第36話「君がいない夏は」

 菖蒲の花が咲き乱れる、黄昏時の災禍町さいかちょう


「カ~ラ~ス~、なぜ鳴くの~? カラスはや~ま~に~……」


 誰かの歌が聞こえる。声色からして、女の子だろうか?


「動くな!」

「きゃあ!?」


 しかし、突然の闖入者によって口を塞がれ、途切れてしまった。犯人は小汚い男で、ボロボロの作業服を着ている。垢と汗で塗れた身体は、かなり臭い。


「やっぱり女は子供に限るなぁ!」

「……、…………、…………ッ!」


 そして、少女は抵抗する間も無く、そのままひん剥かれ、頂きますご馳走様された。本当にあっという間の出来事であった。手際の良さから察するに、遣り慣れているのだろう。


「ふぅ……ありがとさん!」

「ぐげっ!?」


 しかも、男は当然の如く少女を殺した。首をへし折って、乱雑に捨ててしまったのである。酷過ぎる。人間じゃない。


「……そう言えば、“あの子”は元気かなぁ?」


 さらに、男は次の獲物を定めたようで、暮れなずむ街並みに消えて行った……。




《今朝のニュースです。児童養護施設「夕幻荘」の元所長、鎗田やりだ 正義まさよしが今朝未明、福間刑務所を脱獄しました》


 ◆◆◆◆◆◆


 閻魔県えんまけん要衣市かなめいし災禍町さいかちょうの一画にある、「彭形寺ほうけいじ」の敷地内。


「………………」


 キツネノカミソリが咲き始めた、とあるこじんまりとした墓の前で、菖蒲峰しょうぶみね 藤子ふじこが手を合わせていた。彼女の背後では様々な屋台が建てられ、夜の祭りに備えている。所謂「盂蘭盆」だ。日が沈めば、赤々とした提灯に照らされた広場に、浴衣姿の祭客で賑わう事であろう。


「……それって、誰の墓なんスか、藤子?」


 熱心に手を合わせる藤子に、柴咲しばさき 綾香あやかが首を傾げる。小さな墓石が多過ぎて、彼女が誰に対して祈っているのか分からなかったである。


「ゲッ○ーサイト」

「“大切な人”ねぇ……」


 だが、藤子ははぐらかすばかり。

 綾香は藤子の彼女を知らない。高校になって知り合うまでは、藤子が児童養護施設で暮らしていたという事だけは確かだ。それ以外は、本当に何も分からなかった。

 まぁ、獄門紅蓮隊は過去を詮索しない掟があるので、綾かは特に追及しなかった。藤子が話したくなるまで待つとしよう。無理に聞く物ではない。


「さ、そろそろ行くっスよ。祭りまで、まだまだ時間があるんだから」


 そう言って、綾香は踵を返した。


「………………」


 藤子もそれに従い、振り返る。

 そして――――――、


「やぁ、藤子ちゃ~ん♪」

「……鎗田、先生」


 藤子は己が属していた児童養護施設の元所長――――――鎗田やりだ 正義まさよしと再会した。本当にバッタリとだ。


 ◆◆◆◆◆◆


 正義には妹がいた。実の妹であると同時に、彼にとっては最高の恋人でもあった。おかしなことではない。正義の家庭ではそれが当たり前だった。父親が母親を拉致監禁した末に孕ませ、正義と妹を産ませたのだから。

 さらに、二人が思春期に入る段階で、父親と母親はそれぞれを犯した。父親は妹に何度もぶっ貫いて、母親は所長を限界まで搾り取る。もちろん夫婦の営みも忘れない。それが毎日のように続くのである。妹は何度も孕んだが、その度に暴行を受けて堕胎させられた。正義はそれを見ている事しか出来なかった。

 いや、違う。その内に見ていられなくなった正義は、留守や就寝時に、隠れて妹を慰めていた。

 むろん、身体でだ。堕ろされる事が分かり切っていても、自分の心が限界間近であっても、頑張って合体し続けたし、妹もそれを受け入れていた。兄の顔を見るだけで妹は胸が疼き、股が濡れたものだ。

 そう、所長と妹の間には、確かな愛があったのである。

 そんな二人の事をほんの少しでも哀れんだのか、神は正義と妹に微笑み掛けた。ろくでなしの父親とどうしようもない母親を、事故死させたのだ。

 それからは二人で慎ましく、爛れた生活を送った。幸いテクニックは充分あったので、その方面での稼ぎで暮らしていく事が出来た。その内に子供もでき、二人の愛は増々深まっていった。本当に、本当に幸せだった。

 ただ、そんな幸せは長続きしなかった。

 ある日、正義が家に帰ると、妹が死んでいた。蒸せ返るような部屋の中で、夏祭りの花火をバックにしながら、動かなくなっていた。

 否、妹は殺されたのだ。犯人はすぐに分かった。前々からしつこくアプローチしていた、質の悪い客だった。

 妹は兄という最愛の相手がいるので恋人関係は断り続けていたのだが、彼女が妊娠したと分かるや否や、逆恨みし始め、散々嫌がらせをしてきた。恋人にならないと、お前を殺す、ついでに兄貴も殺してやる、と。それでも妹が首を縦に振らないと分かると、金で釣った五十人もの仲間を引き連れ彼女を拘束し、嬲りモノしたのである。

 正義は怒った。激怒した。火砕流よりも激しく燃え滾り、深淵よりもどす黒い憎しみに囚われた。犯人全員を非道な方法で調べ上げると、男であれば聞いただけで絶命しそうな程に残虐な拷問を加えてから殺した。まさに正義の鉄槌だった。

 しかし、復讐を終えた彼に残ったのは、どうしようもない虚しさであった。何の関係もない人間を殺して紛らわせようともしたが、闇が余計に深まるばかり。妹は帰ってこない。二度と会えない。殺し続ける内に名前すら思い出せなくなってしまった。あんなに大切だった筈なのに、顔すら忘れてしまった。正義の心は、妹を見たあの日、完全に壊れてしまったのだ。

 その後、成長した彼は人には言えない方法で児童養護施設の所長になると、好みの子供を引き入れては犯しまくり、最後には甚振り殺した。特に妹にそっくりな女の子は最大の愛と最悪の殺意を持って殺し、裏庭の古井戸へ葬ってきた。叶わぬ願いと激しい殺意が、彼をそうさせるのだろう。

 それが正義の積み重ねてきた、人生の全て。虚しく何の意味もない、どうしようもない生涯の記録。

 だが、彼は出会った。妹の生き写しとしか思えない、一人の少女に。


 その名は菖蒲峰 藤子。

 言葉足らずで逆らう勇気も無い――――――正義にとって、これ以上は無い、都合の良い少女であった……。


 ◆◆◆◆◆◆


「鎗田だなんて、他人行儀じゃあないか。君と僕の仲だろう?」


 正義がニヤニヤと嗤い、舐め回すように藤子の身体を見る。獣欲が全く隠せていない。隠すつもりも無いのだろう。


「………………!」

「ひひひひひひ!」


 しかし、あまりにもあからさま過ぎたからか、身の危険を感じた藤子は逃げ出した。その後を、正義が愉しそうに追い掛ける。その様は、まるで兎を追い掛ける狐、赤ずきんに食らい付く狼である。

 ただ、藤子の逃げ足はかなり早いらしく、追い掛けっこは着かず離れずのまま、裏山にまで及んだ。笹を掻き分け、クヌギやコナラの木々を抜けていく。


「捕まえた!」

「……ぐっ!」


 だが、やはり男女の差は覆し難く、とうとう藤子は正義に捕まってしまった。倒れた勢いのまま身包みを剥がされ、生まれたままの姿が薄暗闇に晒される。そそり立つ彼が、秘された彼女に押し当てられる。


「うぅっ!」

「うぉっ!?」


 しかし、ギリギリの所で藤子は正義を巴投げた。流石は獄門紅蓮隊のナンバー3、伊達じゃない。


「いててて……ん?」


 放り投げられた正義が顔を上げると、そこは盂蘭盆祭の会場だった。

 だが、何かがおかしい。行き交う人々が、やけに静かなのだ。というか、一言も喋っていない。黙々と、只管に歩いている。


(それに、何だこの臭い……)


 その上、どいつもこいつも一様に臭かった。腐っているというより新鮮な生臭さだが、とにかく臭くて鼻が曲がりそうである。浴衣も何かで濡れてベトベトになっている。気味が悪いったらありゃしない。


『いらっしゃぁ~い』


 突如、誰かに声を掛けられた。


『一発百円だよぉ』

「何だ、的屋か……」


 的屋のおっさんだった。知らん顔だが、一先ず変な臭いはしなかった。その代わりにちょっと泥臭いが、そこは農家のおやじだと思っておこう。


『やってかないかぁい?』

「ああ、うん……」


 あまりに迫ってくるので、ついうんと言ってしまった。追われる身とは言え、気晴らしも必要だ。


(獲物は……ぬいぐるみか……)


 よくよく見ると、懐かしい顔振りのぬいぐるみだった。夕幻荘の子供たちにそっくりだったのである。とりあえず、撃ってみた。


「当たった!」

『お見事ぉ』


 弾は寸分違わず、藤子によく似た額に命中し、奈落の底に突き落とした。


『それでは大事にお持ち帰りくださぁい』

「あ、ありがとう……」


 的屋の主人が作り物のような笑顔で、ぬいぐるみを押し付けてくる。正義は苦笑いながら受け取った。


「ん……?」


 ぬいぐるみを手に取った瞬間、妙な感触がした。


「なっ……!?」


 見ると、ぬいぐるみの額からドロドロと血が流れ出ていた。ゼリーのような柔らかい物も混じっているが、おそらくは脳漿だろう。


「ひっ……!」


 正義は反射的にぬいぐるみを落とした。いきなり人形から血が出てくれば、誰でも驚く。


『痛い……痛いよ、先生……』


 と、今度は落としたぬいぐるみが喋りだした。目や口をぐるんと動かして。


「ひゃあああっ!」

『いけませんなぁ、ぬいぐるみは大切にしてあげなくちゃあ』


 さらに、背後に的屋の主人が立っていて二度びっくり。相変わらず笑顔のままだ。


『……じゃないと、わたしみたいに崩れちゃうじゃありませんかぁ!』

「ぎゃあああああっ!」


 しかし、それもすぐに崩れた。例えではなく、文字通りに。皮が、肉が、ただの土塊となって、骨だけを残して溶けていく。最後に残った骨もあっという間に崩れ去り、風化した。


「な、何なんだ、これは!?」

『やぁやぁ、お兄さん、寄っていくかい?』


 だが、驚く間もなく別の屋台に話し掛けられた。


『出来立てだよ。美味しい所をサービスしようか?』


 そこは焼き串の屋台だった。焼かれているのは小さな人間だった。もちろん、見覚えのある子供たちである。


「ひぃいいいっ!」

『おやおや何だい、肉は嫌いかい? いつもは食べてるくせにぃ!』


 その上、主人の顔は鶏だった。嘴を器用に歪めて嗤い、その笑顔のまま首がポロリと落ちる。まるで、屠られた鶏だ。


「うぁあああああっ!」


 正義はみっともなく泣き喚きながら走り出した。出口を目指して。


(着かない! 着かないよ!)


 しかし、行けど進めど、出口は見当たらなかった。森に飛び込んでも、祭会場へ逆戻りである。そうして走っている間も、いろんな出店に声を掛けられた。


『どうだい、花火を買わないかい? 詰めたてだよ!』


 カエルに爆竹を詰めた物を花火と称して売りつける蝦蟇ガエル、


『臓物飴はいかが? ズルズルしててとってもおいしいよぉ』


 黒糖の代わりに人の内臓を巻き付けた物体を勧める皮の張り付いた骸骨、


『くじはやらんかい? 一本百円だ』


 親の生首から髪の毛を毟ってケタケタと笑う少年、


「いらっしゃい、おじさん」


 それから、出目金とヒヨコを混ぜ合わせた不気味な生き物を掬えと迫る少女。つい先日、犯して殺したばかりの、あの女の子だった。憎しみの篭った笑みで、逆拍手をしている。お前も死ね、と。


「ひっ……ひぃぃ……!」

「鎗田先生~」

「………………!」


 すると、会場の端っこから声を掛ける者が。


「藤子ちゃん!」


 それは藤子だった。さっきまで襲われていたとは思えない優しい微笑で、正義を手招きしている。正義はおかしいと考える暇もなく、藤子へ飛び付いた。襲う為ではない、藁にも縋る思いで、だ。


「――――――えっ!?」


 だが、正義の手は空を切った。藤子の姿が忽然と消え、代わりに自然に還り掛けた古井戸が現れたのである。


「うわぁあああああ!」


 勢い良く飛び付いたが故に正義は止まる事が出来ず、古井戸の中へ真っ逆様に落ちる。



 ――――――ドボンッ!



 水がまだ残っていたようであり、正義は何とか助かった。


「うぅぅぅ……」

『お帰りなさい、先生ぇ~♪』

「ひっ……!」


 しかし、このまま見逃して貰える程、世の中は甘くないらしい。月に照らされた水底から、ぬるりと全裸の藤子が現れ……化身した。


『うふふふふふっ♪』


 それは異形の半魚人だった。

 巨大なランチュウの毛髪に髑髏の顔を持ち、人の目玉を桜柄に並べた花飾りを付けている。胴体は骸骨を透明なゲルで包んだ不気味な物で、ヒラヒラの尾鰭を袖に振っていた。



◆『分類及び種族名称:幻影超獣=狂骨きょうこつ

◆『弱点:頭』



『ご馳走様、ワタシの大切な人トモダチ♪』

「ぎゃあああああああああああああ!」


 狂骨が正義を愛おしそうに包み込む。全身から染み出る消化液により、正義は断末魔を残して消えた。

 気が付けば、井戸の外は暗く深い山の奥であり、元は夕幻荘だった廃屋が土に還り掛けていた。

 そして――――――、


 ◆◆◆◆◆◆


「さ、そろそろ行くっスよ。祭りまで、まだまだ時間があるんだから」

「………………」


 そして、藤子は無縁仏を背にして・・・・・・・・、綾香の後に続いた。盂蘭盆祭は・・・・・準備の真っ最中だ・・・・・・・・


「トモダチ」

「はぁ? どうしたんスか、急に……」


 突如、出会ってから初めて普通の口を利いた藤子に、綾香が驚く。


「トモダチ、トモダチ」

「いやいや、何を今更。言われなくても、大親友っスよ~♪」


 だが、同時に藤子から認められた気もして、嬉しくなった。綾香は飛び切りの笑顔で応える。

 さらに、二人仲良く手を繋いで、彭形寺を後にした。普通なら気恥ずかしくて出来ないが、この時ばかりは綾香も嬉しくて、それすら忘れていた。


「“大切な人トモダチ”~♪」


 だからこそ、綾香は気付けない。


「ぐぅぅぅ!」「痛い痛い!」「助けてくれぇ!」「もう殺してよ!」「いやぁっ!」「誰かぁ!」


 藤子の身の内で、何時までも何時までも響き続ける、無数の断末魔を・・・・・・・魂とも呼べる物たちが・・・・・・・・・・永遠の苦しみの中で・・・・・・・・・藻掻き続けている・・・・・・・・。そこに救いオワリなど、無い。

 そう、藤子にとって大切な人トモダチは、




『……ゴチソウ♪』

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リオー屋上のラストボスー ディヴァ子 @88538

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