勇者の矛盾
「どうして……?」
「なにがだ?」
大魔王エクスと勇者フィオレシア。
二人が初めて直接対峙した魔王城の広間。
エクスの大きな胸板にその身を埋めた幼いフィオは、呟くようにして尋ねた。
「どうして私を助けてくれたの……? 私は勇者で、君たちの敵だったのに……」
「それは……」
辺境の村で天涯孤独となって数年。
この世の何もかもを否定しかけていた彼女を、ギリギリで支えたのがエクスだった。
もはや怒りも憎しみも抜け落ち、年相応の透明さを宿したフィオの赤い瞳に見つめられた大魔王は少しだけ考え、やがて答えた。
「ぶっちゃけ、俺は誰かが泣いているのを見るのが嫌いだ……! 我が同胞はもちろん、敵である貴様ら人間であっても、他人が苦しんでいる姿を見るのは大っっ嫌いだッ! そして……初めて見た時の貴様は、俺が今まで見た誰よりも悲しそうに見えたのだ……」
「大魔王……」
当時、戦況はモンスター側に大きく傾いていた。
勇者フィオレシアの旅路によって局地的には挽回していたものの、依然として人類は劣勢。
しかし各地を旅してきたフィオは知っていた。
現在も続く戦争による双方の犠牲者が、かつてのどの大魔王時代よりも圧倒的に少なくなっていたことを。
「俺は無敵の大魔王エクス! 俺は必ずやこの不毛な争いを終わらせ、人もモンスターも共に泣かなくて良い世界を作ってみせると決めている! 無論、貴様のようなちびっこは最優先で助ける! 勇者だろうと一般人だろうと関係ない! それだけのことだ! ファーーーーハッハッハ!」
どこか滑稽にすら聞こえるエクスのその言葉。
しかし事実として全人類はこの大魔王一人を相手に劣勢となり、為す術無く後退を余儀なくされている。
そしてなにより彼のその言葉は、あと一歩で砕け散る寸前だった自分を支えてくれた大魔王が、ずっと想像し続けた通りの人物だったことをフィオが確信するのに十分なものだった。
「なら私も手伝う……! 君が誰も泣かない世界がいいって言うのなら、私がそれを一緒に作る!」
「なんだと!? た、たしかに我が同胞を誰一人として殺めなかった貴様とならば、それも可能かもしれぬが……」
「〝かも〟じゃない。私と君……何千年も戦い続けてきた勇者と大魔王が仲直りできるなら、他のみんなだってきっと仲良くできるはず……だから一緒にやろう! 私を助けてくれた大好きな君に、今度は私が……私が君の望む世界を見せてあげたいんだっ!」
勇者フィオレシア・ソルレオン。
世界に裏切られ、世界に絶望した先で勇者となった彼女にとって、世界を平和にしたいという動機は〝それだけ〟だった。
すべては、エクスがそう願ったから。
もしこの時にエクスが人を滅ぼし、モンスターの楽園を作るのが望みだと言っていたら――果たして彼女はどうしていたのだろうか――。
「や、やめろおおおおおおおっ! 許してくれぇ……殺さないでくれええええええッ!」
「お祖父様……」
そして現在。
事の真相を確かめるべく皇居に乗り込んだフィオとエクスは、そこで必死の形相で命乞いする現皇帝ドラクレスと対峙していた。
いや――それは対峙などという状況ではなかった。
すでに大勢いた侍従も近衛も彼を見捨てて逃げ出している。
一人残された皇帝は、特に敵意すら見せていないフィオとエクス相手に酷く怯え、腰を抜かして床上を這いずっていた。
その怯えようは、すでに彼こそがストーカー事件の犯人であると雄弁に物語っていた。
「むぅ……先ほどのカルレンスと同じく凄まじい怯えようだが、この爺さんには何をしたのだ?」
「〝なにも〟……たしかに皇帝の実権を剥奪するよう政争を仕掛けはしたけど、私が直接お祖父様相手に手を下したりはしてはいない。私が邪竜を倒して皇居に戻った時には、もうこの人にはカルレンス君ほどの気持ちも、強さもなかったからね」
「……そうか」
「ひえええええ! 頼むから命だけはぁあああああ!」
一切の感情がうかがえないフィオの言葉に、エクスはすべてを理解する。
皇帝は己が行ってきたフィオへの仕打ち、その報復にこそ怯えていた。まさに因果応報である。
「息子のことはすまなかった……! しかし奴にも落ち度はあったのだ! 息子の教育のため、余がどれだけの金を使ったことか! しかし奴はそれに応えるどころか、何をやっても人並み以下だった……! 余が皇族から追放したくなる気持ちもわかるであろう……!?」
「…………」
決死の命乞いの果て、皇帝の口からフィオにとって禁忌とも言える父への侮辱が混ざる。
フィオの表情は永久凍土のように凍り付いたまま動かず。
しかしほんの僅かに、そのしなやかで美しい彼女の指先に〝明確な殺意〟を宿した炎が収束した。
だが――。
「――帰るぞフィオ。〝俺たち〟の家に」
「エクス……」
「ここに貴様の益になるようなものは何もない。そして……これからもだ」
だが――その炎が放たれることはなかった。
収束した灼熱と殺意をかき消すように、エクスの力強い手の平がフィオの手を包んでいた。
「今日の夕食は特別に俺が二日連続で作ってやる……もうこれ以上、自分を傷つけてはならん」
「っ……ありがとう……ごめんね、エクス……っ……」
十年前。まだ幼い頃にそうしたように。
フィオは再びエクスの胸に顔を埋め、小さく頷いた――。
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