第9話
「なあ、描いてくれよ。血が飛び散るイラストなんかいっぱいあるだろ?」
現に社会が綺麗になり過ぎた結果、今の十代は喧嘩もせず、血を見たことがない子が増えているとか。人を傷つけたことがない、あるいは、傷つけられたことがない。その反動で血飛沫飛び散るアニメが流行ったりもする。血や痛みという泥臭いものと無縁な世代かー。そのくせ、興味は持っている。
「ぼくは過激性で人を惹きつけるつもりはない」
「どうして? 親父を殺したいほど憎んでいるくせに!」
この嘘つきめ。語尾がきつくなってしまったにも関わらず、Fは穏やかに微笑んでいる。能面演技は終わりか。通常運転なんてやめろ。感情を持たない人間なんているわけがないのに。Fの眉間に仁王像のような皺を浮かび上がらせたい。そうすれば、俺はもっと幸せになれるだろう。うん、待てよ。俺は今幸せではない? そんなことはないだろう。自殺するには早すぎる。
本当にそうだろうか。公募でボロボロ、小説投稿サイトでは流行ジャンルでないために全く読まれない。長文タイトルをつけないと読まれない。内容を全部説明したようなタイトルは苦手だ。カッコイイタイトルは字面もスタイルもいい。けれども、現代人は酷くお疲れのようで、一目見て中身を理解したいらしい。小説投稿サイトは表紙イラストがないので、中身の判断ができる、タイトルとあらすじで読者は読むかどうかの裁判をする。
あー。俺、何も向いていない。毎日書いて出来上がった魂の作品が落選作にしかならないのなら、死にたい。でも、書いている。書けば、生きた証になって存在証明できる? 書いている間は生きているのに、落選したら死にたくなるのは――。
Fのスマホ画像の笑顔の少女は、Fの絵なのにどこか違和感がある。口角が上がっているのに、目が笑っていないように見える。目の部分が弱い。
「これ、ネットの評判はどうなんだ?」
「いいねが千」
千はかなり多い方なのだが、Fが結構な確率で一万いいねを獲得していることを考えると、これは少ない方だ。
「無理して描いたのか?」
「どうだろ? だけど、他の絵師がするように流行の絵柄を描いてみた。勉強だと思って」
「本当は嫌いじゃなかったのか? こういう絵」
「そうだね。得意な方ではないよ。需要があるから描いた。だけど、僕のファンは求めていないみたいだね」
なるほど。ファンは見抜くのか。
「F、書きたくないものを書くことは努力していることになるのか?」
「そうじゃない? でも、ぼくは自分の信念に反して描いたよ。さすがにこれは、下手だったね」
「売れたいって思わないのに、そんなことしたのか」
「うーん。どちらかというと、荒のことを知りたくてね。ほら、荒はラノベで苦労してるでしょ? 書きたくないものも書いてるって自分で言うぐらいだから、そうなのかなって。まぁ、荒が流行作品に踊らされているのを見て、ぼくも流行作品を描いて踊らされてみようと思っただけ」
そう言われてみると、Fの絵はなんだかんだ悪いようには見えない。これが、小説の流行作品を模したものなら吐き気はするだろうか? 絵に関して無頓着でよかった。ゆえに、Fと友好関係を築き続けることができるのかもしれない。
「もし、これに俺がケチをつけたら? 怒らないだろ?」
「そうだね。荒には合わない。ぼくにも合わないけれど、合う人が千いいねしてくれるぐらいにはたくさんいただけだよ」
合う合わない問題。受賞作品でも面白く感じられないときは、合っていないからとはよく聞くものの。ああ、絵も結局そこに行き着くのか。
俺はスマホのメモ帳に即興の詩を書き込む。
〈荒野の橙の太陽は人のいない砂漠を作り、やがてやってきた無敵の旅人の凶弾を目にする。旅人はあまりに多くの死人を生み出し、命を断とうと毒のオアシスを求めた〉
うーん、抽象的で我ながら、下手くそだな。イメージはマッドマックスの世界観なんだけど。でも、マッドマックスに自殺志願者なんていなかったし。あいつら、みんな暴走族は生きるために、あるいは己の欲望を満たすために人を殺す。マックスは復讐のために狂う。だが、本来は暴走族の蛮行を嫌う人物……。
俺は暴走族に憧れていたが、三十過ぎてチンピラにもなれなかった。現実問題、暴走族やヤンキーになるのにも才能が必要なのかもしれない。
喫茶店のテーブルにタバコの焦げた跡があって安心する。喫煙可能だった時代の残痕だろう。こうして、時は移ろい、古い人間が残される。うん、詩に使おう。小説本編には使いにくい、寒い一句だ。
「Fが合わないと思うものは何だ?」
「それは、色々あるよ。ぼくが回りくどい話をすると嫌がる女子とか」
「あー」
「納得した? 絵に関しては、ぼくは同年代の少年少女は描くけれど、大人を表現すると途端に描けなくなるよ。さっきの、笑顔を描くより難しい。大人とぼくの間には断崖がある」
「価値観の違いか? ジェネレーションギャップ?」
Fは抑揚のない声で宣告する。
「大人はぼくを子供という表皮でしか認識しない。もし、ぼくが成熟しているならば、こっちから犯してやるのに」
おー、狂ってていいね。もう一声どうぞ。
「親父さんのせいでそう思うのか?」
Fを怒らせたい一心で悲劇を議題に上げる。
「……そうかもしれないね。だけど、ぼくは親父の一件がある前から、大人になることは深淵を覗き込むことだと思っている。ぼくらが偉大だと思う芸術を大人は許容しない。金にならないものに価値を見出してくれるのは、同じ芸術家だろう?」
上手くはぐらかされた気がする。続けてFは頬を歪めて笑った。
「自分のことを芸術家なんて言ったら語弊があるね」
「ないない。Fは職人気質だ。はっきり言って、商業主義の奴らとは違う」
俺は作家同士にも隔たりがあると思う。プロとアマチュアの壁。はっきりした境界線の一つに、金が発生するかしないかがある。プロは報酬を受け取り、アマチュアは無一文。もしくは、マイナスのままだ。自分で電子書籍化して売ることができるAmazonのサービスに「セルフパブリッシング」がある。Amazonは宅配と動画配信だけじゃなく、誰もが作家として本を売る機会を設けてくれた神ってる会社だ!
だが、実際のところ売れるのは、小説ではなくエッセイやビジネス書だ。無名の個人がフィクションを書き連ねたところでネームバリューもクソもなければ、企業のバックアップもない。表紙やレイアウトは個人で作成しなければならない。イラストであれ画像であれ、ここでもプロとアマの差が生じてしまう。生半端に表紙代をケチると、ただでも売れないものが余計に目に触れなくなるだろう。できるならイラストはプロのイラストレーターさんに依頼しないと表舞台には立てないだろう。電子書籍は、まだ俺も出したことはないが、自己出版した人の苦労話を少しは耳にしている。特に、自分のために書いて、賞に応募するも駄目だったので出すという人の話は興味深い。
出版社が認めないものを自分で発表し、「売る」ことに意味はあるのか? あると思いたい。だけど、それではプロじゃないというのも分かっている。新人賞に落選し、自分で電子出版したものがヒットして出版社が声をかけてきて出版にこぎつけた例も、一件だけ噂には聞いたが。
なんだか、もやもやするよな。俺はきっと、そういうデビューの仕方はできないと思う。そういう幸運に預かる気持ちで書いていたら駄目だと思うし。じゃあ、どうやって目指せばいいんだろうな、新人賞って。佳作でも、審査員特別賞でもいいと思っていたけど、あれは相応しい金賞や銀賞に値しない、でも上手いし、埋もれさせておくのはもったいないという実力の伺い知れる作品に贈られるんだろうな。あー、結局は新人賞の編集さんに、「埋もれさせたくない!」とか「これを推したい!」って心苦しく思ってもらわないといけないのだろう。
その点、自分の光るものなんかを、自分自身で分かるわけなかった。俺だって、文字数だけは馬鹿みたいに書いている。そう、量だけはある。質はずっと書いてると勝手に上がると聞く。でも、そうじゃないだろ。俺、何年書いてるんだよ……。もう、十年以上書いてるっていうのに。
ラノベ作家志望者がたった一年で書籍化とか耳に入るしな。若さは力か。こればっかりはな。今、初心に立ち返り、熱を入れて書いたものもおそらく十年前の自分の好きな作品に則った面白さとなるだろうし。今の流行っているものを見て育ち、その流行りの作品のファンがそれを書いて作家になる……。それがきっと正解で理想なのだろう。時の人と言う奴かもしれない。
周囲の書籍化が決まると胸が締め付けられそうになる。Twitterは毒だ。俺が四作落選している間に、数人がデビューしている。なんてざらだ。未だに慣れない。SNSが普及して、俺もTwitterをはじめて二年だけど。
液晶画面の真っ暗なスマホに映る自分の眉が、情けなく垂れさがっている。いや、普段から眉の周りの筋肉を使わないから、感情の起伏に眉毛がついてこられないんだろう。俺も大概、対面での人付き合いは少ない方だしな。
「ね、荒もさ。自分の思い通りにしたいなら素直に言えばいいじゃない?」
「なんだよ急に」
Fは、スマホの画面についた指紋を丁寧にハンカチで拭った。ハンカチ王子とか古いぞ。店内の冷房のせいで鳥肌が立つ。寒すぎるためか、店内は男性ばかり残っている。
「荒は悔しいんでしょ? ぼくより悔しがっているって意味ではきっと、本物だよ」
「どういう意味だよ」
「ほら、ぼくは荒みたいに表情を上手く出せないからね。色々と不便なことが多かったからこうしているだけで。ぼくは何かにつけて無難に処理することができるけれど、それ以上じゃない。ぼくは絵で稼ぐ気はないでしょ? 同じようにぼくは進学して医大に入るだろうけれど、不安なんだよ。先生は余裕で合格ラインだって褒めてくれるからそこは心配してないんだけど」
「お前が心配ごとかよ」
「今日のぼくは言葉選びが下手だね。確かに、心配はしていない。努力せずとも合格できると思う」
「ほらな」
化け物だもんな。何をやらせても完璧にこなすはずだ。
「だけど、僕は医者になったところで、木偶の坊だろう。医師法十九条の「応召義務」なんか無視しかねないぐらいには、人を救いたいと熱望することができないんだ。恐らく義務的に人の生死を扱うだろうね。魚を捌くときみたいに人肉にメスを入れて、仕方なく救っていく感じ。実際、応召義務なんか破っても法律で裁かれないんだけどね。あ、でも過失扱いになったら損害賠償請求されるか。まあ、払う金はいくらでもあるんだけど」
よっ。金持ちのボンボンめ。
「そこでぼくはいつも将来について自問するんだ。何のために人を救うのか?」
俺は思わず吹き出した。こいつ、ほんと最高だ。能力を持て余している。何にでもなることができるのに、何もなれない。だから、こいつが好きだ。
「ぼくが人命救助している未来が見えるかい? おそらく僕は徹底的に職務を全うするだろう。熱意もなしに。冷酷無慈悲な仕事ぶりを展開しているはずだよ」
医者になってから言えよと思うが、聞いていると胸が弾むほど愉快なので突っ込まない。
「そこでぼくは自問する。人を救いたい気持ちもなしに処置することと、仮に何も処置しないで見殺しにすることは同じことなのではないのか。あるいは、スクランブル交差点で何もせず人の流れを凝視することと、自分の中にある深層心理に従い無差別殺人を演じてみることに差異はないのではないか」
お、ついにきた! Fは深層心理に殺人欲求を飼っているんだ! 俺の目に狂いはなかった! 死にたがりFは名前の通りだ。Fの堅苦しい言い回しは嫌いではない。スクランブル交差点と言えば喧騒のランドマーク、事故の宝庫だ。
「なあ、F。今の気持ちを即興で絵に描いてみてくれよ。あ、見る人のことは一切考えずに自分の思うようにな」
「なに、その心理テストみたいな。言っとくけど、ぼくはうつ病すら発症していないよ」
「そうなのか。てっきり……」
言葉尻を濁す。
「知ってる? 病気ってのは認知されて初めて病名が名付けられる。ぼくは今、健康そのものなんだ。死にたいのにね。インターネット上にあるセルフ診断では、鬱病だの、その中でも新型鬱だの診断結果が出るけれど、それさえも医者に提示しなければぼくは健康なんだ」
なるほど! 医者に罹らなければ健康と。それは言えてるかもな。病気は分からないうちの方が活発に活動できる。俺のお袋も乳がんだと分かったときは酷く落ち込んで、病名発覚前夜の方が大学の旧友とバーベキューしてたぐらい健康だったもんな。
肝心の絵の方を考えあぐねいているFは、苦し紛れにアイスティーをもう一杯注文した。店内のホールクロックが来店から四十五分を過ぎたことを示している。それから、五分。アイスティー二杯目が運ばれてくるまで、Fはスマホのイラストアプリの上に指を置いてとんとん叩いていた。スマホ画面にペンの染み。Fはさっとひと拭きして画面を白紙に戻す。ワンタッチで全消去できるのに、そうしなかった。Fは、全ての行動を自分の軌跡として残している?
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