第3話 『意識』
潤から思わぬ引き留めを受けた孝弘は、自分が蒔いた種という自覚からか、仕方ないか、というようにフッと軽く息を吐き、今さっき立ち上がったばかりの椅子に吸い寄せられるように腰を下ろした。
「たしか、友人から相談を受けたとか言ってたな。
ただ、結論としてはぼくの考えと一緒だったよ」
「それは”ないがしろにしてもいい存在”ってやつか?」
「そう。だから便利な解決策や対応策っていうものは存在しないってさ」
「そうかぁ……」
「孝弘のおばさんでも解決は難しいんだ……」
「まぁ、『全てを賭ける覚悟があるなら策らしきものはある』ようなことも言ってたけど……」
「覚悟って……」
「そこまでの問題ということなんだろうね」
「そもそも『誰のおかげで食えてると思っているんだ!』という発言をすること自体、夫婦という絆を維持するためにはタブーであるという意識がない相手だからね。だから妻は、夫にそう発言された時点で”離婚”という選択肢が頭によぎるそうだよ」
「え!? そんな大ごとなの!?」
「らしいよ。そしてその相手も潤と同じことを言うらしい。『そんな大げさな!?』って」
「あ……」
「妻にしてみれば、その考えに至れない相手を選んだことを悔やむ瞬間だろうね」
「俺もその一人か……なんか……ダメだなぁ……俺」
「……」
「そう悲観することもないと思うよ」
潤と彰の二人が各々の考えにふけっているところを、孝弘は楽観的にそう答えた。
「なんで?」
「ぼくもそう思っているからさ」
「孝弘が?」
「え? だって今、そういう発言はタブーだって……」
「ぼくはまだそれを”知識”として知っているだけだよ。
まだ自分の能力として吸収できてはいない」
「?」
「どういうこと?」
「つまり、『頭ではわかっているけど、実際にそう行動できるかはわからない』ということ」
「あー……」
「な、なるほ……ど?」
「自分がそういう男になりたくないのであれば、それがタブーであるという”意識”を持つように努めればいいのさ。少なくとも今ぼくらができることなんて、まず”知識”として学ぶことくらいだ。まぁ、恋愛でもすれば直接学べるのかも知れないけどね」
「タブーということを”知識”として……か……」
「よし! 俺は覚える! 覚えておく! うん!」
「今はそれでいいと思うよ。というか、それしかできないと思うし」
孝弘という男は、現状で理解できていないことを無理やり理解したことにはしない。だからといって理解することを諦めるやつでもない。今の自分では理解できない、ということを素直に認め、その上でこれからどうしていくか、ということを冷静に考え実行することのできるやつだ。
潤は、自分がそういった客観的な自分視というものがとても苦手だと自覚していた。だからこそ、孝弘のこういう部分には素直にあこがれを抱いていたし尊敬もしている。
(しかし……)
潤は、孝弘がなぜこんな非理論派の自分と一緒にいるんだろう? と常々不思議に思っていた。
(孝弘はその理由を「面白いから」と言っていたが……
こいつ、俺が披露したギャグで笑ったことは一度もないしな……)
そう考えながら、潤はまじまじと孝弘の顔を眺めていた。
「どうかした?」
「い、いやなんでも! しかし……理想の結婚生活って難しいんだなぁ……」
半ば反射的に返したであろう潤のその言葉に、孝弘は即座に反応した。
「潤には理想としている結婚生活のイメージがあるの?」
「そりゃぁね。ほら! よくあるじゃん!
奥さんと子供が居てマイホーム買って、週末は家族でお出かけして~とかさ」
「……」
「……」
「……え? 二人ともないの?」
「そこまではまだ……ないかな」
「ぼくも彰と同意見だね」
「え・え~!?」
「……ごめん」
「いや、あやまることでもないけどさ……そっかー」
「そう思う。イメージがないだけなんだから別にあやまることじゃない」
「そ、そうだよね。でも、イメージがない自分にちょっとへこんでる……」
「そういうものか?」
「うん」
「そうか。それはぼくにはまだ理解できないな」
「ふふ、孝弘はそれでいいと思うよ」
「だな」
二人に慰められたようで釈然としない孝弘ではあったが、それよりも内心では別の好奇心の方が勝っていた。
「ところで潤。さっき面白いことを言ったね?」
「面白い?? 言ってないだろ別に」
「”理想の結婚生活”と言ったじゃないか」
『?』
潤と彰は「それのどこが面白いの?」というように二人で同時に顔を見合わせた。
「”理想の結婚生活”とは、いったいどんなものなんだろう? って思わないか?」
「ははぁ~……そこか~……」
「孝弘が言うんだから難解そうだね」
「”理想”とついてるから難解だろうね」
潤は、思いもよらぬタイミングで食い付いてきた孝弘を見て「これは色々と追及されるヤバい展開になる」という危険信号を察知し、急ぎ撤収しようと慌ててリュックの肩紐を掴んだ。
「さ、さて、そろそろ帰ろうぜ」
潤は孝弘に目線を合わせず、その場を切り上げようとぎこちなく席を立った。
が……
「待て!」
「な、なに?」
「『流れからして』ここは話を続けるところだと思うが?」
「くっ!」
孝弘はニヤニヤしながら潤を見つめ、その右手はしっかりと潤のリュックの肩紐を捉えていた。その瞳は好奇心旺盛で輝きを発しているようだった。
それとは対象的に、まるで心の臓を孝弘に握られているかのように引きつっている潤の顔……。
彰は二人のショートコントを間近で見ながら、またもくすくすと微笑していた。
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