Revenge Fox Ⅸ

 そこは妙に緑がかった薄闇が立ち込めた狭くカビ臭い部屋。

 天井に照明はなく視線の先に緑色の光を放つ四角い画面がひとつ。

 目を凝らすとそれは事務用のスチールデスクに置かれたタブレット端末だった。

 戸惑いながらも近づいた俺は真上から覆い被さるようにしてその画面を覗き込む。

 するとはそこに試験問題のような文字列が一面の緑色を背景に映し出されていた。



 設問 下記のうち、あなたが復讐の対象者に望む制裁はどれですか。ひとつだけ選びなさい。


 1. 謝罪

 2. 慰謝料

 3. 社会的排除

 4. 精神崩壊

 5. 死の代償


 呆気に取られた俺はしばし画面を眺め、やがてフッと嘲笑の息を漏らした。

 

 もしかして佐々木美鈴に俺の回答を反映した制裁が加えられるとでもいうのか。

 こんなもの、バカバカしいにも程がある。


 俺は足許に視線を巡らせ、狐の姿がないことに舌打ちをしてから再びタブレットに目を向けた。


 まあ、いいさ。

 どうせ夢の中のくだらない余興だ。

 付き合ってやる。

 

 その高飛車な妥協とは裏腹に文字列を何度も繰り返し舐める俺の視線は不本意にも徐々に熱を帯び始める。


 まずは謝罪。

 ふざけるな。謝られて、簡単に許せるほど俺の怒りは薄くない。


 慰謝料。

 これも却下だ。額面にもよるが、一介の OL に払える金額などたかが知れている。俺の恨みは端た金で取り下げられるような軽いものではない。

 

 次に社会的排除。

 つまり非正規労働者となって社会の底辺近くを這いずる俺と同等の境遇になるということか。

 その文字を睨む俺の脳裏にふと狐の忠告が過ぎった。

 

 ―――― 天秤を平行に戻す加減。


 会社を首になり、場末のキャバクラでホステスをする佐々木美鈴を想像した俺は含み笑いでザマアミロと唇を捻じ曲げる。

 次いで人差し指でその選択肢に触れると画面の背景が白く変わり、右下隅に黒枠の決定ボタンが現れた。

 俺は画面を見返してひとつ頷く。

 狐の助言に素直に従うならこの辺りが妥当な量刑だろう。

 そして指先を移動させてボタンをタップしようとした刹那、けれど俺の胸底にざわりとした感情が蠢いた。


 ……お前、本当にそれで許せるのか。

 

 その自問が風に舞う火の粉のようにパッと弾けた。

 知らず指が画面から遠去かる。


 悪意を以て自分をこんな不遇に追い込んだ佐々木美鈴を俺は殺したいほど憎んでいるはずだ。それなのに同じ境遇に落としただけで満足してしまうのか。


 指先が画面中程の選択肢へと戻っていく。

 狐の言葉が鼓膜の奥で響いた。


 ―――― 倍返しは御法度。

 ―――― バランスが重要。


 分かっている。

 その通り、正論だ。

 けれどそれはただの正論だ。

 俺のこの怒りは、復讐心はそんなものに収められるような大きさじゃない。


 いつのまにか俺は衝動のままに5番を押していた。

 すると背景が真っ赤になり、再び右下に決定ボタンが現れた。

 強い意思を孕んだ指が勝手にそこに向かう。

 そして指腹がボタンに触れようとしたその瞬間、わずかな理性がそれを辛うじて押し止めた。


 不文律を破れば、代価を払わなければならない。


 狐の忠告が再び耳の奥に響いた。


 どこかで荒い息遣いが響いている。

 それが自分の喉から発せられていることにややあって気付いた。


 こんなものただの夢でただの余興だ。

 心が逃げ道を探して逸れていく。


 でも、もし本当にこれで復讐が成るとしたら……?

 

 赤い鮮血を塗りたくったような警告画面に整然と並ぶ漆黒の文字列。


 首筋にじっとりとした汗を感じた。

 震える指がゆっくり選択肢へと戻っていく。


 結局、俺は4番を選ぶことにした。

 それが衝動と理性の妥協点だった。

 タップすると背景が黄色になった。


 精神崩壊がどの程度のものなのか、判然とはしなかったけれど順番から推測すれば社会的排除よりは重い制裁なのだろうと思った。


 まあ、いい。

 それで許してやる。


 俺は渋々といった風に自分を納得させ、そして黄色い画面に黒線でハッキリと枠取りされた決定の文字に軽く触れた。タップした後で黄色も警告だなとふと思ったけれど、もうその時は夢が解け始めていた。


 画面が波のように揺らぎ、次いで視界が黒く閉ざされた。

 そして目覚めると俺の視界はその全体がなぜか真っ白に輝いていた。


 それは向かってくる車が放つヘッドライトの光だった。

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