第2話 『プライド』
「二人に聞くけど、そもそも『誰のおかげで生活できてると思っているんだ!』
という発言は、どんな”結果”を期待してのことだと思う?」
「相手を黙らせるため?」
「そうだね。では、相手を黙らせることで何を得る?」
「え? それで何か得るの?」
「……自分の……立ち位置?」
その彰の返答に孝弘は軽くうなずいた。
「おそらくそうだろうね。夫婦間のパワーバランスとでもいうのかな。
理由は様々なんだろうけど、単に『俺の方が偉いんだ』とか
マウントに類する優越感かな。亭主関白なんて言葉もあるからね」
「亭主関白かぁ。でもうちの母ちゃんには効果ないみたいだけどw」
「それは単に夫婦間のパワーバランスが拮抗しているんだと思うよ。
そういう夫婦では喧嘩にはなるけど大きな問題には発展しないと思う」
「たしかに。うちでは年に一回のイベントみたいなもんかな」
「お互いが思っていることを言い合える関係というのは、
とても良いことだと思うよ」
孝弘の話を聞いて、潤と彰はお互い腑に落ちたようで、うんうん、と首を数回縦に振った。
「ただ、この言動に含まれている暴力性は十分に離婚要因となる。
いわゆるモラハラってやつだね」
「マジで!? でも結構ありそうな話だと思うんだけど……」
「結婚してない僕らですら、この手の話は結構聞いたことがあるんだから、
世間ではそれなりに蔓延してる話なのかもね」
「そう思う。メジャーな流れとしては……」
【(夫)誰のおかげで生活できてると思っているんだ!俺の稼いだ金だぞ! 】
【(妻)私が家事をやっているから、あなたは仕事に専念できるんでしょ! 】
【(夫)俺がお前を養ってやってるんだから、家事くらいやって当然だ! 】
【(妻)なら私も働きに出るわよ。そしたらあなたも家事を手伝いなさいよ? 】
【(夫)お前の稼ぎなんてたかが知れている。どうせ俺よりか稼ぎが低いんだからお前が家事をやるのは当然だ 】
「と、こんな感じかな」
「おぉ~、うちはここまで行かないけど、確かにありそうな話だな」
「でもなんか論点がズレていってる感じが……」
そう!と言わんばかりに孝弘は彰に対してピッと人差し指を立てた。
「その通り。最初は”稼ぐ/稼がない”の話をしていたはずなのに、
劣勢になり始めると今度は”稼げる金額差”に論点をずらして
マウントを維持しようとしているね」
「論点が……? ズレ……てるの?」
イマイチ二人の話についていけてない潤は、確かめるようにおそるおそると視線を漂わせた。
「無意識にそうしているだけだと思うよ。このままだと分が悪いから、
何とか自分優位を維持するために、という意識なんだろうね」
「はぁ……」
「ただ現実問題、女性が男性より稼ぐのは難しい社会だから、
夫はそこを突いてマウントを取るんだろうね」
「男という立場を利用したマウントってやつかぁ」
「でも、奥さんの方が給料高いケースもあるよね?」
「おーたしかに!」
彰としては至極当然なケースの提示だったが、隣りで思いのほか驚いている潤を見て呆気にとられた。
「もちろんそのケースはある。
ただ母さん曰く、そういう夫婦の方が実は離婚率が高いと言ってた」
「えぇ!?」
「なんで?」
「男性のプライドの問題らしいよ。
奥さんが自分より優秀だったり、稼ぎが多いことが許せない、とか」
「は? 何それ? 感謝するんじゃなくて?」
潤は結構な本気度で目に怒りを滲ませていた。
「はは、ほんとに潤の言うとおり。ここは感謝するところだと思う」
「だよな!」
「でも実際には『俺より稼ぐんじゃねぇ!』なんていう輩もいるらしい」
「はっ? ……なんつーか、客観的に聞いてると……なんだろう……色々終わってるな」
「だから離婚に発展しやすいんだろうね。
そうならないように奥さんがあえて稼ぐ額を調整する、なんて話もあるくらいだ」
「マジか!?」
「とはいえ、夫婦全体からすれば数は比較的少ないから見かけるのは稀なケースとも言える」
「……そこまでして男を立てる理由って……なんかあんのかな?」
潤はそれこそ苦虫を潰したような顔で孝弘に聞き返した。
「それは当人にしかわからない。でもそうするということは、
そうまでしてでも夫婦関係を維持したい明確な理由があるんだろう」
「理由ねぇ……でもなんかこう……モヤっとするなぁ」
「限界はあるだろうけどね」
「だよなぁ……そんなんいつかは堪忍袋の緒が切れるよなぁ」
「つらいだけだもんね」
「そういったマウントを取ろうとする夫は、
おそらく妻をないがしろにしてもいいと考えているんだろう。
その結果、『誰のおかげで生活できてると思っているんだ!』
という発言が飛び出すんじゃないかと」
「ないがしろにしてもいい、って……」
「瞬間的なストレスで衝動的に発した場合は当人の憤りも小さいだろう。
そういう時は奥さんの器量で喧嘩程度でおさまるとは思う」
「あー、うちのケースか」
「そう。でも決して口にしていい言葉かというとそうではない。
十分、夫婦仲を終わらせるだけの破壊力は備わっているから、
軽々しく言わない方がいいとは思うよ」
「親父~気を付けろよ~」
「まぁ、潤のところは大丈夫そうだけどね」
潤と孝弘という珍しい組み合わせの対話を傍らで聞いていた彰は、ふと周囲の人影が少なくなってきていることに気が付いた。
その彰の様子に気付いたのか、孝弘は腕の横に置いてあった本を自分の鞄にしまい始めた。
「さてもう遅いし、ぼくらもそろそろ帰ろうか」
「待て孝弘」
「? 何?」
「何? ……じゃねぇ! 本題がまだだろうが!」
勢いよく切り返してきた潤の言葉を聞いて孝弘は目を細め、本気でわからない表情を作り首を少し傾げた。その姿は結構愛らしく見える。
「本題?」
「自分の興味あったところだけ好き勝手話しまくりやがって……
こっちはその後が聞きたいんだよ!」
「何を聞きたいの?」
「孝弘の母ちゃんの返答だよ! お前さっき質問したって言ったじゃねぇか!」
その言葉で孝弘は何かを思い出したかのように、細めていた目を一瞬いつもより少し多めに見開いた。
「あー……確かに。ただ、ぼくの疑問は結局自分で解決してたから、
あれは蛇足的な質問だったんだよ」
「だ、蛇足?」
「だって『誰のおかげで生活できてると思っているんだ!』
って発言そのものがなければ、その後の対応なんてそもそも必要なくなるし。
だからあの質問は単に『母さんはどう考えてるんだろう?』という
興味本位的なものでしかなかったんだ」
「ほーほーなるほど確かにそうだな……ってそんなことはいーんだよ!
孝弘の母ちゃんなら何て対応するのかが聞きたいんだよ!
というか、流れからしてそうなっていくだろ! 普通っ!」
「え、そこに興味持つの? 潤って相変わらず変わってるね」
「お前が変わってるんだよ!」
コントのような二人の掛け合いを見て、彰は少し声が漏れる程度に笑った。
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