第34話「優曇華の花束」

 暮れなずむ古角町の、光と闇の中。


「………………」


 赤い瞳に闇より深い黒髪を持つ少女が一人、橋の上で声も無く泣いていた。その顔に表情は無く、目は虚空を見詰めている。まるで死人か蝋人形である。


「………………」


 そして、少女が徐に儚川へ身を投じようとした、その時。


『……本当に、それで良いの?』


 何者かが話し掛けてきた。方向的に橋の下からだろう。

 しかし、河川敷まで降りてみても、肝心の声の主が見当たらない。悪戯だろうか?


「………………?」


 だが、その代わりに、見た事も無い花を見付けた。葉の無い細い茎から白玉が生えている、とても可愛らしい花だ。それらが支柱の罅割れから零れ出るように咲き誇っている。


「………………」


 少女はそれを迷う事無く摘み取り、何処かへと去って行く。




『ヒヒヒヒ、イヒヒヒヒ、ウゥ~ヒッヒッヒッヒッヒッヒッ!』


 ――――――少女が立ち去った後、崩れた罅割れから覗いた白骨死体が、カタカタと嗤った。


 ◆◆◆◆◆◆


 とある昼下がり。


『ビバビィ~♪』

「楽しそうだね」


 説子とビバルディがお手々を繋いで歩いていた。行先は龍馬たちの家。最近彼が退院し、ついでに未乘が母を失って、二人で身を寄せ合っているという。だからこそ、退院祝いと慰めを兼ねた、訪問会である。


「……ん?」


 と、道行く先に、みすぼらしい姿の少女が、炎天下にも関わらず花を売っていた。細い茎に白玉が実った、不思議な形の花だ。

 しかも、それを只で配っているというのだから、通りすがる人々は誰もが貰っている。随分とサービス精神旺盛だが、それを自分に活かす事は出来なかったのだろうか?


『ビバ~』

「欲しいの?」

『ビバンビ~』

「……分かった」


 ビバルディと説子も、そのサービス精神に肖る事にした。只より安い買い物は無い。


「一束、下さい」

「………………」

「……どうもね」


 花束を受け取る時に覗いた少女の顔は、死人のようだった。表情が無いというより、生気が無いのである。体格も華奢で、年齢も定かではなかった。

 まぁ、貰える物を貰ったのだから、良しとしよう。気にしても仕方ない。


「……ん?」


 再び歩き出した説子たちの脇を、一台のパトカーが通過した。サイレンを鳴らしていたので、事件があったのだろう。少し離れた所でも救急車や消防車のサイレンが聞こえる。暑さによる熱中症、もしくは火事でも起きたのであろうか?

 その後、説子とビバルディは滞りなく龍馬たちの住むアパート「光珠荘」に着いたのだが、


「何だこりゃ……」

『ビバビィ……!?』


 そこは蛻の殻――――――と言うより、壁に風穴が空いて、荒れ放題になっていた。こここそ一体何があった!?

 しかし、そんな事を気にする間も無く、事態は急展開する。


「ぎゃあああああああああっ!」


 突如、近所の民家からけたたましい悲鳴が聞こえて来たのだ。恐怖から来る物ではない、命が尽きる断末魔の叫びである。


「これは……」

『ビビビ……』


 発声源である「菊杉」という家に駆け付けてみれば、目と言わず口と言わず鼻と言わず、顔面を耕された女性の死体が転がっていた。傍には彼女の息子と思しき物体も転がっている。二人共顔から食い付かれ、中身を貪られたようである。


「蟲……いや、妖怪か?」


 さらに、真新しい顔の傷口には、無数の虫けらが。犯人はこいつらに違いない。


『ビバビル!』


 ビバルディが子供の死体を指差した。よく見ると、そこには自分たちも持っている花束が、白玉部分だけを失くして握られている。


「まさか!」


 瞬間、説子は花束を遠くへ投げ捨てた。


『ピキャアアアアッ!』


 同時に白玉が花開き、虫けらの群れが飛び出す。


『舐めるな! ゴヴォオオオッ!』

『ギェエエエエッ!』


 だが、そこは改造人間・説子。間一髪で焼き払い、事無きを得た。

 とは言え、こんな危険物がばら撒かれているという事実を見過ごす訳にはいかない。何れまた自分たちが害を被るのだから。


「――――――あの女の子を捕まえるぞ!」

『ビバビ~!』


 龍馬たちは気掛かりであるが、今はこっちが先だ。説子とビバルディは駆け出した。


 ◆◆◆◆◆◆


重音かさねちゃん? 私よ私、瑠衣るいよ」

「………………」


 少女に別の少女――――――右与重うよえ 瑠衣るいが話し掛ける。どうやら旧知の間柄のようだが、花売りの少女――――――菊杉きくすぎ 重音かさねは答えず、唯々花束を進めた。


「……ごめんね、ありがとう」


 そんな重音の態度に思う所があるのか、瑠衣は特に言及する事無く、花束を受け取る。


「やっぱり、話してはくれないか。それはそうよね……」


 結局、一言も話さずに重音と別れた瑠衣が、力なく呟いた。彼女たちの過去に何があったのかは当人たちにしか知る由は無いが、きっとロクな物じゃない。詳細が不明でも、見れば何となくは分かる。


「それにしても、良い香り……」


 暗い気分を紛らわそうと、瑠衣が花の香りを嗅いだ、その時。


『ギシャアアアアッ!』

「えっ……うぐっ……ぐ、ぐぎぇあああああああああああっ!」


 花が開き、無数の虫けらが襲い掛かり、瞬く間に瑠衣の顔面を耕した。振り払う暇すらなく脳まで食い荒らされた瑠衣は、断末魔を残して死に至る。


「………………」


 そんな瑠衣の変わり果てた姿を、忍び寄っていた重音がじっと見下ろす。その顔は、実に愉しそうだった。


「趣味が悪いな」『ビバッ!』

「………………!」


 そこへ説子とビバルディが駆け付ける。次は無い、と態度で示していた。


「………………!」


 すると、重音は持っていた花束を残らず投げ付け、逃亡を図る。当然、説子とビバルディは彼女を追い掛けようとするが、


『オギャヴゥウウウウウッ!』


 瑠衣の死体を突き破って、蟲のような怪物が姿を現した。蜻蛉とんぼ螳螂かまきり蜉蝣かげろうをごちゃ混ぜにした奇妙な姿で、脈翅で宙を舞い、刺々しい鎌を構えている。きっと、あの虫けらたちの成体だろう。



◆『分類及び種族名称:悪食超獣=魍魎もうりょう

◆『弱点:胸部』



『オギャアアアアアァアッ!』

「この……っ!』『ビバッ!』


 魍魎が口から強酸性の唾液弾を吐いてきたので、説子たちは戦闘態勢に入りつつ、散開した。



 ――――――ゴォオオオオオオッ!



『オギャアアアッ!』

『くっ!』


 先ずは説子が熱線で反撃するも、高い機動力を発揮する魍魎には当たらない。擦れ違い様に鎌で腹を掻っ捌かれた。説子の内臓ホルモンがドロリと零れる。



 ――――――ザァアアアアアアッ!



『ギャアアアッ!?』


 しかし、魍魎がヒット&アウェイを仕掛けようと上昇した瞬間、変身したビバルディの破壊光線が直撃した。流石に攻撃した直後は避けられなかったのだろう。魍魎はボロボロになりながら墜落し、そのまま燃え尽きた。


『大丈夫?』

『掠り傷だ』

『腸出てるけど……』

『何時もの事よ』

『いや、まぁ、そうなんだけど……』


 何とも心配のし甲斐が無い奴である。と、その時。


『オギャヴヴヴヴッ!』

『なっ……ぐわぁっ!』


 突如、無傷の魍魎が現れて、ビバルディの肩に噛み付いた。鋭い牙が肉を抉り、鮮血が噴き出す。


『野郎!』

『ウギャヴッ!』


 説子が慌てて熱拳で魍魎の頭を吹き飛ばした。


『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』『トモダチ』


 吹き飛んだ先には、無数の魑魅魍魎が蠢いていた。それだけ花が配られ、犠牲になっていた事を意味している。というか、友達を食い物にするって……。

 否、そんな事を言っている場合ではない。このままでは頂きますご馳走様される。さっさと逃げるべきだ。


『飛ぶよ!』

『頼むぞ!』


 説子を抱えたビバルディが飛翔し、魑魅魍魎が後を追う。強酸の弾丸が飛び交い、死の雨となって地表にも降り注いだ。何の罪もない一般市民が次々と溶け崩れていく。

 だが、そんなの知った事ではない。我が身と身近な人だけが大事である。ビバルディは構わず避け続け、隙を見て説子が熱線で反撃する。華奢な見た目通り、あまり耐久力は無いようだ。


『スキスキダイスキ、アイシテルゥウッ!』

『冗談じゃないよ!』『寝言は寝て言え!』


 そうこうしている内に魑魅魍魎は数を減らし、やがて最後の一体になった。



 ――――――ゴヴォオオオオッ!

 ――――――ザァアアアアアッ!



『オギャァアアアアアアッ!』


 そして、止めの熱光線で、全ての魍魎は滅びた。


『あいつは何処に……」


 魍魎退治を終えた二人は変身を解きながら、重音の行方を捜す。

 しかし、何処を探索しても影一つなく、重音は完全に姿を消した。


「龍馬、何処に行っちまったんだ……」

『ビバビ……』


 何の解決も見出せない説子とビバルディは、途方に暮れるしか無いのだった……。


 ◆◆◆◆◆◆


 閻魔県黄泉市塞翁町の一画。


「おや?」


 とある男性が、暗がりで花を売る少女を見付けた。


「こんな時間に一人じゃ危ないよ?」

「………………」

「親御さんは居ないのかい? 帰り道が分からないなら、交番まで案内するけど?」

「………………」

「う~ん、ずっと黙っていられるとこっちも困るんだけどなぁ……」

「………………」


 男性が心配して話し掛けるも、少女は答えない。黙って花束を勧めるだけ。


『ピキィイイイイッ!』

「ぐげべらぁああッ!?」


 仕方なしに少女から受け取った瞬間、花束が男性に牙を剥き、その命を奪った。


「――――――皆みんな、死ねば良いんだ」


 食い荒らされる男性を見下ろしながら、重音が嗤った。その手には、まだまだ優曇華の花束・・・・・・が残っている……。

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