第10話「泥沼からの挑戦」

 古角町の一角にある、とある田園地帯。田植えをする為に張られた水面が、闇夜の中で月を映し、風に揺られている。


『――――――せ……ぇせ……』


 そんな夜の田んぼに不気味な声が響く。

 否、田んぼに・・・・ではない。田んぼの中から・・・・・・・聞こえる・・・・


『……えせ……返せ……』


 さらに、泥の底からポコポコと泡が立ち、次いで泥が盛り上がり、


『田を返せぇええええええっ!』


 真っ赤な一つ眼が輝く、水泥の巨人が姿を現した。


 ◆◆◆◆◆◆


 オオイヌノフグリが花開く、畦道にて。


「あーあ、面倒臭い……」


 巾田となか あつしは、心底面倒臭そうに呟いた。


「ま、確かにな」

「何で今時、田植えの体験学習なんてしなきゃいけないのよ」


 否、彼だけではない。篤の心友である久留宮くるみや 清二せいじ湊本みなもと 伊佐美いさみ、その他諸々の学友一同も同意見だった。

 そう、今日は田植えの体験学習の日。毎年この時期になると開催され、丸一日を使って稲を植える。はっきり言って、かなり怠い。何が悲しくて、今時手植えをしなければならないのか。旧き良き伝統を守る為と言えば聞こえば良いが、こんな足腰に負担が掛かる作業を受け継いで何の得があるのだろう。現に田んぼの持ち主でさえトラクターを使っている。

 だので、田植えの体験学習は峠高校でも一二を争う不人気なイベントであった。

 ちなみに、秋には稲刈りやイナゴ取りの体験学習もある。昨今流行りの「伝統文化の尊重と継承」の風潮による弊害だ。実に下らない。廃れるという事は、求められていない事に他ならないというのに……。


「ほーら、手が止まってるぞー」

(((ウゼェ……)))


 むろん、峠高校の生徒である以上、特別な理由でもない限り、行事を不参加には出来ず、どんなに嫌でも手植えをせざるを得ない。成績に響くからね。


「よっこらせー」

「………………」


 しかし、本来なら免除されている筈の人物たちが、本日は参加している。「屋上のリオ」こと香理かり 里桜りおと、「闇色の水先案内人」である天道てんどう 説子せつこである。二つ名に似つかわしくない二人が、何故こんな行事に参加しているのだろう?


「いや~、偶には肉体労働も良いねぇ~」

「……じゃあ、白衣脱げよ。わざわざ裾まで捲ってさ」

「そこはほれ、科学者だから」

「マッドだ……」


 単に気分転換したいだけだった。意外な事だが、この二人、完全な引きこもりではなく、割と外に出歩いている。依頼を受ければ現場に駆け付けるし、普段もこうして何かしらの理由を付けて身体を動かしているのだ。その代わり、普通の授業は欠席しているのだが。今更教わる事も無いから、当然と言えば当然である。

 そんな珍しい面子も加えたクラス一同で、そこそこ順調に田植えを進めていたのだが、


「ぶっ……!?」


 突然、クラスメイトが一人消えた。一瞬過ぎて分かり難いが、泥の中に沈んでしまったのだ。


「ひっ……!?」「うわっ……!?」


 しかも、周囲の生徒が次々と、テンポ良く泥水の底へ引き込まれていく。


「た、田んぼから出るんDIEダーイ!?」


 遂には担任までもが蒸発した。いよいよ生徒たちはパニックを起こす。誰も彼もが泣き叫び、リズミカルにハザードしていった。それでも半数近くは畦道まで這い上がり、避難出来たのだが、


「きゃっ……!」

「「伊佐美!」」


 篤と清二の目の前で、伊佐美が泥の坩堝に引き込まれた。ギリギリで二人の手が間に合ったものの、凄まじい力で引っ張られており、これ以上はどうにもならない。



 ――――――ミチミチミチ……ブチィイイイイイッ!



「ぎゃあああああっ!」

「「い、伊佐美ぃ!」」


 そして、引力に耐え切れなくなった伊佐美の両脚は千切れ、血飛沫を撒き散らしながら地面に叩き付けられた。


「伊佐美、死ぬな!」「止血しろ!」

「うぐぅ……痛い、いだいぃ……!」


 だが、篤と清二が死に物狂いで止血したおかげで、一命だけは取り留める。それでも、かなり酷い状態である。早く病院へ連れて行かなければ、助からないだろう。


「あらまー」

「適当過ぎるだろ……」


 そんな緊急救命待ったなしの状況を、他人事のように見物する里桜と説子。実際、彼女たちにクラスメイトの生き死になど一欠けらも関係ないのだが、不謹慎な事に変わりはない。


「くっ……!」


 失礼極まる二人の姿を見た篤は、一瞬だけ迷った後、覚悟完了した顔で口を開く。


「頼む、伊佐美を助けてくれ!」

「お、おい、篤!」

「仕方ないだろ! 今から救急車を呼んでどうにかなるのか!?」

「うっ……!」


 確かに彼の言う通りだ。呼んでいる内に伊佐美が死ぬ可能性は高く、それに泥田に潜む何者かが何時までも黙ってはいないだろう。岸辺に上がった獲物を求めて顔を出すかもしれない。


『ダァヴォガヴェゼェエエエエエ!』


 とか何とか言っていたら、本当に顔を出してきた。赤く光る一つ眼を持つ、泥の塊である。


「しゃーないなぁ。説子ちゃ~ん?」

「バヴォオオオオオオオオオオオ!』

『グヴォォオオオオオオオオオッ!?』


 しかし、篤の願いを聞き届けた里桜と説子に迎撃され、泥の中に引っ込んでしまった。説子の火炎で怯んだ辺り、熱に弱いのだろう。


「よし、とりあえず傷も塞ごうか」

『ボォオオオオッ!』

「ぐぎゃあああああああああッ!」


 さらに、物のついでに伊佐美の傷口も塞ぐ。医療用具の無い状況で早急かつ完全な止血をするには、焼いてしまうのが手っ取り早い。その分、想像を絶する痛みが伊佐美を襲うのだが、命には代えられないだろう。


「さて……詳しい商談と行こうか?」

「商談って、お前……」

「「………………!」」「うぅ……」


 その後、慌てふためく生徒たちを尻目に、里桜たちは屋上に移動するのだった……。


 ◆◆◆◆◆◆


 ――――――峠高校、屋上ラボにて。


「うぐ……あぎゃあああ! ぐがあああああッ!」

「ウフフフ~ン、良い声で啼くね、子猫ちゃん♪」

「楽しそうで何より」


 里桜と説子による、素敵な手術いたずらが繰り広げられていた。もちろん、麻酔無し。機材が無い訳ではない。里桜の趣味趣向だ。この痛みでショック死しなかったら、新しい脚を与えた上で仇も取ってやろうという、邪神たちのお遊びである。


「くそっ、あいつら……!」

「自分から申し出た事だろ。……そもそもこれは、伊佐美の意志だ」

「そうだけど……!」


 むろん、篤たちも強化ガラス越しに見学(強制)しいている。初めは篤と清二が我先にと実験台になる事を提案したのだが、伊佐美がそれを断固として許否した。その結果が、この有様だ。あらゆる意味で助かる見込みは五分五分だろう。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぅぅ……っ!」

「チッ、助かりやがった」

「少しは本音を隠せ……」


 だが、里桜の期待とは裏腹に、伊佐美は耐え切った。上も下も大洪水で、食いしばった歯が欠けたり、引っ掻いた爪が剥がれたりと散々だったが、それでも生き抜いて見せたのだ。


「仕方ねぇなぁ……」


 ここまでされて約束を違えるのは、里桜のプライドが許さない。彼女は嘘吐きだが、自分には正直なのだから。


「――――――とりあえず、お前らで世話しとけ」

『ビバ~』『了解で~す』《いってら~♪》


 そして、後をビバルディたちに押し付けて、里桜と説子は再び泥田に舞い戻る。時刻はすっかり夜になっていた。


「さて、何が居ると思うよ?」


 里桜が尋ねる。


「安直だけど、「泥田坊」でも居るんじゃね?」


 説子が返した。

 「泥田坊」。田んぼに棲み付く、一つ目の妖怪。豊作を齎す田の神と違って、田んぼに近付く者を呪う魔物である。元はとある老農夫の怨霊であり、プー太郎の息子のせいで長年耕してきた田んぼを失い、夜な夜な「田を返せ」と怨嗟の呻き声を上げるのだという。

 今時そんな悪霊が棲み付く隙があるのか、と思うかもしれないが、過疎化した田舎では結構ありそうな話ではある。プー太郎がどうとかではなく、そもそも後継者が居ない、という意味で。耕作にしろ牧畜にしろ、農家の未来は明るいとは言えない。

 その上、こんな事態・・・・・だ。少なくとも、ここの地主はお終いだろう。今頃夜逃げの準備でもしているのではなかろうか?


「しっかし、残念だねぇ。これで行事が三つも減っちまった」

「生徒の数が減ったのはどうでも良いのか?」

「有象無象なんぞ幾らでも居る。それこそ、田植えよりは楽な作業さ」

「フン……」


 本当に、峠高校における命は軽い。生徒にしても、教師にしても。


「――――――で、どうするんだ?」

「炙り出しゃ良いだろ」

「それもそうだ」


 昼間、泥田坊らしき妖怪は炎に怯んで逃げた。ならば、泥を湯立ててしまうのが一番手っ取り早いだろう。


「そいじゃ、さっそく……ゴヴォォオオオオオオオッ!』


 という事で、説子の熱線が田んぼを煮込む。物凄い勢いで温度が上がっていき、あっという間に沸騰し出した。


『ギキキキキ……!』


 すると、熱さから逃れる為か、泥田坊が泥を纏わずに正体を現した。


「「ザリガニじゃねぇか」」


 その姿は、まさに真っ青で巨大なザリガニだった。

 しかし、鋏が鳥類の対趾足を思わせる構造で、腕が蛇腹状になっており、それとは別にもう一対の鋏(こちらは普通の形状)があるなど、細部はかなり異なっている。特に口の形状が全く違っていて、オーラルコーンを思わせる構造である。腹部の脇に生える何対もの鰭も併せて、まるでザリガニにアノマロカリスの要素を付けたしたようだ。

 まさしく泥の中を高速で泳ぎ回り、掴んだ獲物を放さず食い殺せる、泥濘地に適応した生物と言えよう。



◆『分類及び種族名称:泥水超獣=泥田坊』

◆『弱点:口及び眼』



『クワァアアアアッ!』

「来るぞ!」「散開!」


 田んぼの中から勢い良く跳び出して来た泥田坊の一撃を、里桜と説子は散って躱す。

 だが、泥田坊の攻撃はまだ終わらない。


「チッ、周りが泥田なのを良い事に!」

「ピョンピョンと跳ね回りやがって!」


 見渡す限りの田園地帯は俺の海だと言わんばかりに、別の田んぼを跳んでは潜りを繰り返しながら、次々と襲い掛かって来る。中々に面倒な状況だ。


『プシャアアアアッ!』

「「いや、危ねぇ!?」」


 しかも、時折跳ばずに顔を出すだけのフェイントも織り交ぜており、その際は口から高圧水流や溶解液混じりの泥塊を吐き付けてくる為、余計に面倒臭い。ついでに泥塊の粘度も自由自在らしく、踏むと足を絡め取られる設置トラップにしたり、隆起させて壁にしたりと、様々な害悪戦法を披露してくる。実に厭らしい老害である。


『このっ……カァアアアアッ!』

『グググ……クガァアアアッ!』

『何だと!?』


 さらに、どうにか爆炎を直撃させたと思ったら、泥田坊が突如脱皮、熱攻撃が効かなくなった。何度も弱点を突かれた分、耐性を付け始めているらしい。


『カァァアアアアアアッ!』

「うぉっ!? くそっ……!」


 その上、驚き動きが止まった説子を、泥の中に引きずり込んだ。直ぐに振り払ったが、そのせいで泥田坊を見失ってしまった。


(熱い……これは温度が高いというより、酸性度が強いって事か……)


 瞬膜で目を保護しつつ、説子は冷静に判断する。隣の田んぼが茹っているせいで、こちらも相当に温度が高いのだが、それ以上に酸性度がかなり上がっている。おそらくは泥田坊の溶解液の影響だろう。


(視界はゼロ。音の伝わりも悪い……これはキツいな)


 高温・強酸・視界不良という三重苦の中で、説子は己の振りを悟った。何せ向こうは自由自在に泥土を泳ぎ回る機動力を持っているのだから。


『グゥゥ……クワァアアアッ!』

『――――――ッ!』


 どうした物かと考えていると、音も無く急速接近していた泥田坊が説子の四肢を押さえ付け、頭に齧り付いた。余計な反撃をされる前に食ってしまおうという腹積もりに違いない。一応、説子も爪で反撃するが、甲殻の強度も上がっているのか、全く歯が立たなかった。


(……仕方ねぇ、こうなったら!)


 説子は決断する。



 ――――――ドギャヴォオオオオオッ!



『クギャアアアッ!?』


 泥田に一筋の光が走ったかと思うと、地盤ごと吹き飛び、泥田坊は中へ投げ出された。説子が体内で熱エネルギーを暴走させ、水蒸気爆発を引き起こしたのである。相手を土俵諸共ぶち壊すとは、実に脳筋な遣り方だ。

 だが、効果は絶大。逃げ場を失った泥田坊は、まな板の上の鯉処か、打ち上げられた花火である。もう、助からないぞん♪


「はいっ!」

『カキァアアアアア……ッ!』


 そして、里桜の目からビームで口を撃ち抜かれた泥田坊は、完全に沈黙したのだった。


 ◆◆◆◆◆◆


 それからそれから。


《今朝のニュースです。昨日未明、要衣市古角町、峠高校近くの田園地帯で大規模な爆発事故が起こりました。原因は不明、警察が現場検証を行っています。当日は峠高校で田植えの体験学習が行われており、多くの被害が出ている模様です》

「「「………………」」」


 バーチャフォンから流れて来るニュースを、篤・清二・伊佐美の三人は、胡乱な目で見ていた。他のページを開いても、爆発事故が・・・・・起こったとしか・・・・・・・書いていない・・・・・・。地主のおじさんが事情聴取を受けているらしいが、答えようが無いだろう。

 そう、昨日の出来事は全て、泥に流されたのだ。


「やっぱり、あの噂って本当なのかな」

「何が?」

「……里桜がデルタ・コーポレーションの会長で、情報操作してるって奴」

「………………」


 噂は噂でしかないが、当事者である篤たちからすれば、真実でしかない。


「ねーねー、昨日何見た~?」「「ヤッタルゼーマン」見たよ」「何じゃそれー」


 さらに、恐ろしい事に、大幅に減った筈のクラスメイトが殆ど元雄通りの人数になっていて、大抵の人間が昨日の事を欠片も話題に出していなかった。触れないようにしているのか、本当に覚えて・・・・・・いない・・・のかは不明だが、問題はそこではないだろう。


「私たち、これからどうなっちゃうんだろうね?」


 そんな何時もと変わらぬ教室を遠い目で眺めながら、伊佐美が呟く。全ての元凶に取り付けられた、真新しい義足を触りながら。


「さぁな。分からねぇよ、未来さきの事なんか」

「生きてるだけ儲け物、って思っとこう。そうじゃなきゃ、やってられない……」


 篤も清二も、それに対する答えを持っていなかった。今回は偶々助かったが、明日は我が身かもしれない。かと言って、無事に退学出来るかというと、妖しい物があるだろう。

 何せ、この学校は屋上のリオの支配下にあるのだから。


「「「………………」」」


 昨日の事以前に、知らぬ間に底なしの泥沼に浸かっていた事を自覚した三人は、沈黙を選んだ。


『……どうせ、皆居なくなるさ』


 ボソリ、と誰かが呟いた。

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