[06]ラファエルの結末・後

「オリヴィエ侯爵家は、王命に逆らいはいたしません」


 そんな重苦しい場で、母は唐突に口を開き、場違いなほど朗らかに笑った。


「そうか」


 母が声を出して笑ったのを見たのは、初めてだった。


「ですが、コレットさまに侯爵夫人は務まりません」

「それは聞いております。陛下と皇太子殿下が、全面的にコレットさまの味方についたことで、礼儀作法を教えることができなかったと」


 宰相が同意する。

 コレットは「みんなが、わたしに厳しくあたるの。やっぱり正式な子ではないから……」と言っていた。

 それを信じていた。いや、間違いではないはずだ。

 これからコレットは頑張ると言っていた。そう言いたかったが、言えなかった。


「貴族の夫人になるためには、覚えることが無数にあります。それこそ、厳しく当たることになりますが、陛下はそのようなことは望まれていないのですから、ここは陛下の御心に添う形にするべきかと」


 俺には母の言葉の意図が読めなかった。だが同級生のナルシスの表情がみるみるうちに、曇っていった。


 その表情に不安を覚えた――


「幸い皇家では、コレットさまの振る舞いは容認されているようですので、コレットさまは、このままでらっしゃるべきかと。貴族夫人の決まり事など、コレットさまがコレットさま過ごすためには、必要ありません」


 なんて優しい言葉なんだろう――昨日までの俺が聞けば、母のその言葉に同意しただろう。でも、いまは違う。違うことに気付いたが、なにも言うことができないまま。 


「バルバラの言うとおり、それがよかろう」


 皇太后の一言が後押しになり、俺は侯爵家から婿に出されることになった。


「さようなら、ラファエル。元気で」


 両親はそう言って、俺を残して王宮を去って行った。それだけではなく、後日俺は侯爵家から縁を切られた。

 何故かと父に尋ねたら、


「平民と結婚するのだから、身分がないほうがいいだろう。お前の父としてできる、


 父はで答えた。笑顔だがその表情には、なんの感情もなかった。


 コレットは皇王の娘だが、皇女としては認められてはいなかった――あの時「即位はさせない」という隣国との話し合い。あれはコレットに皇女の地位を与えないと、こちら側が明言し、確約したとのことだった。それを覆すことはできない。

 コレットに皇女の地位を与えたら。そうナルシスが言っていた。

 コレットは王宮に迎え入れられた頃と同じく、平民のまま王宮に住んでいる。そしてコレットと結婚することになった俺もに――


 俺はコレットの夫として、彼女と王宮に住み――住んでいるだけ。

 生活を送ることはできるが、することはなにもない。ただ王宮に住んで、食事を取り、コレットと夫婦としての生活を送り……を繰り返すだけ。


 物心がついた時から、コレットと結婚するまで、自分は騎士となり国の剣となり盾となり――そういう人生を歩むと信じていた。

 コレットと結婚しても、騎士として生きて行くと信じて疑っていなかった。


 だが現実は、何もすることがない――


 なにかすることはないか? なにかしたい。なにかさせてくれ! と頼んでも、誰からも仕事を貰えず。


「コレットさまの夫である以上、仕事をされると困るのです。あなたは国政に関わることは許されていません。あなたを通してコレットさまが、国政に僅かでも触れられては困るので」


 コレットを即位させないということは、コレットを国政から完全に遮断するということ。夫――俺との雑談でも、国に関わる会話は禁止だと。


「コレットさまは、もともと国政には興味のない御方ですので。あなたが黙っていれば、全て丸く収まるのですよ、ラファエル



 起床して朝食を取り、庭を散歩し昼食を取り、読書をして夕食を取り、入浴して酒を嗜み、コレットと同じ床に入る。その繰り返し、変化はなにもない。


 コレットとの間に子どもが生まれることもなく――以前より少しずつ生活の質が落ちている気がしたが、それを聞く相手もなく。理由は思い当たらない……いや、皇太子の婚約者ディアヌが戻ってこなかったことが原因なのかもしれない。


 優秀だと、ナルシスやセザール先生が言っていたから


 起床して朝食を取り、庭を散歩し昼食を取り、読書をして夕食を取り、入浴して酒を嗜み、コレットと同じ床に入る。その繰り返し、変化はなにもない。


 起床して朝食を取り、庭を散歩し昼食を取り、読書をして夕食を取り、入浴して酒を嗜み、コレットと同じ床に入る。その繰り返し、変化はなにもない。


 起床して朝食を取り、庭を散歩し昼食を取り、読書をして夕食を取り、入浴して酒を嗜み、コレットと同じ床に入る。その繰り返し、変化はなにもない――きっと明日も同じ。もう明日のことを考えることすら億劫だ。


 俺はまだ知らなかった。億劫だと思うことすら億劫になる日が訪れることを。そうなっても生き続けることになることを

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