くるみ割り人形

ツキノワグマ

くるみ割り人形

 電車の扉が開き、冷たい外気が私の首元をさする。すし詰め状態になって暑苦しくなっていた私の身体は早くも芯まで熱を奪われてしまった。押し出されるようにして改札を出ると、周りがクリスマス一色に染まっていることに気づく。点滅するLEDは網膜を焼き、陽気な音楽は精神を削る。夜が深まり始めいているにも関わらず、若者たちは肩を組んで闊歩していた。私はコートの襟を立て、歩き始める。冷たい風を遮ることは副次効果でしかない。心が劇薬を垂らされたように焼けて、激しく脈打っている。鉛の足では家までどのくらいかかるのだろうか。それでもバスやタクシーは、私を拒み続ける。


 大通りを逸れて脇道に入り、人の居ない方に進む。家に近づくことが目的なのではない。世界から隔離されたどうしようもないものを探しているのだ。まあ、テイルチェイシングの一種であることに変わりはない。私の代わりはいない、完全上位互換はたくさんいるが。私が私である理由もまた私だからである。


 辺りはもうすっかり知らない道である。来た道も分からなければ、目指す道もない。夜も遅く、住宅から漏れ出る光も無くなった。より寒さが増してきて耳もいたくなってきた。それでも私は歩き続けた。


 ふと、後ろから足音がしているのに気がついた。いつからだろう、こんな道をこんな時間に歩く奴などろくな者はいない。私はここにきて初めて歩みを止めた。後ろの足音もぴたりと止んだ。どうやら私を追いかけていたようだ。恐怖心がないわけではない。諦めに似た何かの方が大きかっただけだ。こんな場所で逃げたところですぐ行き止まりまで追いつめられるのは目に見えている。


 私が一歩歩くと彼も一歩歩いて私が二歩歩くと彼も二歩歩く。彼はまるで要人警護でもしているかのように私のすぐ後ろをついてくる。どんなもの好きが中年おやじの後追いなんてするのだろうか。おやじ狩りの一種か。


 そう思うと途端に後ろの人間の正体が知りたくなった。今の私には奪われる分の金もなければ、抵抗する気力もない。


 ゆっくりと振り返り正体を確認する。そこにはくるみ割り人形がいた。中世ヨーロッパの軍隊を想起させる格好をしている。私と同じくらいの身長はある。まあ、その目がくらむ装飾がある分私よりも見た目の威圧感が増すのだが。

 兵士は特段なにをするわけでもなくただ私を見つめているように見えた。くるみ割り人形なのだから当たり前かもしれないが、瞬き一つせずその場で直立を保っている。

 どうやら相当疲れているのかもしれない。童話のキャラクターが目の前にいるなんて明らかに異常である。いや、もしかしたら追いかけていたのは別の人間で私が振り返る直前でくるみ割り人形を置いただけの可能性がある。私は兵士と相対したまま静かに一歩後ろに下がった。

 作り物のような人形は軍隊さながらの動きで一歩前進し私についてきた。実際に動いているところを見てしまったことで私の中の恐怖心は一気に盛り上がった。

 しかしさきほどからそうであるようにこの人形からは敵意を感じない。まあ人形なのだから当然なのかもしれないが、攻撃の機会はいくらでもあったにもかかわらず攻撃してこない。ということはただ俺を堂々と付け回すタイプのストーカー?それとも兵隊の恰好らしく何かから俺を守っている?

 様々な憶測を飛ばすことはできるが、どれも突拍子のないものばかりだ。


 酒を飲みすぎたな。

 もはやこの状況を飲み込むためにはこう思うしか方法がなかった。

 私は道路端の塀に背中を預けると座り込み休憩することを決めた。とりあえず人形のことは体のお酒が抜けてから考えることにする。ここまで歩き続けていたせいか眠気はすぐにやってきた。まわりは極寒のごとく寒いのに体は熱いほどに暖かい。そうして私はゆっくりと意識を...てば...n... ... ...。




 くるみ割り人形は確かに長い時間そこに立ち続けた。しかし人形がそれを感じるかどうかは人間の知るところではない。そばの男が十分冷たくなったことを見計らうと、そっとやさしくそれを抱き上げどこかに連れて行ってしまうのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

くるみ割り人形 ツキノワグマ @tukino_waguma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ