[05]ラファエルの結末・前

 俺は我が儘皇女クラリスのことは嫌いだった。

 我が儘なクラリスは好きではなかったが、


「王命だ。貴族たるもの政略結婚は避けられない」


 貴族がそういう慣わしなのは理解していた。王命なので拒否できないことも理解していた。

 陰鬱な気持ちで、王宮のクラリス皇女の元へご機嫌伺いに上がる――そこで俺はコレットと出会った。

 その時、コレットは廊下の片隅で泣いていた。

 声を掛けると華奢な肩を震わせ、怯えながら俺のほうを振り返り、か細い声で「ごめんなさい」とだけ呟き駆け出した。


 その時のことが忘れられなかった。その瞬間に恋に落ちた。


 でも俺の婚約者はクラリス皇女。この婚約を覆すことはできないと思っていたのだが、仲間たちの尽力と、皇太子殿下のお力で、クラリス皇女との婚約を破棄し、愛するコレットと婚約することができた。



 天にも昇る心地だった――振り返ってみれば、あの時が絶頂だった。あの時までが楽しかった。



 パーティーが終わったあと、コレットと別れるのは名残惜しかったが、これからはずっと一緒にいられると、皇太子殿下に言われた。

 なにより、コレットを虐めていたクラリス皇女と皇太子妃は、王宮ではなく、皇太子妃の実家に向かったらしいので、これでもうコレットが虐められることはないと知り安堵した。


 自宅には母がいた。騎士団長の父は陛下の視察に同行して留守にしている。


「あら、おかえりなさい。ラファエル」


 母はいつもと変わらず、穏やかな微笑を絶やさず。そういうところが、貴族の夫人らしくもあり、なにを考えているのか分からず、俺の苦手なところでもあった。


「ただいま帰りました。急ぎの話があるのですが」

「分かりました。着替えたらテラスにいらっしゃい。お茶を用意してまっているわ」


 母はそう言い去っていった。

 部屋へと戻り急いで着替えテラスへと向かう。日が傾き薄暗い空の下、母と向かい合い――


「なにかしら?」


 紅茶が注がれたカップを手にした母が促す。


「コレットと……いいえ、コレットと婚約いたしました」


 俺は息を吸い、大声で――少し早口になったが、言い切った。


「コレット嬢と婚約? オリヴィエ侯爵家の嫡男の婚約者は、クラリス皇女だったはずよ?」


 オリヴィエ侯爵家の嫡男というのは俺のこと。


「そうでしたが、本日を以て変わりました」

「そうなの」


 母はビスケットを手に取り、口元へと運び――


「決まったことなのかしら?」

「はい、皇太子殿下が宣言なされました。それと皇太子妃が……」


 会場での出来事を語語ろうとしたのだが、


「侯爵が帰ってきたら、報告なさい」


 母はそう言い、ぴしゃりと会話を打ち切った。

 それから三日後、父と陛下が視察から帰って来た。その間、俺はコレットと会っていない。母とは邸で顔を会わせるが、とくに何も言ってこない。


 自分でも分からない不安を感じ、その不安に押しつぶされそうだった。


 コレットに会うことができたなら、この不安も霧散すると思ったのだが――


「そうか」


 当初の予定より二日ほど早く帰ってきた父に、婚約破棄の経緯と、新たな婚約について説明をした。

 もちろん母も同席して。


 前日に王宮から届いた書類を眺めながら、父はそう呟いた。


「その書類は?」

「婚約に関する書類だ。クラリス殿下との婚約が白紙になる通達と、新たな婚約者としてコレット殿を推薦するので釣書を……といったところだな。コレット殿との婚約を受けていいのだな」

「もちろんです!」

「そうか」


 父は書類に視線を落としたまま、溜息交じりにそう呟いた。

 これでコレットと婚約できるのだと浮かれていると、その日の午後に王宮より使者がやってきて、明日の出頭を命じられた。


翌日――


 王宮に到着すると、会議を行う部屋へと通された。

 そこに集められたのは、俺たち一家のほか、宰相一家、神官のセザール先生とお偉いさん。シメオンと養父。他に異国の紳士が三名。学園長と教師が二名ほど。

 皆無言のまま――皇太子と陛下とが入室して、最後に皇太后がやってきた。


「バルバラ。お前の息子はどれだ?」


 挨拶もなにもなく、椅子に腰を下ろした皇太后が母の名前を呼んだ――皇族のみが席につくのだが、皇太子殿下は立ったままだった。


「これでございます」


 母は頭を下げながら、隣に立っていた俺を指し示す。

 俺は皇太后に、上から下まで舐めるように見られ、


「いかにも下民が好みそうな顔だ」


 年輪のような皺が刻まれた顔の半分を扇で隠し、この国でもっとも発言力のある皇太后がそう言う。

 皇太后がコレットのことを下民と呼んでいるとは聞いていたが、怒りを抑えるのが大変だった。


「卒業式での出来事を」


 陛下が促され、学園長が紙の束を手に取り読み上げる。


「……当事者であるお前たち、なにか異論はあるか?」


 学園長の報告は客観的で、まったく私的な感情が含まれていなかった。


「異論はない……で、良いのだな」


 陛下は疲れたように頷き――セザール先生とナルシス、そしてシメオンが立ち会い人をした婚約破棄書類の中に、陛下と皇妃のものが含まれていたことを知らされた。


「皇王が不在で、その権限を皇王自ら皇太子に預けていた。その権限を預かった皇太子によって決定された。これを覆すのは、容易ではない」


 ”サインしたときに気付かなかったのですか!”と皇太子殿下に叫んで詰め寄りたかったが、もちろんそんなことはできない。


 陛下と皇妃の離婚に関する書類だが、すでに皇妃の出身国の大使館に届けられていたので、もうもみ消すことはできない。


「離婚を取り下げてもらうとなるとの譲歩が前提となる」


 宰相の言葉に異国の紳士――皇妃の出身国の大使らしい人物が重々しく頷いた。

 あの場面で、そんなことが起こっていたなんて! 知らなかったんだ! 叫び出したい気持ちを抑え、握り拳に力を込める。


「それよりも先に、下民とバルバラの息子の結婚について決めようではないか」


 皇太后により、俺とコレットの結婚についての話し合いが持たれることになった。この話し合いの席に、皇妃の国の高官は必要ないのでは? と思ったのだが、


「コレットという女の即位は認めない」


 皇王の血を引くコレットが、即位するのを拒否すると断言した――正妻である皇妃の母国には、口を挟む権限があった。

 ……実際はないのかも知れないが、ここで下手に拒絶して、皇妃と陛下の離婚が決定的なものになるのは避けたいのだろう、


「分かっております。よろしいですね? 陛下」


 宰相の言葉に、陛下は黙って頷く。隣国の高官の部下が鞄から書類を取り出し、高官に渡し、そして宰相へと渡す。

 宰相はじっくりと書類を読み、陛下の前へと置いた。


「サインしてください、陛下。大丈夫です、わたしがしっかりと読みましたので、この国にとって不利になることはございません」


 それでも陛下は自分で書類に目を通し、のろのろとサインをした。


「愛人の娘が即位しないのでしたら、お好きにどうぞ」


 書類のサインを確認した隣国の高官の言葉――コレットが皇王の跡を継ぐとしたら、俺ではなく隣国の王子を婿に迎えなくてはならなかった。

 だが皇王は愛するコレットを、自分と同じ目に遭わせたくなかったので、即位をさせないことに決めたのだ。


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