第4話「川姫様の御持て成し」
桜舞い散る、
「シッ! シッ!」
今日も今日とて、一人の野球部員がバットを振るっていた。彼は真面目な優等生であり、他の部員が帰った後も、こうしてバットの素振りをしている。夏の大会に向けて汗を流す、まさに暑苦しい青春の一ページ……なのだが、
『今日も頑張ってるわねぇ?』
「……えっ!?」
そんな野球少年に、誰かが声を掛ける。振り返れば、振袖姿の可愛らしい女の子が、笑顔を振り撒いている。言葉にこそ出していないが、誘っているのは明白だった。
「……ゴクリ」
少年は訝しみながらも、美少女にお呼ばれして悪い気はしないので、若干鼻の下を伸ばしながら、近付いていく。彼もまた、年頃の健全な男子なのだ。
「………………!」
こうして目の前に立つと、思わず息を呑んでしまう。それ程に人間離れした、可愛らしさであった。
「え、えっと、どうしたのかな?」
少年はしどろもどろになりつつ、そう聞いた。何とも初々しい反応だ。
『……だい』
対する少女は変わる事の無い笑顔で、
『お命、ちょうだい♪』
死を告げた。
「えっ……んむっ!」
さらに、有無を言わさず少年の唇を奪う。
「――――――うぅおおおおおおっ!」『キャ~ン♪』
その一口で少年は理性を失い、少女を押し倒して事に及ぶ。脳裏に一瞬でも浮かび上がった、別の少女の笑顔は、一瞬にしてピンク色に上書きされた。今の彼は完全無欠なるケダモノである。
「おっ!? おっ……おっ……オォォォォノォオオオオオオオオオ!」
そして、数瞬後、少年は少女に命の一滴まで吸い取ってしまった。生体エキスを残らず奪われた彼は、カラカラのミイラとなって、グラウンドに横たわる。土に塗れたその様は、春だというのに枯れ枝のようだった。
『ウフフフフフ、きゃはははははははははっ!』
少女は何時の間にか姿を消しており、楽し気な嘲笑のみが残響した。
◆◆◆◆◆◆
峠高校、二年三組。
「何処に行ったの、
一人の少女が、物憂さげに呟いた。
彼女の名前は
もっとも、マネージメントするのはスポーツだけではないのだが。颯と美里は中学生からの付き合いであり、彼氏彼女の関係なのだ。リア充爆発しろ。
しかし、今は独り身である。先の通り、颯が居なくなってしまったからだ。
「なーに悩んでるのよ……と、聞くまでもないわね。颯の事でしょう?」
そんな美里に、別のクラスメイト――――――
ついでに同じ人物を好いた
「うん。電話しても全然繋がらないし、家に行ってみたけど「こっちも探してる」って言われちゃったしで……」
「心配なのは分かるけど、一人でやきもきしてても仕方ないじゃん。出来る事と出来ない事くらい、分かるでしょ?」
「巫女子は颯くんが心配じゃないの?」
「――――――それとこれとは別、って話。心配はしてるけどね。だからって、あたしらにはどうしようもないよ」
「そうだけどさ……」
気心知れた仲ではあるが、こういう若干ドライな所は昔から気になっている。確かに巫女子の言う通りだけど、もう少し思い悩んでも良いのではなかろうか?
「そんなに気になるなら、試してみれば良いんじゃない?」
「試すって……何を?」
「噂の「コトリバコ」よ」
「………………!」
コトリバコ。悩める者の前に忽然と現れる、不思議で不気味な手紙箱。怪奇現象に困った旨を記して出せば、「屋上のリオ」と「闇色のセツコ」が忽ち解決してくれる。後の保証はし兼ねるが。
……そんな噂が、峠高校には蔓延している。
実に胡散臭く、オカルト満載な話ではあるが、例の集団自殺事件を解決したのは彼女たちだと言われているし、他にも何かしらの怪異に巻き込まれた人が実際に会った事があるとも聞く。根も葉もない嘘のようでも、火のない所に煙は立たない。
だから、皆半ば真実だと受け止め、コソコソと手紙を出しているらしい。それ程までに、峠高校という場所は摩訶不思議なのである。
「でも、別に怪奇現象って訳じゃ……」
というか、正直そんなハイリスクな真似をしたくないのだが。ミイラ取りがミイラになる、ではないが、手紙を出した当人が行方知れずになる、という噂もある。
「だけど、他に出来る事なんてある? ……聞いた話じゃ、警察も匙を投げ掛けてるらしいしね」
「………………」
結局、美里は言い包められる形で、手紙を書く事にした。このまま引き下がっては、負けた気がしたからだ。
「……出したな? 出しちゃったな?」
「えっ、あなたは!?」
「ボクが噂の説子。……付いてきな。案内してやる」
「は、はい!」
そして、手紙をコトリバコに出してしまい、説子に導かれるまま、屋上ラボに足を踏み入れた美里だったが、
「貴様が柊 美里かぁ!」
「は、はい……」
「よし、早速殺すかな!」
「何で!?」
「特に意味は無いよ?」
「いや、意味くらい持たせて欲しいんですけど……」
早速ながら後悔し始めていた。噂には聞いていたが、大分ぶっ飛んでいる。出会って早々に、意味も無く殺してやるって。
さらに、言動もヤバいが、格好もヤバい。ブルマーに白衣を纏うって、どういうセンスなのよ?
「まぁ、冗談は半分ぐらいにするとして」
「あくまで半分なんですね……」
「とりあえず、洗い浚い話して貰おうか。手紙はあくまで手紙、だからな」
「は、はい!」
里桜に促され、話し出す美里。
だが、提供出来る情報は少ない。精々、颯が突然行方不明になって、警察が放り出す程度には見付かっていない、という事ぐらいである。
「颯って奴、三途川のグラウンドで、毎日バッティングしてるんだって?」
「は、はい、そうです」
「フーン、殊勝な事だ」
「えへへへ……」
「照れるな気持ち悪い」
「えぇ……えっと、すいません……」
理不尽なり。
「どう判断するね、説子?」
「男が現を抜かす川辺の妖怪と言えば……「
「川姫」。
河川敷にフラリと現れる絶世の美少女で、どんな男でも虜にする魅力的な容姿をしているが、一度でも鼻の下を伸ばせば、忽ち魂を吸い取られてしまうという。河童とは別系統らしく、その正体は釈然としない。そこがまた、ミステリアスな魅惑に繋がっているのだとか。
「ふーん」
「ふーんって……」
自分で聞いた癖に……。
「まぁ、要約すると、葉隠れの王子様を見付けて欲しいってか?」
「武士じゃなくて野球児なんですが……とりあえずは、そうです」
「はっきり言っちまうが、たぶん颯く~んは死んでると思うけど、それでも良いのか?」
「………………!」
それは、考えなかった訳では無い。居なくなってから数日、それも神隠しともなれば、死体探しをする方が早い可能性は、かなり高いだろう。
「――――――構いません。一人は、寂しいでしょうから」
しかし、それでも美里は頷いた。例え颯が既に帰らぬ人であったとしても、きちんと家族に弔われて、故郷の土に還って貰いたい。それが人間のあるべき最期の姿だ。
「……まぁ、良いだろう。行くぞ、説子」
「はいはい」
「お前はビバルディと戯れてろ」
『ビバァ~♪』
美里の反応に、何処か詰まらなそうに応えた里桜は、説子を伴って屋上を後にした。
「……えっと、よろしくね、ビバルディくん?」
『ビバビ~♪』
「……可愛い」
そして、美里とビバルディだけが、ラボの中に残された。何も起きない筈もなく……なくなくはない。
◆◆◆◆◆◆
「
峠高校は町中という立地の条件上、広い校庭を設置する事が出来ない為、代わりに堤防から無駄に幅のある河川敷をグラウンドとしてしようしており、野球部やテニス部にサッカー部などの屋外競技(水泳部を除く)は、全部ここで部活動している。
だから、颯の死体が遺っているとしたら、このグラウンドの何処かにある筈なのだが――――――警察に見付けられない辺り、ロクな状態ではないのだろう。もしくは
どちらにしろ、あるかどうか分からない死体を探すより、犯人を炙り出す方が簡単かもしれない。
「不機嫌そうだな?」
だので、説子は夕暮れのグラウンドで、一人待ち構えていた。誘引する為とは言え、男装が妙に似合っている事は、本人の名誉を守る為にも伝えるべきではなかろう。
「黙って立ってろ、断崖絶壁」
だが、はっきりと言ってしまう、里桜だから。彼女は今、説子と同じくグラウンドに居るのだが、姿を見せていない。所謂、待ち伏せの状態だ。ならベラベラと喋るなという話だが、元より里桜は適当な性格なので、応対もこんな感じである。
まぁ、一番の原因は説子の言う通り、単に不機嫌だから、なのだが。
「子供かよ」
「子供だよ」
「だろうな。それじゃあ――――――」
しかし、説子は里桜の態度を気にも留めず、三途川の辺を見遣って、構える。
「ボクは大人の対応でもしますかね」
『………………』
川姫様の御成りであった。
「なるほど、確かに美しい」
現れた川姫の姿を見て、説子が評する。
まるでお祭り帰りのような振袖を着た、十代半ばくらいの美少女。一見は百聞に如かずとは言うが、なるほど確かにこれは鼻の下が伸びる。何か花園のような良い匂いもするし、気付かぬ内に魅了されてしまうのだろう。
説子が男ならば、の話だが。
『あんた、女ね?』
「如何にも。とは言え、女でも引っ掛かる奴は引っ掛かるかもな。そこは認めてやろう」
例えば百合とか。
『全然嬉しくないわね。女に用はないのよ』
だが、男を餌にする川姫からすれば、全く面白くない。ただの冷やかしだ。
「何でそこまで男に拘るかね? 男も女も、等しく人間だろうに」
『全然違うわよ。性差万別、適材適所。私にとって、男は子孫繁栄に必要な犠牲なの。分かるかしら?』
「子孫繁栄ね……」
人間の精液を使って繁殖する生物なのだろうか?
『だから、あんたみたいな男女、いらないのよ!』
すると、川姫の“擬態”が解かれ、悍ましい正体を現した。
「“蛭”か」
それは巨大で歪な怪物だった。
有爪動物(もしくは絶滅種の葉足動物)に鉱石の鎧を纏ったような姿をしており、端的に言えば「甲殻を持った馬鹿デカいカギムシ」としか表現の仕様のない、限りなく不気味な生物である。
しかし、口の形状や滴る粘液、関節の軟体部に見られる環状の器官など、明確に違う部分もあり、実際は「カギムシのような足と鉱石状の甲殻を持つ蛭」と言うのが正しいだろう。
どちらにしろ、人間を丸呑みに出来そうな化け物である事に変わりはない。
◆『分類及び種族名称:吸精超獣=川姫』
◆『弱点:頭部』
「うわ~、ぶっさ~ぁいく」
『グギュルィイヴヴヴッ!』
説子の忌憚の無い感想に怒り狂った川姫が、丸太のような幾つもの足で地均ししながら突っ込んできた。もちろん、素直に食らう筋合いも無いので跳んで躱し、自身の爪を鋭い鉤爪に変えて切り付ける。
――――――パリィイイイン!
『キュゲェアッ!?』
鉱石の鎧は相当に分厚いようだが、まるでガラスを叩き割るように、いとも容易く抉られた。説子の鉤爪の鋭さと強靭が伺える。
こうなると、川姫に勝ち目は無いだろう。何せ自身の鈍重さを補う為の装甲が、まるで無力なのだから。
だが、生物は最期の瞬間まで生きる事を諦めない。何としてでも生き延びようとする。
――――――ビチャッ!
と、やけにキラキラと光る粘着性の糸玉が飛んできて、説子の腕や足に絡みつく。
「蛭がカギムシみたいな真似する、な……よ?」
その瞬間、説子がガックリと脱力し、膝を着いた。
「ZZZzzz……」
さらに、力なく突っ伏したかと思うと、そのまま昏睡してしまった。
「おっ、蛭の麻酔液か」
そんな説子の様子を見て、里桜が呟く。
蛭は「ヒルジン」という血液の凝固を阻害する物質と麻酔作用のある唾液により、獲物に気付かれないまま効率良く吸血をする事で知られている。あの粘液も同じような成分で構成されているのだろう。キラキラと光っているのは、皮膚に傷を付ける為に混ぜ込まれた細かな鉱石の欠片なのかもしれない。
つまり、あの粘液(というより唾液)は全身麻酔薬なのだ。偶然にも攻撃方法がカギムシの粘糸に似ているが、それこそ他人の空似が高じた結果だと思われる。
しかも、ヒルジンにより血が固まらないので、例え吸血出来ないとしても、粘液の膜が剥がれてしまえば、放っておいても出血多量で死んでしまう。中々にえげつない能力である。
「……だけど、私の説子を舐めて貰っちゃあ困るね」
しかし、里桜は焦りもしなければ、手を貸す事も無い。何故なら、心配するに値しない状況だからだ。
「――――――ハァアアアッ!」
『………………!』
そう、爆炎を吐く事が出来る説子の代謝は生物の域を超えているのである。前回の反省を踏まえて解毒作用を高まるよう改造された、という事情もある。高が麻酔液程度、分解・気化して排出するぐらい訳はない。ヒルジンも高熱で変質してしまっている。
今度こそ、川姫に手は残されていなかった。
『ゴァアアアアアアアッ!』
『ギギャアアアアアアッ!?』
そして、更に火力の上がった説子のブレスにより、川姫の命はグツグツの泡と消えた。
「さてと……それじゃあ、次は私の番か」
それを見届けた説子が、漸く重い腰を上げる。
◆◆◆◆◆◆
古角町の一角にある、一戸建てにて。
「そろそろ終わったかな~?」
巫女子は悪い笑みを浮かべていた。その様は、まさしく「計画通り」という感じだ。
そう、美里に手紙を書かせ、里桜に依頼させたのは、全て巫女子が思い描いた展開なのである。
むろん、その結果、美里が実験台にされる事も、計算の内。最初から巫女子は美里を亡き者にするつもりだったのだ。それも自分の手を汚さず、己だけが生き残る為に。
「全部、あんたが悪いのよ」
巫女子と美里は友達である。それに間違いはない。
だが、
――――――あんな地味で良い子ちゃんなだけの、あいつの何処が良いのよ!
それは
だから、巫女子は美里を餌にした。
「良い夜だねぇ、お嬢ちゃん?」
しかし、そうは問屋が卸さないのが、世の常という物。人を呪わば穴二つ。巫女子は己の醜い心根のせいで、とんでもない悪魔を呼び寄せてしまったのだ。
「あ、あんたは……!?」
「私は噂の里桜。屋上のマッドサイエンティストさ」
即ち、屋上のラストボス――――――香理 里桜の降臨である。
「な、何で……!? 依頼したのは美里でしょ!? どうしてあたしの方に来るのよ!」
「クックックック……言わなきゃ分からんか?」
「あ……っ!」
言っていて、気付いた。これでは自白をしたも同然だ。
「確かに手紙を書いたのは
「あ、ぅ……あ……!」
「それに私が欲しいのは、依頼人が一番大切にしている物だ。大抵は
「あぁ……っ!」
巫女子は美里に嫉妬していた。あまりにも良い子過ぎて。その結果がこれである。
「まぁ、友達を見る目は無かったようだがね。それに、私は人を弄ぶのは好きだけど、弄ばれるのは大嫌いなんだよ。お・わ・か・り~?」
「い、ぁ……いやぁあああああああああああああああっ!」
こうして、巫女子は供された。本当の悪魔の、
◆◆◆◆◆◆
ごじつ!
「ねー、昨日何観たー?」
「あー、ゲームしてて全然テレビ付けてないわ」
「馬鹿だねー、昨日「アツ子の部屋」、ゲストで御剣くん出てたよー?」
「マジで? そりゃあ、惜しい事をしたなぁ……」
「お前ら遊び過ぎだろ。少しは中間テストに備えろっての」
「「ハッ、真面目か!」」
「ああ、真面目だ」
峠高校は今日も平和だった。
「………………」
美里以外は。
(皆、居なくなった……)
颯は衣服の切れ端が見付かり、巫女子は先日から蒸発した。どちらも生きてはいないだろう。あっと言う間も無く、自分の大切な人たちが消え去ってしまった美里の心は、完全に虚無に陥っていた。
これからどうすれば良いのか。分からない。……分かりたくもない。
「大丈夫かしら? 保健室に行った方が、良いんじゃなくて?」
「………………」
クラス委員長に話し掛けられても、この通り。目に入る物、耳に届く物、肌に触れる物、全てが「無」としか感じられなくなっている。
「………………」
フラリと立ち去る美里。その背中は、何時も以上に小さかった。
「お疲れさん」
そんな彼女を見送りつつ、クラス委員長――――――
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