さっきまでの狼狽えっぷりが嘘のような見事なポーカーフェイスだ!


 思わず拍手しそうになってしまうほどに、乃愛は堂々としていた。

 そのお陰なのか、芹沢さんは今の発言に微塵も疑いを抱いていないように見える。


 それどころか、同志を見つけたと言わんばかりに喜んでいた。

 まあ、自分が好きなものを好きな相手を見つけた時の嬉しさはオタクならよく分かる。


「いいよねーのえるん! 私あの子の歌が特に好きでさ! あ、もちろん全部好きなんだけどさ! その中でもやっぱりあの普段の抑揚の少ない淡々とした話し方からは想像がつかないほど感情豊かな歌声だよね! それと——!」

「……う、うん」


 オタクモードに入って怒涛のマシンガントークをかます芹沢さんと、勢いに押されて引き気味に相槌を打つ乃愛。


 そろそろ止めておいた方がいいか。

 

「それからそれから——!」

「はいストップ。同志を見つけてテンションが上がるのは分かるけど、乃愛がついて来れてないから」

「……あ。ごめん、つい! 同性で語れるのが嬉しくて!」

「ん。平気。ちょっと引いただけ」

「引きはしたんだ!?」


 ふむ。

 最初はどうなることかと思ったけど、今の会話の感じを見てる限り、これなら大丈夫そうかな。


 どうやら2人が仲良くなれそうなことを感じ取った俺が内心で安堵していると、


「ごめん、優陽くん。ちょっとお手洗い借りるね」

「うん。どうぞ」


 芹沢さんがリビングから出て行って、俺と乃愛は2人になった。

 すると、乃愛が声をかけてくる。


「優陽くん」

「ん? なに?」

「……空ちゃんってどんな子?」


 その質問に、俺は少しきょとんとしてしまうものの、すぐに頭に浮かんだ答えを口にした。


「いい人だよ。俺なんかと仲良くしてくれてるわけだしね。というか悪い人なら俺がずっと部屋に上げるわけないでしょ?」

「……ん」


 乃愛がこくんと頷く。


「乃愛はどう感じたの?」


 尋ね返すと、乃愛は少し逡巡した様子を見せてから、口を開いた。


「……陽キャは苦手だけど、悪い人ではない、と思う」

「そっか」


 それだけ聞ければ十分だ。

 けど、こんな短時間で乃愛が心を開きかけてるなんて……さすがは芹沢さ——。


「白峰のえるのことをたくさん褒めてくれる人に悪い人はいない」

「……」


 違った。さてはこれ、ファンに好き好き言われてちょろくなってるだけだな?


「……でも、そのことだけどどうするの? あの分だと芹沢さんが気がつくのは時間の問題だと思うけど」


 今のところ乃愛の堂々とした態度とテンションでただのそっくりさんだと思っているだけで、あそこまで激ハマりしているなら、いずれは例のYちゃんの動画へと辿り着いてしまうだろう。


 乃愛と出会った経緯は話していないけど、ご近所さんであることはさっき知られてしまったし、あの動画を見たらYちゃんイコール俺だということは自然と勘付くと思っていい。


「ん。だから、どんな人か聞いた」

「……? ごめん、話の流れがよく分からない」

「……白峰のえるの正体を明かしていい相手か確認したかった」

 

 思わぬ言葉に「え」と声が漏れ出てしまう。

 それから、乃愛の考えが読めない俺は、怪訝な目を彼女に向ける。

 乃愛は、そんな俺の視線に温度を感じない青い目を向けてきながら、呟いた。


「私の知らないところで気付かれて、口止めする前に誰かに言い触らされでもしたら困る。なら、先んじて正体を明かしておいて、釘を刺して置くのが得策だと思った」

「あ、ああ。そういうことか」

「ん。だから、優陽くんの口から空ちゃんのことを聞く必要があった」


 乃愛はそこで、ちらっと芹沢さんが出て行った扉を一瞥してから、トーンを落とした声音で話を続ける。


「……例えば今ここで、空ちゃんが私にとって害を成さない信用出来るムーブをいくらしたとしても、きっと完全には信用出来ない」

「……まあ、たった数時間で相手を信用しようなんて難しいことだし、それが普通じゃないかな?」


 特に、乃愛は人との距離感を測ることに苦労して、人間関係が上手くいかずに、結果として学校に行かなくなった過去もある。

 慎重になるのが当然だ。


(……まあ、その割に俺とは凄い勢いで友人関係を構築することになったんだけど)


 それは乃愛が勇気を出した結果なので、そこについてなにかを言うつもりはないけれど。

 多分、火事場の馬鹿力的なもので、何度も出来るようなものじゃない。


「だけど、優陽くんの口から言われたことなら、ちゃんと信用出来るから」

「……そっか」


 正直なところ、どうして乃愛がここまで俺を信じてくれるのかは分からない。

 でも、信じてくれるというのなら。


 俺に出来るのは、その信頼にちゃんと応えることだけだろう。

 

「大丈夫だよ。芹沢さんはいい人だから。彼女は人の嫌がることは絶対にしないし、約束は守ってくれるよ」

「……ん」


 こくり、と静かに頷く乃愛。

 それを見た俺は、


(って、付き合いの短い芹沢さんのことを全面に信じちゃってる辺り、俺も乃愛のことを言えないか)


 密かにそんなことを思いつつ、こっそりと苦笑するのだった。

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