第9話「トラツグミの鳴く頃に」
「これが新しい子ですか?」
飼育員の一人が、鉄格子と強化ガラスで閉ざされた檻の中を見ながら、尋ねる。そこには何とも表現し難い動物が、腹を掻きながら眠っていた。
「ああ。何でも、八奈見ヶ岳の方で見付かって、保護されたらしい」
もう一人の先輩らしき飼育員が答える。その表情は、「面倒事を押し付けられた」と殴り書きされているようだった。
「……凶暴なんですか?」
「少なくとも、十三人は犠牲になったそうだ。拳銃も猟銃も、まるで効果が無かったんだと」
「えっ、そんなの“保護”で大丈夫なんですか?」
人肉の味を覚えた獣は、通常なら殺処分される。味を占めて、積極的に人間を襲うようになるからだ。自然と共存していく為にも、死んで貰った方が都合は良い。
「知るかよ。“殺すのは勿体無い”って輩が、無理矢理保護したのさ。勇気ある警察官や猟師が、しこたま麻酔銃をぶっ放してな」
しかし、人間の都合は人間によって塗り替えられる物。今まで見た事も無い珍獣だという事で、一部の熱心な
「誰がそんな事を……」
「それこそ知らねぇよ。俺たち末端の人間が知り得る情報なんて、高が知れてんだ。……とにかく、上が言うには“お前らの命なんてどうでも良いから全力で保護しろ”だとさ、要約すると」
「酷い話ですね……」
そして、何時も苦労するのは下の人間だ。世知辛い話である。
「ま、仕事なんて、そういう物さ。“動物が好きだから”だとか、ほんわかした志望動機だけで続けられる程、世の中甘くねぇよ」
「……先輩は、動物が嫌いなんですか?」
「人間よりは好きだな。きちんと付き合えば、お互いに怪我をせずに済む」
「………………」
先輩の呟きに、後輩は何も言えなかった。
と、その時。
『グゥルルル……ッ!』
「「………………!」」
突然、獣が目を覚ました。薬が切れたのだろう。見知らぬ場所に閉じ込められた事によるストレスからか、凄まじい殺意を持った目で飼育員たちを睨み付けている。流石に鉄格子と強化ガラスを突き破って来るとは思えないが、怖い物は怖い。
だが、次の瞬間、信じ難い事が起きた。
――――――ズギャヴォオオオオオッ!
黄金色の煌めきと共に、鉄格子も強化ガラスも粉々に砕け散ったのだ。
「「みぎょぉおおおん!?」」
さらに、物のついでで飼育員たちも粉砕される。実に呆気ない最期であった。
『ヒョァアアアアアッ!』
そして、獣はトラツグミのような声で鳴いて、動物園を脱走した。
◆◆◆◆◆◆
閻魔県要衣市古角町、峠高校の屋上。
「えーっと何々……“「鬼手ビオトープガーデン」から珍獣が脱走、飼育員に多数の死傷者”だって?」
今日のニュースを見ながら、里桜が味噌汁を啜る。
「確か、前もそんな事なかったか、あの動物園?」
鯖の味噌煮でご飯を進めつつ、説子が聞き返した。
『あんむ』「日本人はやっぱり和食ですねー」
ビバルディは悦子に「アーン」をしながら、自分もあむあむ食べまくっている。悦子は植物だが、人間の口もあるので、文字通り経口摂取で栄養を取る事も出来るのである。あくまで根から吸い上げる水と栄養がメインだけど。
「つーか、「珍獣」って書いてあるけど、どんな種類の動物が逃げ出したのか解説されて無いじゃねぇか」
「新種なのかもよ?」
「そうだとしても、管理が不十分だな。私なら絶対に逃さないぜ」
「この屋上から逃げられる奴なんて居るのかぁ?」
「知ら管」
『ビバビバ♪』「ルンル~ン♪」
実に平和な朝だった。
《手紙が、来てるヨ~ン♪》
しかし、ディヴァ子のわざとらしい濁声によって、平穏は終わりを告げる。
「……お仕事だぜ?」
「飯時に出すなよ……」
さぁ、今日も
◆◆◆◆◆◆
峠高校、生物室。
「叔父が死にました」
二年二組の女生徒、
「「はぁ」」
里桜も説子も「はぁ」としか言えなかった。だから何やねん。
「……もしかして、例の動物園の事件絡みだったり?」
「はい。私の叔父がそこで働いていたんです」
「で、件の獣に殺されたと」
「はい」
「それはつまり、敵討ちをしてくれって事か?」
「全然違います」
「「あれれ~?」」
説子の質問に、鳴女は首を振る。大抵こういう場合は「○○の仇を討ってくれ」と言う物なのだが、どうやら違うらしい。
「じゃあ、何が目的なんだよ?」
「バズりたいんです」
「「はぁ?」」
「バズりたいんです!」
大事な事なのか、二回も言った。
「どういう事?」
「今時珍しい、大型動物の新種……それを間近で見れる機会を得られたというのに、あの役立たずは私が撮る前に死んでしまいました。だから、今度は野に放たれたそいつを撮って、人気者に成りたいんですよ!」
「清々しいまでに屑だな、お前は」
「褒めないで下さい♪」
「褒めてねぇよ、死ねよ」
何なんだ、この女は。
「――――――ようするに、逃げ出した珍獣を撮りたいから、手伝ってくれって事か?」
「はい。流石に私一人では無理でしょうからね」
「まぁ、良いけどさ……」
その代償として実験材料にされるというのに、お前はそれで良いのか。
「撮れ高の為なら!」
「「逆に凄いよ、お前は」」
倫理観とは……。
◆◆◆◆◆◆
その日の夜。里桜と説子、それから鳴女は、峠高校のグラウンドに居た。例の獣を待ち構えているのだ。
「情報によれば、例の獣は山の中を縫うように、どんどん南下しているそうです。そして、最新の目撃情報によると、丁度この近くの野山に潜んでいるんだとか」
「誰情報だよ」
「彼氏情報です」
「大丈夫なのか、それは……」
「大丈夫です! 何せ、ネットじゃ「妖怪博士」とか呼ばれてますからね!」
「いや、惚気話を聞きたい訳じゃないんだが……」
自信満々に「ここです、ここに来ます!」とか言っておきながら、とんでもない話である。信用するなという方が無理であろう。
「――――――あながち馬鹿に出来ないかもしれんぞ」
すると、意外な所から援護射撃が。里桜だ。バーチャフォンを起動し、とあるページを立体化して、映し出している。
「マジで言ってる?」
「ああ。素人が組んだシステムの割には、結構正確なデータを取れている。ウチで扱き使いたいぐらいだ」
それは、言うなれば「噂話の統計・統合システム」であり、様々な噂や目撃譚、実際に起きた事故などを基に、“「それ」がどう動き、何処へ行こうとしているのか”を映像化する物だった。天才科学者の里桜が推すぐらいなのだから、相当である。才能という物は、何処に埋もれているか分からない。
「……気が変わった。この依頼、真面目に受けてやろう」
「お前、適当に請け負ってたんか」
「逆に、あんなノリだけで話を進められて、真面に付き合うと思ったのか?」
「確かに……」
ぐうの音も出なかった。正直、説子もふざけ半分で付いてきた。阿保が馬鹿な真似をしているのを、見物でもしてやろうと、そんな感じに。
「あ、何か来ましたよ!」
すると、鳴女が暗がりを指差しながら、叫んだ。
――――――ズギャヴォオオオオン!
「撮れ高ぁああああああっ!」
その瞬間、黄金のビームが夜闇を切り裂き、鳴女を吹き飛ばした。たった一撃でバラバラのミンチになったが、意地で飛ばしたドローンが撮影を続けている。とんだ執念である。
「「やっぱ死んだかー」」
予想通り。馬鹿は死ななきゃ治らない。死んでも阿保のままかもしれないけど。
そんな事より、目の前の怪物だ。ビーム的な物を放ってきたからには、普通の動物では無いのだろう。是非ともお目に掛かりたい。
『ヒィイイイイインッ!』
と、例の怪物が正体を現した。
「こいつは……「鵺」だな」
「鵺って何だよ」
「「トラツグミ」の事さ」
「トラツグミ? これがぁ?」
「ま、今じゃ専ら妖怪の事を差すけどな」
「鵺」とは、夜闇に紛れて生きる伝説の怪物である。
猿の顔を持ち、狸の胴体から虎の四肢と蛇の尻尾を生やす、非常に歪な姿をしているとされ、暗雲に潜み、トラツグミのような声で鳴くという。元々は名も無き正体不明の妖怪だったが、その奇怪さと不安を煽る声から、本来ならトラツグミに当てられた「鵺」という漢字を頂戴し、今では固有名詞になっている。鵺の鳴く夜は恐ろしい……。
「……何か「マンティコア」みたいだなぁ」
「まぁ、東洋の合成獣とも言えるからなぁ」
だが、実際に目の当たりにした鵺の姿は、ニホンザルの顔に緊箍児を思わせる角を生やし、ゴリラの上半身と虎の下半身を持ち(毛皮は全て虎柄)、先端が鋏状になった蠍の尻尾があるという、どちらかと言うとマンティコアに近い姿をしている。
まぁ、説子の言う通り鵺は東洋版の
ただし、こいつは類人猿がベースらしいので、ネコ科が土台の西洋組とは似て非なる存在とも言える。何れにせよ、形態的に素早いパワーファイターである事は間違いなさそうだ。
◆『分類及び種族名称:合成魔獣=
◆『弱点:尻』
『ヒョァアアアッ!』
「「おっとっと!」」
早速、鵺が自慢の剛腕で殴り掛かってきた。デンプシーロールで。
しかも、その後ホワイトファングまで放つ始末。一振り毎に大気が裂け、掠めただけで地面が抉れる。
普通にヤバいし怖い。伝承ではどちらかというと搦め手を得意としていた筈なのに、何なんだこいつは。完全に破壊の権化、暴力の化身じゃあないか。
『キョァアアアアアアアアッ!』
「「目からビームを出すな!」」
さらに、何と目からビームを発射してきた。それも双方から。
「うぉっ、何じゃこりゃ!?」
その上、ビームに当たった説子が、ベタベタした粘液のような物で固められてしまう。
「……うん、たぶん目ヤニだな、それ」
「汚っ! つーか、目ヤニをビームの勢いで出すなよ!」
正体は目ヤニだった。何て酷い野郎だ。
『ヒィイイイイン!』
「ピィイイイイン!?」
ついでに、拘束された説子を鵺がぶっ飛ばす。虎の下半身を利用した大ジャンプからの、フライングプレス攻撃である。説子は見せられない姿になった!
「うーん、まさか最初から私が戦う破目になろうとは……」
割と珍しい展開により、最初から里桜が表舞台に立つ事になってしまった。
『キョキョキョキョッ!』
「お前でんきタイプだったんか」
そして、これまたビックリ、鵺が稲妻を宿した拳で攻撃を仕掛けてきた。ヌエのかみなりパンチ!
『ヒョァアアアアアッ!』
「危ねっ!」
さらに、口からプラズマ光弾を発射。着弾と同時に大爆発を起こす。あまりの熱量にクレーターが形成され、爆心地からはジュウジュウと蒸気が上がっている。エフェクトは目からビームの方が派手だが、食らうとマズいのは光弾の方かもしれない。
『ヒィイイイン!』
「ぬぅ、意外と芸達者だな」
しかも、尻尾まで振るいだし、パンチやキックの合間に織り交ぜてくる。加えて尻尾の鋏には猛毒があるらしく、火を見るより明らかに毒々しい紫色の液体が飛び交う。これは色々とヤバい。
伝承とは毛色が違うものの、キッチリ搦め手を使ってくる辺り、やはり鵺は強豪妖怪であった。
「……だが、力任せだ」
『キョァッ!?』
しかし、所詮は野生の獣。多少は苦戦したが、パターン自体は単調であり、里桜は既に鵺の攻撃を見切り始めていた。
むろん、当たれば痛いでは済まないが……当たらなければ、どうという事は無い!
「フン、フン、オラァ!」
『キョァアアアアンッ!?』
「死ねぇ!」
『ヒョァアアア……ッ!』
そして、里桜が目からビームを撃ち返し、鵺に止めを刺した。攻撃力は高いが、体力は低めだったのだろう。
こうして、獰猛な珍獣が野に放たれるという、一連の恐怖は幕を閉じたのであった……。
「……どうするよ、これ?」
「うーん……」
鳴女という、尊い犠牲を伴って(笑)。
◆◆◆◆◆◆
閻魔県要衣市災禍町の、町営住宅の三階にある、とある一室。
「しくしくしく……」
そこで、一人の青年がさめざめと泣いていた。彼こそが鳴女のお相手、
そんな富雄が鳴いている理由は、もちろん同棲相手の鳴女が死んでしまったからである。今朝、ニュースになっていた。鳴女が行方不明になっていると。「ちょっとバズって来る!」と言い残して飛び出して行った以上、例の獣に遭遇して殺されてしまったと見るべきだろう。
「嗚呼、何で止めなかったんだ……」
富雄は頭を抱える。爪がこめかみに食い込んで、血が流れていた。
「鳴女ちゃん……」
ある日、拾ってしまった家出娘。家庭環境に問題があり、自由を求めて逃げ出した彼女を、富雄は見捨てられず、成り行きで同棲する事となった。幸せだった。かなりお転婆な鳴女に振り回される事も多かったが、今まで彼女処か友達すら出来なかった富雄からすれば、そんな物は些細な事だった。
その鳴女が、死んだ。何時もの事と聞き流してしまったばっかりに。日常が簡単に壊れてしまう事を、富雄はこの時になって初めて理解したのである。
「ただいまー」
「ええぁっ!?」
だが、鳴女は帰ってきた。至極当然のように。嘘じゃん。
しかし、異様なまでに目深く帽子を被っているのは何故だろう?
「ど、どうして!?」
「“これ”が答えだよ!」
すると、鳴女が帽子を脱いだ。
「どうしちゃったのよ、それ!?」
彼女の目は、モノアイ化していた。バイザーに機械の瞳が輝く、サイバーなお目々である。それも、カメラ機能、演算装置、ビーム兵器etc……が付属されている、素晴らしきマニピュレーターだ。
さらに、よく見ると身体のあちこちに繋ぎ目があり、サイボーグ化しているのが分かる。まさにター○ネーチャン。
「いやぁ、あの化け物に身体をバラバラにされちゃってさ」
「サラッと言う事!?」
「でも、何か
「まるで意味が分からないんだけど!?」
どういう事なの……?
「もちろん、「屋上のリオ」に改造されたんだよ!」
「あの噂、本当だったんだ!?」
富雄も話くらいは聞いている。峠高校の屋上には、どんなオカルトな事件も解決してくれる、マッドサイエンティストが居ると。
しかし、代償として“最も大切な物”を奪われると言われており、大抵は依頼者が実験台にされてしまうのだとか。
そんな危険人物に関わったという事はつまり、
「……それで悪いんだけど、ちょっと里桜の所で働いてくれない? 実質的に無職だし、丁度良いでしょ?」
「いやいやいやいや!?」
鳴女と再会出来たのは嬉しいが、それとこれとは別の話。
「大丈夫大丈夫、ちゃんと給料はくれるし、命の保証ぐらいはして貰えるって!」
「いや、軽い軽い軽い! そんなバイト感覚で受け取って良い話じゃないって!」
「それに、頭に爆弾仕込まれてるから、断ったら私、死んじゃうんだけど」
「実質的に脅迫じゃん、それ!」
だが、富雄に選択肢など無いのであった。酷い話である。
(まぁ、でも鳴女ちゃんがやらかすのも、今更と言えば今更か……)
そして、どう足掻いても絶望しかないので、富雄は考えるのを止めた。
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