一日目-④  輪廻の中で

——あ……そういえば。


 握っていたお茶のペットボトルを見て思い出し、深々と頭を下げる。


「その……お茶、ありがとうございました」


「いいんだよ。財布、もしそのまま無くしたりでもしてたらもっと大変だったし。……でもまぁ、落としてよかったのかもしれない。なんてったって、少年に出会えたんだから」


——面白い事を言う人だな、俺と出会えたから落としてよかったって……。


「面白い人ですね、野永さんは」


「……ふふっ、そうかい?私は少年の方が面白いと思うけどなぁ……」


 そんな風に少しずつ会話ではあるが慣れて来ていた頃。看護師さんが一人、病棟の方から小走りでこちらの方へやって来るのが見えた。


「野永さん、こんな所にいらっしゃったんですか。はぁ、九時から定期検査だって、今朝お伝えしましたよね。先生が探してましたよ?」


 俺は彼女の発するその言葉に、何か違和感を覚える。気のせいかもしれないが、その言葉にまるで棒読みをしているかのような平坦さを感じる。が、その違和感について深く考えるよりも早く、野永さんが口を開いた。


「あ……すまない、風切さん。すっかり忘れてしまっていたよ。先生にはすぐ行くと伝えてくれないか?」


看護師さんが中庭から戻って行った事を確認し、彼女は俺の目を真っ直ぐ捉えながら尋ねた。


「すまない少年、行かないといけないみたい。……その、よかったら私の話相手になってくれないかい?」


 その言葉に、俺は言葉に詰まる。もし次会うことがあったとしても、その彼女は俺のことを知らない野永春音だ。なんとも馬鹿らしい話だが、それが当たり前の毎日になりつつあるのがこの世界なのだから。


——でも……。


 それでも、少しだけ。ほんの少しではあるけれど、忘れて欲しくないと思ってしまう自分がいた。意味のない無駄な事だとは分かっているはずなのに。


「……はい」


 そしてその時になってようやく気がついたのだった。俺はこの時間が終わってしまうのが惜しいと思っている、主体的に彼女と話したいと思っているという事に。自分がやっている事をどこか他人事のように俯瞰してしまっていた「いつも」とは、明らかに違っていた。


「ありがとう。じゃあ、、ね」


 そう言うと彼女は残っていたコーヒーを飲み干し、空になった缶をゴミ箱に投げ込んで病棟の方へと戻っていった。ベンチには俺一人が残される。特定の人とまた話したいと思えたのは、久しぶりだった。

 だが、また彼女に会えるかは分からない。そもそも財布が落ちていたのも、きっと何かしらの俺の行動に起因しているはずなのだ。だってこの世界は、俺が何かしらの新しい行動をしない限りずっと全く同じ二〇二二年六月十日を繰り返し続けるから。つまり、俺がが何なのかを突き止めて、その行動をしなければ、今日今回以降は彼女の財布があの時間、あの場所に落ちているという事象はまず、起こらないのだ。逆に言えばが分かれば今日以降も彼女に会うことができる……。

 

 問題はその行動を突き止める方法が一切ないという事だ。


 いや、財布に関わらなくとも、関わることは一応はできるかもしれない。しかし、必ずしも今日みたいに話せる関係になれるとは限らないし、そもそも財布を拾わなかったら話す機会すら無かったかもしれない。


——とりあえず今は暇になったし……やる事も無いしなぁ、学校でも行くか……。


 ペットボトルの底に残っていた少しぬるくなったお茶を一気飲みして、先程彼女がやっていたのと同じようにペットボトルをゴミ箱に投げ込んだ。

 病院から出て、「桜花閣病院前」バス停の時刻表を確認する。

 完全に忘れていた、ここがど田舎であることを。昼間のバスは一時間に一本しかない。朝と夕方は十分に一本ぐらいのペースであるのに。しかも、今は九時十二分。ちょうど十分前ぐらいにバスが出てしまったみたいだった。


——最悪だ……。


 ここから学校まで歩いて行くとだいたい四十分ぐらいかかる。で、もしバスを待つとするなら次の便は約五十分後。もちろん五十分間、やる事なんて無い。だからと言ってもこの暑さ中、四十分歩くのも流石に気が引ける。


——あ、家に帰るのもありか。


 咄嗟にひらめき、鍵があるかを確かめようと肩に掛けていたバックの中を漁ってはみる。鍵は……家に忘れたようだった。


——……。


 自分の不用心具合と運の悪さに深いため息が出る。

 しかもひどいことに、この近くに気軽に時間を潰すことができるようなコンビニなども無い。だが、立っているだけでもここまで汗ばんでくるような暑さの中、何もしないというのもとても馬鹿らしく思えてしまう。学校の方へと続く傾斜のきつい坂を眺めているとそれまで我慢していた言葉がついに漏れた。


「流石はど田舎……」



———四十分後


 結局歩いたことで汗だくになりながらも、俺はどうにか学校に辿り着く事ができた。歩かなきゃよかったと一瞬激しく後悔したが、どうせバスを待っていたとしても同じように後悔しているのが容易く想像できたためもう気に止めないことにした。

 下駄箱で靴を取り換えながら、俺は先程の考えを再び脳内で転がす。彼女、野永春音は一体何者なのか?俺はこれからどうしたいのか?当たり前だが、結論は出ない。

 そして、階段の踊り場に差し掛かった瞬間だった。視界が人らしきものを捉えた直後、全身を衝撃が襲った。


「うわぁ……!」

「うっ!」


 聞こえた声は俺の発した物も含めて、二つ。そして、階段にノートが散乱しているのが見えた。衝撃が荷物を持っていた人との衝突によるものだと分かるまでに、大した時間は掛からなかった。


「ごめん!大丈夫か?」


 ぶつかった人は俺よりも先に立ち上がって、俺に対して手を伸ばしてきた。高一の時同じクラスだった、霞ヶ浦佑介という奴だった。どうやら手を貸してくれるらしい。


「あ、うん。俺のほうこそごめん、ちょっと考えごとしてて……」


 衝撃でまだ若干頭の中がグラグラしていたこともあり、手を借りて立ち上がる。

 この霞ヶ浦佑介というやつは校内で相当な有名人だ。佐川亜里沙っていうめっちゃ可愛い女子と付き合っているのと、超有名人なのに、気取ったりすることもなく関わりやすいからというのが理由らしい。

 そして……俺はコイツの事が嫌い。去年の文化祭、この学校で言う禊凛祭ぎりんさいがきっかけで佐川さんと交際を始めるまでは俺と同類だと勝手に決め込んで勝手に嫉妬していたのだ。


 、と言うのは、去年の学園祭での出来事。さっきも出てきた佐川さんと霞ヶ浦が付き合い始めたきっかけとなったことだ。当時、今で言う霞ヶ浦のようなポジションだった榊原玄弥っていうナルシスト野郎いた。まず、ソイツが佐川さんに告白したが、振られた。普通だったらそこで引くだろうが、奴は何故かキレて屋上から佐川さんを突き落とそうとし、それを霞ヶ浦が直前で止めたらしい。俺はその様子を実際に見ていないから詳しくは知らないが、相当緊迫していたそうだ。で、その一件は瞬く間に知れ渡り霞ヶ浦は当然ヒーロー扱い。あまりにも新聞やテレビの取材がしつこすぎて周辺住民とマスコミが揉めていた覚えもある。

 その後紆余曲折を経て、付き合い始めたんだとか。


——いいよなぁ、そんな主人公みたいな活躍ができるのって……。当時は可愛い女子助けて、彼女できたからって調子に乗ってんじゃねえよとか思ってたっけ。榊原玄弥は快活の貴公子って呼ばれる顔は嘘だったけど、真っ先に他人の心配ってお前はほんとに良いやつなんだな……。


 そう思っていた所で一人の女子が俺たちの方へと駆け寄ってきた。


「え……!?ゆう君!刺沢君!大丈夫?」


——愛しの彼女さんのご登場だぞ、霞ヶ浦。未練がましくなるけど、佐川さんの事絶対幸せにしろよ。仲良く……。


というワードが頭に浮かんだその瞬間、ズキッと酷く頭が痛んだ。


「っ……!!」


 霞ヶ浦ががふらついた俺の体を支えた。


「刺沢、大丈夫かよ!?保健室行った方が……!」


「し、刺沢君!?大丈夫!?」


——大丈夫だ……!問題ない。


 彼らの声が少し遠くに聞こえるような感覚になりながら心配をかけないよう、俺は作り笑いを浮かべて答える。


「大丈夫、心配すんなって。俺、今日元々調子良くなくてさ、ちょうど今から保健室行こうと思ってたんだわ。霞ヶ浦の方こそ平気か……?」


「俺は大丈夫……だけどお前は?保健室まで送ろうか?」


 もうこれ以上……彼らに迷惑はかけられない。


「大丈夫大丈夫、一人で行ける。ごめん、本当に心配かけて」


 そう言って、散乱しているノートを拾う。


「気にすんなって!ダチの心配するのは当たり前じゃんか」


 霞ヶ浦はそう言ってニカっと笑った。


——“ダチ”……か。そうか、お前は俺のことを友達だと思ってくれてたんだな。それなのに、俺は……。


 お前みたいな主人公と違って、俺はただ同じ日を繰り返しているただのモブキャラだ。俺は、ずっとお前みたいになりたかったのかもしれない。結局ノートを拾い集めた後、霞ヶ浦と佐川さんは俺を保健室の近くまで送ってくれた。


「ありがとな」


 その時自然に出た言葉は感謝の言葉だった。

 

 じゃあな、霞ヶ浦。俺の

 さよなら、佐川さん。俺の……

 二人が見えなくなった所で、俺は下駄箱へと向かう。その歩調は段々と早くなって行く。



 全速力で学校の門を走り抜けた俺の頭の中にはそんな言葉が響いていた。


——なんで俺はこんな意味不明なループに巻き込まれてんだ……?


 そう改めて怒りが込み上げて来るのと同時に、彼を執拗に妬んでいたかつての自分を嫌悪する。こうでもしないとこの六月十日に呑まれるなんて下手な言い訳をしていた自分の事を。


——あれ……?


 自分の考え方が少し変わっている事に気がついた事で注意が散漫になっていた俺は、さしかかったT字路で飛び出してきたバイクに反応する事ができなかった。


——え……。


 何が起きたか理解するよりも早く、バイクの先端が体に食い込む。徐々に自分の内臓が押し潰されているような気持ち悪い感覚が伝わってくる。


——あ、ダメな奴だ、これ……。


 そう思った途端、後ろの方へと意識を引っ張られるような感覚に襲われる。その感覚は惑うこと無き、ループ発生時のものだった。


——もう、繰り返したくねぇ……。どうせなら……このまま俺を逝かせてほしい。いや、逝かせろ。逝かせてくれよ……!


「お、おいボウズ!!大丈夫か!?おい!」


 バイクに乗っていたサングラスのおじさんがバイクそっちのけで、こちらの方に駆け寄って来る。


——あぁ、また迷惑かけちまったんだな……。


 遠のきかける意識の中、体がだんだん軽くなって行くことだけが鮮明に感じられた。時間が経つにつれて周りに人が増え始め、やがて救急車の音が聞こえて来る。



——俺は、どうせ主人公にはなれない……。



 俺の意識は水中に引き込まれるように沈んで行った。



***

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