一日目-③ 揺らぎ
「あ……はい、バス停の所で拾ったので。あと、すいません。持ち主を調べようとして、勝手に中身を見ちゃったんですけど……」
一応、本人の同意なしで財布の中を勝手に見てしまったことには変わりないので先に謝っておく。そして今のところ、さっき色々とガン見しちゃった事はばれてない……はずだ。
「ん?あぁ、別に気になんてしないよ。おかげでこうやって手元に戻って来たんだ。どうもありがとう、まk……少年」
——え、可愛い……。
ふわりと笑った彼女の笑顔は、まるでモデルか女優かをしていてもおかしく無いんじゃないかというレベルで可愛かった。俺は思わずその姿に見惚れてしまっていて、相手の言葉をきちんと理解できているとは言い難かったと思う。声も透き通っていて、ちょっと低めでかっこいい。かっこよくて、さらに可愛いだなんて……なんかもう、色々と俺の価値観のパラメーターがぶっ壊れてしまいそうだ。
「い、いえ……」
——やばいな……おかしい。
自分の顔が焦げてしまうんじゃないかってぐらいに熱い。脳が熱気に包まれているかのようで、考えが上手くまとまらない。
——もう、なんかいつもみたいに立ち回れる気がしない。だめだ、今日は早く切り上げよう……。
「ではえっと、俺は帰ります……ね」
踵を返しその場からそそくさと退散してしまおうとした、次の瞬間。
「えっ……?ま、待ってくれ!」
そう言って野永さんに腕を掴まれた。
刹那、二人の間を気まずさに支配された空気が充満する。俺も彼女も何か言うこともできずに沈黙だけが、只続く。周囲の騒がしい音がやけに遠くに聞こえていた気がした。彼女の吸い込まれるような瞳は真っ直ぐ俺のことを捉える。その視線に俺は妙なデジャブを感じた。
——なんだろう……俺は、知っている気がする。この瞳を……。どこだ?どこ……で……?
ゆっくりと流れる時間の中で、脳だけがいつもとは全く異なる回転を高速で行う。まるで、掘っても何も出てこない穴を小さなスコップでひたすら掘り続けているかのような、そんな感覚。次第に、そんな自分が自分から遠く離れて行くような、深い海に沈んでいくような気分に囚われ、脳が少しピリピリと痛み始める。
——あぁ、そっか。だから……。
「……少年、今から学校行くのかい?」
その言葉に、はっと我に帰った。
——あれ、今俺は……何を?
何か大事なことを考えていたような気がするのだが、なかなか思い出すことができない。
——で、学校……?何でそんなことを聞いてくるのだろう?いやまぁ……もう今日は行くつもりは無いけど。
「いえ、サボります。今日はもう……なんか行くの面倒になったので」
すると一瞬、彼女がどこか満足げな表情を浮かべたような気がした。が、あまりに一瞬のことだったのでもしかしたら俺の勘違いかもしれない。
「いいね、適度にサボった方が色々長続きする時もあるって言うからね。……じゃあさ、お礼も兼ねてなんか奢るからさ、ちょっと中庭で話さないか?」
——え……。
突然の誘いに困惑し、なかなか返す言葉が出てこない。そして、関わるのはきっと今日だけになるのだろうと思うと、俺は急に胸がキュッと締め付けられた。何故かはよく分からない、だけど……。
——まぁ、いいか……せっかくだし。
「分かりました。でも奢るのは別に、結構ですよ。なんか拾っただけなのに申し訳ないですし……」
なによりもそれを種にして、後から金をカツアゲされたりでもしたらたまったもんじゃない。一瞬、過去の嫌な思い出が蘇りそうになる。
——まぁ……終われば金もまたリセットされるんだけどね……。
そう考えて、自分の平常心をキープした。
「まぁ……それは後でいいや、とりあえず行こう。すまないね……中々話し相手がいなくてさ……」
先を行く彼女の背中を追って、俺も歩き始める。
——こんなに沢山人がいるから話し相手には困らなそうなのにな……。
行きの道すがらすれ違った人達を見て、ちょっと不思議に思いながら。あと、彼女が一歩を踏み出すごとに揺れるポニーテール、その間に見えるうなじに見惚れてしまったことはここだけの話だ。
———
受付のあった第一病棟とは少し離れた第二病棟という場所にそこはあった。今まで第一病棟しか利用してした事がなかった為、当然ここにも来たことはない。
その中庭は中心には大きな藤棚があり、その下にいくつか真っ黒な金属製のベンチが置かれている。少し薄汚い印象を受けた外装とは打って変わり、とても静かで美しい場所だった。それなのに何故か人が誰もいなくて、それも不思議だ。
——春に来たらすごいんだろうな……ここ。
と、満開の藤の花に包まれたこの場所を想像する。もしかしたら二度とそういう物を見れないのかもしれないというこの現実はどこまでも残酷だ。そんなどうでもいい事をぼんやりと考えていると、少し先を歩く彼女がベンチの一つを指差した。
「とりあえず、そこに座っておくれよ。少年」
促されるがままに俺はゆっくりとそこに腰掛けた、と同時に彼女から尋ねられる。
「少年、好きな飲み物は何?」
——結局、奢ってくれるんだ……。まぁいいか……ここは素直に彼女の厚意を受け取っておこう。なんかあってもどうせすぐリセットされるしね……。
「え……。お茶です」
「渋いね、少年。私も好きだよ、お茶。でも少年、高校生っぽいし勝手にコーラとかサイダーを選ぶ物だと思ってたよ」
特にこれと言ってこだわりもなかったのでお茶という無難な選択肢にしたつもりが、彼女にはちょっと意外だったようだ。
彼女は藤棚の隣に置かれた自販機でお茶と缶コーヒーを買うと、俺の右隣に腰掛けた。違うベンチに座るのかと思っていたのに、同じベンチに座られたことで鼓動が少し早くなる。
「はい、これ」
お茶を差し出す左手はスラリとしていてとても綺麗だった。渡されたお茶を受け取ると、まだ少し残る眠気で温まった手にヒンヤリと伝わり気持ちが良い。缶コーヒーに口をつけて一息ついた彼女は、俺がお礼を言うよりも先に話し始めた。
「……少年は知ってるかい?ここの藤、咲いたらとても綺麗なんだ。もう長い間見ていないんだけどね……」
そう言う彼女の表情はなぜかほんの少しだけ悲しそうに見える気がする。
——やっぱり綺麗なんだ……ここの藤……いつかでいいから、見てみたい。
なんてちょっと感傷的になりながら彼女の問いかけに応える。
「俺好きなんです、藤の花。なんか高貴な感じがするっていうか、一途な感じがするっていうか……すいません、なんか痛いこと言って」
——何言ってんだか……俺。
自分でも何を言いたいのかよく分からない言葉になってしまったことに呆れる。だが、彼女はその言葉にどこか感心するような表情を見せた。
「分かるよ。私も好きなんだ、藤。……あ、ちなみに知っているかい?藤の花言葉は、(歓迎)、(優しさ)、(忠実な)、(恋に酔う)、(決して離れない)らしい。だから少年の言う(一途な感じ)っていうのもあながち……間違いじゃないのかもしれないよ?」
何故か(恋に酔う)と言う言葉を聞いた途端、一瞬だけズキンと頭が痛む。そしてまたほんの一瞬、彼女の表情が曇ったように見えた気がした。突然起きた二つの出来事に一瞬困惑するも、俺は彼女との会話を途切れさせたくなくて上手く返事を返す。
「……お詳しいんですね」
「そんな事はないよ。ただ、花が好きなだけ……。あ、そうだそうだまだ自己紹介をしていなかったね。私は野永春音。今は療養のために休学しているけれど、一応大学生だ。少年は……高校生かな?」
——そういえばまだ自己紹介すらしてなかったな。ここまで話してたのにまだお互いの事全く知らなかったとか……なんか面白い。
「あ、はい。ここの近くの桜花閣高校ってとこの二年生です。名前は刺沢牧人って言います」
「あー……あるね高校。あそこも桜花閣って言うんだ……」
彼女は納得したように頷いた。
***
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