第4話 踏み出す一歩
魚相手に嫉妬なんてどうかしている。
そう頭ではわかっていても、この怒りとも悲しみともいえない不快な気持ちは拭えない。こういう感情をきっと、やきもちというのだろう。
馬鹿みたいだと思うのと同時に、致し方ない気もしてしまう。だって、先輩の魚への愛は相当なものだから。興味関心のほとんどが魚なんじゃないだろうかと思うほどに。
先輩が目を星の瞬きのごとく輝かせるのは後にも先にも魚の話題だけだ……と思う。少なくとも私が知る限りでは。
私は生物室での先輩しか知らない。クラスではどんな感じなんだろう。はたまた学校外では? 家の中では? とか。気になり始めるときりがない。だからこそ、ここ以外の場所で先輩と会いたかったのに。
水槽越しに恋敵をじろりと睨む。当たり前だがどの魚も知らんぷり。どこ吹く風だ。
そりゃあ確かに色鮮やかで綺麗だとは思うけれど、そんなに良いものなんだろうか。目とかちょっと怖くない? 少しグロくない? なんて、先輩の前では口が裂けても言えないけれど。
沈黙が続く。私がずっと黙りこくっているのに、先輩はどうしたの? と聞いてはくれない。
先輩にとって私は取るに足らない存在なのだと自覚させられる。それが心地よかったはずなのに、今は落ち着かないし、耐えられない。
もう一度だけ勇気を振り絞ることにした。スカートの裾をギュッと握る。
「一緒に、行っても……いいですか?」
言い切ったと同時に首から背中にかけて急に汗が吹き出した。あつい。それに、怖い。流石に二度も断られたらへこむ。いや、それだけじゃ済まないかも。沈黙に耐えられずさらに言葉を紡ぐ。
「その、薬! 買いに行くの……なんですけど」
先輩の顔が見られず、視線を下にして足元を見つめる。床には水槽の影と反射した光が映って、微かにゆらめいている。
「えっと、ね」
微かに狼狽えたような、戸惑いを含んだ先輩の声に、心臓がどくりと跳ねた。
「折笠さんには退屈だと思うよ」
「それは……」
そうかもしれない。でもそれは魚の薬を買いに行くという行為のことだけを指していて、それ以上の付加価値を考慮していない場合の話だ。先輩と休日を一緒に過ごすことができるというメリットはあまりにも大きい。先輩と外出、いわばデートだ。内容問わず退屈なわけがないじゃないか。
私が違うと首を振ると、先輩は宥めるような優しい声で、怒ってるわけじゃないよと言った。
「ただ、一緒に行ってもらう理由がない」
拒絶とまではいかないけれど、壁を感じた。
ここで引き下がるべきなのだろうか。そうでないと今度こそ完膚なきまでに、二の句を告げないくらいに拒絶されるのではないか。
見えない境界線が先輩と私の前にあるように思えた。そこから一歩を踏み出すように、私は言葉を紡ぐ。
「理由、あります……よ?」
先輩が瞬きをした。僅かに面食らったような顔。
「前は興味なかったです。でも、ここに来るようになって、でてきたんです。じゃなかったら、今ここにいません……」
嘘ではない。もう無関心ではないのだから。私はしっかりとこの魚──熱帯魚にジェラシーを感じている。紛れもない事実だ。
そして敵を知ることは戦いを制するのに欠かせない。少しくらいどんなものか知ってみるのも悪くないかもしれない。何がここまで先輩を惹きつけるのか。そう思ったのだ。
「……そうだね。ほぼ毎日、部員じゃないのに足を運んでくれてるのに、失礼なことを言ったね。ごめん」
先輩が眉尻を下げて、申し訳なさそうに微笑んだ。表情をあまり変えない先輩の貴重な笑顔を私は脳内に何回も保存した。
「じゃあ、一緒に来る?」
「はいっ」
威勢よく返事をした私を見て、先輩はまた口角を上げた。ほんの僅かな変化でも私は見逃さない。
嬉しい。
先輩は私を受け入れてくれた。そう解釈しても許されるだろう。私は踏み出したのだ。先輩へと。
焦がれる熱帯魚 守田優季 @goda0
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。焦がれる熱帯魚の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます