第5話「蟹、食べて逝こう!」

 とある山道にて。


「ふぅ……今日はここで休むか」

「そうね。静かだし、誰も来ないでしょうからね」


 一台のキャンピングカーが、無人の敷地に停まった。乗り手は三十路手前の男性と二十代半ばの女性で、二人はカップルであり、そこそこ前から車中生活を営んでいる。今日は昼間に目一杯ドライブを楽しんだので、夜はさっさと寝る事にしたのだ。キャンピングカーで長期間生活するなら、節約と工夫は欠かせない要素である。


「それじゃあ、始めますか!」

「イヤァ~ン、ケダモノ~♪」


 まぁ、エネルギーを無駄遣いしないだけで、夜の営みはするのだが。近所の誰にも邪魔されず、気遣いなく愉しめるのは、野外ならではであろう。

 だが、事はそう上手く運ばなかった。



 ――――――ガキャァアン!



「な、何だ!?」

「ちょっと、何よこの揺れ!?」


 何か硬い物が当たった音が響いた後、突然ガタガタと揺れ始め、一瞬治まったかと思えば、今度は車体が斜め45度に傾いた。二人は咄嗟に手摺に掴まったので落ちなかったが、押さえの利いていない物は残らず後ろ側に滑り落ちていく。

 そして、



 ――――――バリバリバリィッ!



「お、おい、嘘だろ!?」

「何なのよ、これは!?」


 車体が後ろから壊れ始めた。フレームがへしゃげ、窓ガラスが砕け散り、思い出の品々が奈落の闇へと消えていく。


「ど、どうすんのよ!? どうすれば良いのよ、これぇ!?」

「知るか! ……クソッ、ドンドン狭まってきやがる!」


 そうこうしている内に端から削れていった車体は、いつの間にか運転席と半畳分の生活スペースを残すのみとなった。


「何だよ“コイツ”は!?」


 しかし、間近で見る事が出来たおかげで、彼らはやっと状況が飲み込めた。


「か、蟹!? 蟹が車を食べて……ぎゃあああっ!」

「ぐげぁああああああああ!」


 もっとも、その頃には既に手遅れだったのだが。


『キチキチキチキチ……』


 キャンピングカーをカップルごと食べ尽くした巨大な蟹が、月夜に向かって万歳する。もっと欲しい、もっと食わせろ、と……。


 ◆◆◆◆◆◆


 峠高校――――――の、屋上にて。


「ぶっ殺して欲しい奴が居るのよ」


 手紙の依頼主……山梔子くちなし 節子さだこは、そう言い切った。


「あのー、ここ職業・殺し屋とかじゃないんですけど?」

「似たような物でしょ。良いからさっさと殺して頂戴な」

「えぇ……」


 説子の苦言にも、全く動じない。開業以来、初めてのタイプだ。


「――――――依頼の内容は、化け物が出ると噂の峠で、彼氏とヤ○まくりの姉が行方不明になったから、犯人を探し出して殺して欲しい、だったか?」


 それを面白そうに受け止めた里桜が、ニヤニヤと尋ねた。


「ええ、その通りよ」

「ちなみに、何で最初から化け物退治を依頼したんだ?」

「……別にあのヤリ○ンが死のうが何だろうが、どうでも良いのよ。だけど、あの恥晒しのせいで両親の仲が悪くなったのよ。それこそ、離婚しそうな勢いでね。だから、これはただの憂さ晴らし。それ以上の意味は無いわ」


 質問に対し、節子は投げやりに答える。その表情は説子よりも死んでいて、夢も希望も無い。自分の与り知らぬ所で身内が馬鹿をしたせいで、家庭崩壊し掛かっている事に疲れたのだろう。もしくは・・・・……。


「クックックックックッ、そうかそうか、自分に正直だなぁ?」


 そんな節子の様子に、何処か満足気に里桜が嗤い掛けた。


「良いだろう。お前の望み、叶えてやる。その代わり――――――」

「ええ、好きにすれば良いわ」

「……それで良い」


 やっぱりな。里桜の笑みは一層深くなった。


「家宝はそこのぬいぐるみと寝ながら待ってな。行くぞ、説子」「へいへい」

「………………」『ZZZzzz……』


 里桜と説子が去り、取り残された節子は、


「……あったかい」『ビバムニャ……』


 最高のぬいぐるみビバルディを抱いて、目を瞑った。可愛いは正義。


 ◆◆◆◆◆◆


 三途川を遡上した先にある、事件現場となった山。


「それにしても、よく依頼を受け付けたな」

「私は素直な子が好きなのよん♪」

「よく言うぜ……」


 その山中に、里桜と説子は居た。言うまでもなくフィールドワークである。川沿いというだけあって、柳などの水辺に生える木々が生い茂り、花穂を実らせている。所々に元は支流だったと思われる沼が点々と在り、足を取られたら一気に引き込まれてしまいそうだ。


「……ここに何が居ると思う?」


 ふと、里桜が木漏れ日を見上げながら尋ねる。

 ここ最近語られる噂によれば、巨大な蟹のような化け物が、通り掛かる車を襲って食べてしまうらしい。もちろん中の人間ごと、である。


「噂を信じるなら、「蟹坊主」が居るだろうな」


 「蟹坊主」とは、文字通り大きな蟹の妖怪だ。

 夜行性であり、昼間は古寺などに潜み、日が暮れると僧侶の姿に化け、餌場に訪れた人間に謎掛けをし、答えられないと食べてしまうという。

 ちなみに、謎掛けの答えは「蟹」である。


「――――――いや、何で人間より自動車をメインに食べるんだよ」

「知るか。それは本人に聞けよ」


 そうなると、夜になるまで待たねばならない。


「キャンプでもするかー」

「こんなゆるゆるな足元でか?」

「お前のマ○コよりは緩くないさ」

「黙れ小娘」


 そういう事になった。

 そんなこんなで、車がよく消えるという峠近くで焚火を点けて、日が暮れるのを待つ、里桜と説子。まだまだ生々しい小枝や落ち葉が、説子の超火力によってパチパチと燃え上がり、ぼんやりとした明かりを灯す。


「そう言えば蟹坊主って、「サワガニ」の妖怪なんだよな?」

「ああ。伝承ではそうなってる。……ただまぁ、鎌鼬とかそうだったように、素直に信じる訳にもいかんだろうさ」

「だよなぁ。それに、こんな奥地で蟹と言われてもね」


 幾ら川が近いとは言え、流石に山奥過ぎる。甲殻類は昆虫程に地上へ進出出来ていないのが現状であり、こんな水気の無い森の小道に棲息しているとは思えない。もし可能性があるとしたら、ヤシガニやタラバガニが属するヤドカリの仲間(異尾下目)だろう。暗がりで、パッと見ただけなら、間違えても仕方ない……ような気がする。


『……両足八足、横行自在にして眼、天を差す時如何』

「ま、出て来はするようだが?」

「あ、本当だ」


 と、何処からともなく、僧侶のような人影が。


「はい、ビーム」

『プギャァッ!?』

「これは酷い……」


 だが、里桜は空気の読めない女なので、ビームで答えた。


『ウビュルルル!』


 すると、人の形をしていたそれがニュルリと解け、無数の触手となって夕闇の森へ消えていく。


「逃がすと思――――――ドワォッ!?」

『クギャアアアアアアアアアアアッ!』


 しかし、逃がすものかと追い掛けようとした瞬間、地面を突き破って巨大な骸骨が姿を現す。


『プキャアアアアス!』


 さらに、クルリと振り返った事で、蟹坊主の正体が露わとなった。

 鋼鉄の髑髏を背負っている以外は、真っ赤で巨大な蟹その物……と言いたい所だが、顔が中央寄かつ頭部として独立していて、鋏がハンマーやグローブのように太くてデカいなど、違いもかなり多い。東部の位置関係と併せて、胴体が栗のような形をしている。

 何よりの違いは、脚が四本しかない、という事だろう。蟹だとしたら、あと四本足りない。



 ――――――ジャキィイイイン!



 しかも、鋏だと思っていた部分は折り畳まれた鎌で、内側に物を掴む前足が生えている。ついでに、威嚇の際に背中の甲殻にしか見えない部分がバサバサと展開した。

 それはまるで昆虫の翅であり、


「「螳螂じゃねぇか!」」


 というか、寸胴な螳螂だった。蟹じゃないどころか甲殻類ですらなかった。名前詐欺にも程がある。



◆『分類及び種族名称:螂閣超獣=蟹坊主』

◆『弱点:腹部』



『カニ、タベイコウッ!』

「蟹なのに!? いや、蟹じゃないけど!」


 蟹坊主が禅問答ならぬ蟹問答を仕掛けて来たッ!


『ハリィキッテイコォウッ!』

「蟹に纏わるエトセトラぁ!?」


 答えは聞いていない、とばかりに切り掛かって来る蟹坊主。思わず突っ込んでしまった説子は反応が遅れ、クラブスラッシャーが直撃した。岩盤が抉れ、猫な娘が宙を舞う。


「この野郎!』

『ギチチッ!?』


 ただ、流石に一撃で乙る程、説子は弱くない。直ぐ様態勢を立て直し、妖魔化しながら反撃の火炎放射を浴びせた。蟹鍋になるがいい!


『シャアァッ!』

『プキァ……クキョォオオッ!』

『アズナブルゥ!?』


 だが、蟹坊主もまた強かった。赤い残像を描く程のスピードで背後を取り、強烈な蟹鎌がクリーンヒットする。説子の背骨と肩甲骨が砕け、肉が痛々しく抉れた。カッターと言うより、ステーキナイフのような切れ味らしい。下手にスパッと切れるよりも厄介な武器である。


「テメェッ!」

『プキキャ!?』


 しかし、説子は即座に傷を癒し、爆裂スマッシュで蟹坊主の顎(?)を撥ね上げた。彼女の再生能力は、粉砕骨折程度なら瞬く間に治せるのだ。


『カニカマオイシイ!?』

『えっ!? いや、好きだけどさ!?』

『カニザクトリーッ!』

『イグザクトリーだろぼはぁっ!?』


 と、二度目の蟹問答に反応してしまったばっかりに、抱き込むようなダブルアタックを食らってしまった説子が、口から真っ赤な花火を上げた。ホルモンも出ているので、焼肉にして食べよう。


『……里桜、悪いけど代わってくんない? こいつ、スゲェ遣り辛い」

「突っ込まなきゃ良いのに」

「性分なんだ、仕方ない」

「馬鹿かよ……」


 という事で、里桜と選手交代である。突っ込みをする気が更々無い里桜なら問題あるまい。


『カニナベスキ!?』

「いや、海老の方が好き」

『ソレハドウカニィー!?』


 再び蟹問答を仕掛けて来た蟹坊主だったが、里桜には淡々と返された上にぶん殴られた。


「死ね」

『ピキピキピキィ!?』


 さらに、里桜が前髪に隠された左目――――――機械化された三連スコープからトリコロールカラーのビームを発射し、蟹坊主の鎌鋏を爆破する。


「ほぅ、硬いじゃないか」


 爆砕されたかに思われたが、甲殻の表面が煤けただけだった。既に何度もダメージが入っている筈なのに、随分と頑丈な鋏だ。


『キチチチ……ナイトクラブゥッ!』

「おおっ!?」


 と、自慢の鎌鋏を汚され怒った蟹坊主が、口から無数の泡を吐いてきた。割れないシャボン玉のようなそれは、内部に燐光が揺らめいており、着弾と同時に爆発。周囲一帯を瞬く間に火の海に変える。


「なるほど、泡の中は可燃性の腐敗ガスが詰まってるのか。泡はニトログリセリン混じりの着火剤って所かね」


 割れるのが刺激となって二重に爆発するとは、とんでもない泡爆弾である。


「……だが、爆発物は取り扱い注意だぜぇ!」

『プギョァッ!?』


 だが、里桜は怯まない。右腕を悪魔のような機械に変換し、蟹坊主の鋏を殴る。

 すると、右腕の発光部がダダダンと輝き、先ずは鎌鋏が砕け、次いで胴体が八つ裂きとなり、全身から血を吹き出して倒れ伏した。この攻撃は発勁のように衝撃波を浸透させるらしい。硬い甲殻を持っているとは言え、流石に内部から爆砕されては、どうしようもないだろう。


「フン、そのヤドは飾りか……よぉぅ!?」

『ヴィシャアアアアアアアアアアアッ!』


 しかし、念の為に止めを刺そうと近付く里桜を、髑髏の中からニュルリと飛び出た触手が薙ぎ払った。まさかの反撃に防ぐ事も出来ず、諸に食らってしまった。これは痛い。


「……なるほど、本体はそっちか・・・・・・・


 既に死に体となった螳螂の部分を切り離し、無数の触手を生やして蠢く髑髏を観て、里桜が呟く。


「分厚いクチクラの表皮――――――ハリガネムシだな」


 それは、馬鹿デカいハリガネムシの群体だった。最初に姿を見せた人影も、これらが絡み合って形作られた“疑似餌”であり、蟹坊主の本体だったのだ。


『クシャアアアアアッ!』


 一斉に襲い掛かる蟹坊主の本体。


「だけど、正体を見破られちゃあ、妖怪としてはお終いだぜ? ……やれ、説子!」

『ゴァアアアアアアアアアアアアッ!』

『ハギャアアアアアアアアアアアッ!?』


 だが、突っ込み所が無くなり、熱が弱点となった蟹坊主に、説子の爆炎を防ぐ手立ては無かった。金属製の髑髏ごとこんがりとローストされ、枯れ枝のように燃え上がり、最期は粉々になって消え去った。


「さて、蟹を食べに帰るか」

「そうだな。……普通の蟹で頼む」


 こうして山道の怪事件は解決され、里桜たちは帰って蟹道楽に興じるのであった。


 ◆◆◆◆◆◆


「はぁ……」


 事件解決後、節子は何事も無く家路に着いていた。時刻はすっかり夜である。芽吹き始めた青草と小さな花々の香りが鼻孔を擽り、まだ少し寒さの残る風が肌を撫ぜる。


(てっきり、そのまま殺されるかとも思ったんだけどね)


 しかし、予想に反して里桜は特に何もされなかった。

 否、されそうにはなったのだが、服を脱がせた途端に興味を失くして、終いには追い出されてしまったのだ。一体どういう事なのだろう。疑問は尽きないが、別に好き好んで殺される筋合いも無いので、言及もしない。最終的に生きていれば、それで良かろうなのである。

 そんな事を考えながらトボトボと歩き、漸く自宅に辿り着いた節子だったのだが、


「ただいま……って、どなたですか?」

「おやおや、こんばんは、お嬢ちゃん。キミ、もしかして山梔子くちなし 節子さだこちゃんかい? そうやろ?」


 知らない男が三人、玄関の前に立っていた。確実に堅気ではない、ヤの付く人たちだ。何故そんな筋者が玄関で待ち構えているのか。

 そこそこ頭の良い節子は、直ぐに分かった。


「……あの親父、借金こさえて夜逃げしたか」

「そういう事や。あいつ、結構前にリストラされて、闇金で生活してたんやで。一家の大黒柱が、情けない話やのー」「ホントにヒデェ奴やなぁ!」「何だかんだ抜かしておきながら、妻と娘を売るなんてのぅ!」

「ええ、本当にそう思うわ」


 ゲラゲラと嗤うヤーさんたちを前に、節子は小動もしなかった。父親が蒸発した事も、今から自分が借金の片に売られそうな現状さえも、心の底から至極どうでも良い、という感じである。

 何故、彼女はこんなにも余裕なのか。


「なら、言いたい事は分かるな?」

「そうね。……失せろ」

「「「ぎゃあああああああ!?」」」


 里桜に改造される・・・・・・・・までも無く・・・・・節子は既に・・・・・怪人だからだ・・・・・・。紐のように腕が解け、無数の触手となって、組員たちを血祭りに上げる。肉を引き裂き、骨を砕き、真っ赤な肉団子にしてから、ペロリと飲み込む。人智を超えた妖怪ならいざ知らず、人間をミンチにする程度の事は朝飯前だ。


「遅くなっちゃったわ。……あら、節子、今帰ったの?」

「ええ。おかえり、母さん」

「……何かあった?」

「別に、何でもないわ。それより、早く家に入りましょう。いい加減、お腹空いて来たし」


 そして、父親と一悶着したであろう母親が帰って来る頃には、何の痕跡も残さず、元の節子に戻っていた。その表情に、さっきまで複数の人間を虐殺した雰囲気は微塵も無い。


 ◆◆◆◆◆◆


 蟹を食いまくった帰り道。


「そう言えば、珍しく殺さなかったな?」

「別に何でもかんでも殺す訳じゃねぇよ。弄ぶのが好きなだけさ。そもそも、他人が既に・・・・・手を付けた・・・・・作品・・に、ケチを付けるような真似はしない主義だ。それが純子じゅんこの物ともなれば、尚更だ」


 雪岡ゆきおか 純子じゅんこ。東京都安楽市あんらくし絶好町ぜっこうちょう在住のマッドサイエンティストにして、「三狂(世界トップ3の狂科学者の事)」に数えられる超天才。科学だけでなくオカルトにも通じ、一説では千年以上も生きているという。

 もちろん、同業である里桜も知っているし、何なら研究仲間マブダチだったりもする。そんな純子の実験体さくひんに手を出す事は、里桜の矜持が許さない。彼女は案外、アーティスティックなのだ。


「あっそう。……それで、本当の理由・・・・・は?」

「クックックッ、簡単な事さ」


 説子の疑問に、里桜が答える。


「手を出すまでも無く、あいつは人でなしだからだよ」

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