第35話「崇拝の呪文」
災禍町の外れ、とある教会。
「失礼致します」
一人の少女が、細やかな装飾が施された扉をノックした。三つ編みのお下げに丸眼鏡という、非常に分かりやすい優等生の容姿をしている。他に特徴らしい特徴は無い。地味とか言ったら負け。
そんな普通の彼女だが、最近とある宗教に嵌まっていた。その名も「スペル聖教」。
最近出来たばかりの新興宗教で、ほぼ同時期に立ち上がった「ガンガミ教」「オトラ正教会」と合わせた三大最新教の一つに数えられる。主に十代の若者に人気で、じわじわと信者を増やしている。
そのスペル聖教の本部がここだ。元は別教会の払い下げだが、増改築を繰り返した事で、古さを感じさせないものとなっている。
『……、…………』
すると、中から誰かが答えた。荘厳な声色から察するに、スペル聖教の教祖様だろう。
「“我々は大勢であるが故に、償いの血を捧げます”」
少女が懐に隠し持っていたナイフで自らの掌を切り、祈りと共に生き血を捧げた。白い石段が血の赤に染まる。
『……、……、……』
それを見届けた中の誰かが、扉を開いた。そこに待っていたのは――――――。
「感謝します、教祖様……」
◆◆◆◆◆◆
これはよくある科学とオカルトの話。
そして、ここは閻魔県要衣市古角町、峠高校。物語はここから始まる。
「妹が「スペル聖教」に嵌まってしまったようなんです……」
早速、
「スペル聖教って何?」
「妖しい新興宗教その三」
「何だそりゃ……」
里桜が適当に尋ね、説子が興味無さそうに答える。
「どうした、上の空で?」
「……何でも無いさ」
そう言う説子は、どう見ても考え事でいっぱいになっていた。絶賛行方不明中の龍馬の事を気にしているのかもしれない。
しかし、そんなの里桜には関係の無い事。興味を依頼人に戻す。
「とりあえず、何がどうしてそうなった、二年三組の
「紹介どうも……」
里桜に促され、
些細な事で喧嘩してしまい、その末に実妹の
明らかに邪教の雰囲気がプンプンする上に、入信してからというもの、麗佳の様子が明らかにおかしくなって行った事。
気が狂ったように教義を語り、日の光や明かりを嫌い、化け物染みた怪力を振り翳し、異様なまでに血を欲しがるなど、まるで吸血鬼みたいな状態になっている事。
「馬鹿な妹を持つ姉は辛いな」
上の空だった説子が、ボソっと呟いた。
「でも、一年で生徒会に選ばれるくらい優秀みたいだぞ。真面目で成績も良いらしいし」
「勉強出来るからって頭が良い訳じゃない。真面目な奴が性格も良いかと言われれば別だしな」
「まぁ、そうだな。真面目で潔癖症な奴ほど、汚れる時はとことん汚れるし」
里桜も皮肉を交えつつ同意する。
「……で、結局、スペル聖教ってどんな宗教よ?」
「教義は“償いの血を捧げよ。さすれば、神の奇跡と約束の地を齎さん”だそうだ」
「何じゃそりゃ。何もしてないのに何で償わなきゃならんのだ」
「知るかよ。“人は生まれながらに悪である”って事じゃない?」
とても知的な会話だった。
「……あの、それで、受けて貰えるんでしょうか?」
「良いだろう。首を洗って待っているが良い」
「何でお礼参りを!?」
※何時もの里桜です。
「行け、説子!」
「何でボクなんだよ」
「上の空だった罰」
「あっそう……」
こうして、説子は里桜に嗾けられたのだった。
◆◆◆◆◆◆
「ここがスペル聖教の教会か……」
「はい、そうです」
その日の夜、説子(と百佳)はスペル聖教の教会前に居た。
「思ったより綺麗な所だな」
それが教会の第一印象だった。
本場英国にもありそうな、荘厳で美しい見た目。ステンドグラスや十字架など、実にそれっぽい。細やかな装飾や彫刻は全て綺麗に磨かれ、新品同然の輝きを放っている。左右の調和も完全完璧なシンメトリーという念の入りよう。教主様はかなりの潔癖症なようだ。
「……鍵が掛かってるな」
ただし、戸締りはしっかりされている。一般住宅なら当たり前だが、オープンである筈の教会に鍵が掛かっているとなるとおかしな話である。
「やっぱり合言葉が無いと――――――」
「あら、姉さん。こんな所で何をしているのかしら?」
「ひゃあ!?」
と、急に背後から声が掛かった。振り返れば、そこには件の問題児、麗佳が。
(ボクにギリギリまで悟らせないとは……確かに人間離れしているな)
足音一つ立てずに後ろを取った麗佳に、説子がそう判断を下す。
「もしかして、姉さんも入信するの?」
「え、ええ、ちょっと興味が湧いてね」
「そう! ようやく姉さんもスペル聖教の素晴らしさが分かったのね!」
百佳の白々しい演技に、思いっきり食い付く麗佳。まるで、恋人でも出来たかのような、満面の笑顔だった。同志ができたのが余程嬉しかったのだろう。以前は同調しようとしない百佳に暴言や暴力を振るっていたのに。
人間は信仰心に目覚めると馬鹿になるらしい。純粋と言うには、あまりにも身勝手が過ぎる。
(……麗佳。あなたを絶対に救い出してみせる)
それでも、百佳にとって大切な妹である事に変わりはない。棄教すれば麗佳も元の優しい彼女に戻るだろう。間違いは誰にでもある。それを許して受け入れてこそ家族だ。
そうして、百佳は決心した訳だが、
「あなたも入信希望者?」
「ああ。相方に手荒い扱いばかりされて嫌になってな」
「そうなの! なら絶対に入信すべきだわ! 信じる者は確実に救われるわよ!」
目がイッちゃってる麗佳の姿を目の当たりにすると、実に不安である。
「怖がらないで、姉さん。最初だけよ」
「………………!」
すると、何を勘違いしているのか、麗佳が百佳の手をそっと握る。
「痛いのもね」
さらに、彼女の見ている前で、自らの手首を切って償いの血を注いで見せた。頬が紅潮し、恍惚の笑みを浮かべながらゾクゾクしている。火照る身体の熱が掌を介して伝わってきた。
こいつはヤバい。教会と同じくらいに。
「さぁ、姉さんも……」
と、麗佳が血を垂れ流しながら、リストカットをするよう促してきた。断ったらナイフで刺されるかも。
「………………!」
百佳は恐る恐るナイフを受け取り、恐々と震えながら、願いを思い浮かべつつ手首に刃を走らせた。鈍い痛みと共に血が溢れ出し、鼓動に合わせてドクドクと滴り落ちる。
「……姉さん、それ動脈まで切れてるわよ!?」
「マジで!?」
やっちまったぜ!
「切るのは静脈だけで良いのに! 教主様に会う前に死ぬ気!?」
「ウソダドンドコドーン!」
「何やってんだ、お前ら……」
手首を切る時はしっかりと、落ち着いてやりましょう。
「とりあえず、これ巻いて! 早く中へ行くわよ! 死ぬ前に教主様に会わないと!」
「ご、ごめんなさい……」
麗佳に包帯を巻かれ、腕を押さえて貰いつつ、教会内へエスコートしてもらう百佳。棄教させに来た筈なのに何て様だ。
「まったく、姉さんのドジは相変わらずね。格好付けようとして、結局失敗するんだから……」
「うぅっ……」
ぐうの音も出ない。格好悪いにも程がある。
しかし、それは今に始まった事ではない。小さい頃からそうだった。何をやっても上手く行かず、優秀で要領の良い妹と何時も比べられてきた。どうして、同じ血を分けた姉妹でこうも違うのだろう。
(今度こそはと思ったのに……)
だが、まだ終わった訳ではない。むしろ、これから始まる……と思う多分。
「もう皆来ているわ」
教会に入ると、中は信者でいっぱいだった。全員が十代の若者で、中には知っている顔も、ちらほらといる。皆、例外なく手首に包帯を巻いているが、理由は考えるまでもない。
「皆には悪いけど、最初に教主様の恩寵を受けないとね」
「………………」
麗佳が申し訳なさそうに人海を押し退けて進んでいく。
いよいよである。これが怪我の巧妙なら、今だけは己の間抜けさに感謝して止まない。
「……教主様は?」
しかし、祭壇に辿り着いたのに、肝心の教主様が見当たらなかった。一体何処にいるのだろう。
「今降りて来られるわ」
「“降りる”?」
麗佳が見上げるので、百佳も釣られて見上げると、
(あれは……!?)
確かに教主様が降臨していた。天井裏からズルリと、滴る水のようにぶら下がっている。蝙蝠を擬人化させたような姿をしており、蝶仮面を思わせる外骨格が、只管に不気味だった。
◆『分類及び種族名称:吸血怪人=
◆『弱点:心臓』
(何よ、丸っきり化け物じゃない!)
入る前から教主様は人為らざる者だと思ってはいたものの、これは流石に予想外である。完全無欠に化け物だ。こんな怪物に、麗佳は惑わされていたのか。
「……姉さん、ごめんなさい。教主様が恩寵は私が最初だって言うから、先にするね。大丈夫、すぐ終わるから」
だが、百佳は臆することなく前に出て、恩寵とやらを受ける体勢に入った。本当は止めたいが、こんな所で何かしてもどうにもならない。事の成り行きを見守るしかなかった。
『………………』
すると、教主様――――――山地乳がスルスルと地に足を着け、恋人がそうするように麗佳をゆっくりと押し倒し、仰向けになった彼女へ長い長い管のような舌を伸ばして、口の中に挿入した。舌がボコボコと波打ち、謎の液体が注ぎ込まれていく。
(何……?)
と、麗佳の身体に変化が起き始めた。肌の艶が今まで以上に良くなり、全身の筋肉が増量され、逞しくも美しい姿になっていく。何時もの麗佳がモデルなら、今の彼女はアスリートといった感じだ。注がれた液体で全身の細胞が活性化されているのだろう。
確かにこれなら恩寵と言っても差し支えはない。見た目のグロさは別として。
ただ、そこで終わりではなかった。
『ガゥウッ!』
(か、噛み付いた!?)
山地乳は麗佳の活性化が最高潮に達したのを確認すると舌を引き抜いて、何と彼女の胸に牙を突き立てたのだ。
その上、牙で活性化した細胞のエネルギーを血液ごと吸い取っている。麗佳はみるみるミイラになっていった。一体これの何処が恩寵なのであろうか?
『………………』
「聖水ですね、分かりました」
しかし、他の信者が黄ばんだ聖水を掛けると、麗佳はふやけて元通りになった。麗佳はカップ麺だった?
ただし、全てが元通りかと言うと、そうでもなかった。
(牙が生えてる……!)
犬歯が異様に長く鋭くなり、目の色が怪しく変わっている。その姿は、まさしく吸血鬼である。
つまり、恩寵とは山地乳と同じ存在となる事なのだ。神格化、涅槃、解脱、昇華……いくらでも似たような言葉は並べられるが、こんなもの改造手術以外の何物でもない。
「さ、今度こそ姉さんの番よ」
「………………!」
だが、麗佳が復活した事で、百佳に順番が回ってきてしまった。
(ど、どうしよう!? 説子さん、どうすれば!?)
「………………」
(無視された!)
救援は却下された。酷い。
『ガゥ』
「あっ……」
そして、混乱している間に、山地乳に舌を入れられてしまった。あの謎の液体が注ぎ込まれる。
「――――――っ!」
その瞬間、言い様のない快感が駆け巡った。身体が羽のように軽くなり、それでいて溢れ出んばかりのエナジーが体内で爆発している。例えるなら、この身に宇宙の神秘を凝縮したと言っても良いだろう。
「姉さん、分かってくれたようね」
百佳のうっとりとした表情を見て、麗佳も嬉しそうだった。
『………………』
(ああ……)
さらに、山地乳の舌が引き抜かれ、代わりに牙が剥かれる。至福への対価を払う時が来たのである。
(さぁ、早く! 早く私の血を吸って、貴方と同じ存在にしてちょうだい!)
もはや百佳には恩寵を享受する心構えしかなかった。妹を棄教させるという当初の目的など、那由多の彼方に忘れ去っている。
「趣味の悪いプレイをするな』
『………………!』
しかし、山地乳の恩寵は、変身した説子によって中断された。
「こんばんは、教主様。そして、サヨウナラ」
無神論者による宗教弾圧の開始だ。
「な、何するのよ、あなた!? ……まさか、姉さん、私を騙したの!?」
説子の言動の意味を瞬時に理解した麗佳が、最高にハイって奴になっている百佳を睨む。絶対に聞こえてない。
「騙したのとは違うだろ。家族が変な宗教に引っ掛かったから相談しただけさ」
「へ、変な宗教ですって!?」
「他にどんな言い方がある」
信者全員がリストカットしていて、あまつさえ教主様が蝙蝠の化け物だ。これが正常なら、クトゥルフ神話は子供に読み聞かせたい本ナンバーワンである。
「……ったく、姉さんは何時も余計な事をする! スペル聖教を止めさせれば私が幸せになるとでも思っているの!? 私の幸せはここにあるの! 救ってくれなんて頼んでない!」
やり場のない怒りを寝そべる姉に当たり散らす麗佳。それでも百佳は反応しない。ビクビクと海老反るだけだ。それがまた麗佳を苛立たせる。
何故、どうしてこんな役立たずが姉なのだ!
「頼んでなくてもやるだろうさ。迷惑この上ないからな、お前みたいな奴は」
そんな彼女の姿を見て、説子が蔑みの目を向けて吐き捨てる。
自分が正しいと信じて疑わず、他人がそれを否定すると、力尽くでも捩じ曲げようとする。人はそれを自己中と言う。こんな自分勝手な人間、家族でもなければ関わりたくない。
だが、家族だから、血の繋がった姉妹だから、仕方なく矯正しようとした。唯それだけの事。
「ま、お前の身勝手さのおかげで、そいつはそっち側の人間になったようだがな」
「………………!」
説子の指摘でハッとなり、麗佳は百佳を蹴るのを止めた。怒りで我を忘れていたようである。冷静に考えれば確かにそうだ。
「……そ、そうよ! ここに来る前まではあんたの味方だったのかもしれないけど、今はスペル聖教の信者なのよ!」
そして、ビクつくだけの姉を抱き寄せ、その姿を見せびらかす。開き直りも甚だしい。
「ムカつく奴だな。何処かの誰かさんを思い出す」
説子の脳裏に、里桜のにやけ顔が思い浮かぶ。
「だから、お前も殺す。今はムカついて仕方ないんでな」
『グゥゥゥゥ……!』
説子は山地乳を睨み付けた。
『グヴェエエエエェッ!』
すると、山地乳が翼をバサっと広げ、
――――――ヴィィイイイイイイッ!
全身の毛穴から光の矢を無数に放って来た。説子は寸前で回避し、事無きを得る。
「「「ぎゃああああああああああああ!」」」
しかし、避ける間も無く光矢に巻き込まれた信者たちは、一瞬にして融解、見るも無残な姿になった。背後の建材に大した影響が無い所を鑑みるに、強アルカリ性の体液を毛穴から高温・高圧・高速で発射しているのだろう。
「そ、そんな、教祖様……!?」
山地乳が遠慮容赦無く信者を巻き込んだ様を見た麗佳が絶望する。
だが、妖怪から見た人間なんて十把一絡げ、居るも居ないも同じな、単なる食料である。利用価値こそあれど、助ける義理は無い。
まぁ、新興宗教なんて大抵そんな物であろうが。
しかし、人間を食い物にする程度の妖怪が、説子の相手になる筈も無かった。
『フンッ!』
『グヴェアアアアアッ!?』
滑空で襲い掛かろうとした山地乳の胸に、説子が飛ばした鋭い爪が刃となって突き刺さり、物の見事に撃墜される。
――――――ゴヴォオオオオオッ!
『グギェエエエエェッ!』
さらに、情け無用の零距離熱線で火達磨にされ、そのまま息絶えた。所詮、弱者に偉ぶる奴は、本物の暴力には弱い物だ。己の立場にかまけて、自分が殺られるなんて、これっぽちも考えていないのだから。
『……さて、どうしてやろうかねぇ?」
偶然にも生き延びてしまった祇園姉妹を見遣って、説子が忌々しそうに呟いた。
◆◆◆◆◆◆
後日。
「嗚呼、教祖様! 貴女だけが頼りです!」
『ウフフフ、そうよ麗佳。貴女には私しかいないの』
「………………」
白昼堂々とリビングで(しかも裸で)抱き合う祇園姉妹の姿を、説子は遠目に見ていた。百佳が依頼の代償として山地乳の細胞を植え付けた半妖となり、そんな姉を新たな教祖と見做した麗佳を自宅に帰した結果がこれである。
「節操が無いな」
教祖が教祖なら、信者も信者だ。縋り付けられるなら誰でも……否、何でも良いのだろう。心の拠り所に貴賤は無い。自分で勝手に決めるだけ。
「……お幸せに」
説子はそう吐き捨てて、屋上へ戻って行った。
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