v2.0.6 - 情報I

 ――と、己のモブ道について思いを馳せているうちに学校に着き、いつものようにミントと別れて教室に入る。


 そしていつものように誰とも挨拶することなく席に着き、いつものようにやる気のない担任による気の抜けた朝のHRの時間を過ごす。

 この気の抜けたHRからしか摂取出来ない栄養素があるので、なんだかんだで朝のこの時間は嫌いじゃない。


 HRを終え、今日の1限は、待ちに待っていない「情報I」。

 情報、つまりネットだとかプログラミングだとか、いわゆるITリテラシーとかいうやつの授業だ。

 ミントとのあれこれや七橋さんとの一件もあり、今俺が一番興味を持って真剣に取り組まなくてはいけない授業のはずなのだが、4回目の授業にしていまだに全く微塵もやる気が立ち上がる気配を見せない。


 ――だって。

 仕方ないじゃない?

 情報とかITとか色々トラウマだし。

 IT機器見るとそれだけで蕁麻疹出る時期もあったくらいだし。


 いや、一昔前はパソコンがずらりと並ぶ専用の部屋で授業をしていたという話だし、ARグラスのお陰でいつもの教室で授業が行われるのはだいぶ助かっている。

 ――のだけど、この授業、教科担任の趣味なのか何なのか、黒板周辺にやたらサイバーっぽい3Dオブジェが追加されたり、ミントとのファーストコンタクトの時を思い出させる、多数の黒い画面が展開されていたりと色々と俺のトラウマや恐怖心を刺激してくるので、心の平安が乱されて落ち着かない。


 それに加えてこの「情報I」の授業には、俺のやる気だとか向上心だとかいうものをペキパキと折にくる厄介事がある。


「今日はネットリテラシーの要、個人情報保護ってものについて、しっかり学んでもらうからな」


 教壇に威圧するように真っ直ぐ立ち、でかい声を放つ教師。

 蒲原かもはらという教科担任が、この授業における最大にして最強の頭痛の種だ。


 情報系の教科担任といえば、きっと理屈っぽくてコミュ力に難アリなガチガチ理系の陰の者に違いないと思っていた。

 なのに目の前にいるのは声のでかい、ジム通いしてそうな細マッチョに小麦色の健康的な肌の明らかに陽の者だ。

 イケイケ(死語)なITベンチャーとかで「クライアントのニーズにコミット」とかよくわからん横文字で話をしてガハハとか笑いながらすごい売上とか上げて、週末はネットじゃなくて本物の波の上でサーフィンしてそうな感じ。どう考えてもこんな高校で教師やってるような種類の人間じゃない。


 何でこんな人がこの学校で教師なんかやってるのかはよくわからない。

 先進IT指定校とやらの情報の授業、ということで、特別にイケてる感じの凄い人を教師に据えてたりするのかもしれない。

 実際、他のクラスメイト――特に男子の一部――が蒲原を見る目線に、どこか憧れのようなものがあるように感じるし、何かしらのとんでもなくすごい人な可能性は高そうだ。


 だがそんな事、俺の知った事ではない。

 ITの世界でどんな立場の人間だろうと、ITに関わる人な時点で俺の人生において無価値だ。

 だって、この学校出たら、二度と関わる可能性のない相手だし。


 俺にとって重要なのは、今この瞬間、コミュニケーションが成立するかどうか。その一点だけ。

 その観点から言えば、この教科担任は――最悪だ。


 こんな陽キャっぽいイケイケ(死語)ITおじさんと、アナログ陰キャである俺との間でコミュニケーションなど成立するわけがない。

 この陽の者の権化みたいな教師と少しでも距離を詰めたら、俺は即座に溶ける。蒸発する。消える。

 ギリギリ蒸散は免れたとしても、眩しすぎて直視できないこんな相手と会話が成立する未来は見えない。

 多分、この人は俺と住んでる世界が違う。

 世界が違うのだから、当然言語だって違う。

 話している言葉は同じ日本語っぽく聞こえるが、多分なんか方言的なものが違う。古語と現代語くらいの隔絶がある。


 実際、「インシデント」だの「リスク」だの「オプトイン」だの何だの、現在進行形でその口から次々に発せられる横文字もまるで頭に入ってこないし、ちょいちょい挟まれるアメリカンな感じのユーモアもいちいちカンに障って脳が理解を拒否する。

 ろくろを回す感じの身振り手振りも何もかもが全部邪魔だ。


 もうなんというか苦手。

 苦手要素の権化。

 この人たぶん、異世界からやってきた転生者か何かだと思う。


 そんな相手とコミュニケーションをとる?

 冗談はよしこさん。

 異世界転生してるくせになぜか言葉が通じるとか、そんな甘い世界じゃないんだよ、この世は。

 会話など成立するわけない。

 ましてや俺のARグラスに現在進行形で起こっているヤバい事実の相談だとか、そんな事できるわけがなかろう?


 ……はぁ。

 これがもっと理系な陰の者だったら。

 そしたら、ミントとの件だって相談できたかもしれないのに。

 なんなら相談のために訪問した視聴覚準備室とかで、机にあったフィギュアか何かをきっかけに、好きなアニメとか古いゲームとかの話題になり、「お、き、君はなかなか分かってますね」とかなんとか仲良くなる未来だってあったのかもしれないのに。


 なのに実際にあてがわれたのはこんな、俺が接したら大爆発しそうな反物質みたいな教師だなんて。

 ほんと、マジで勘弁してほしい。


 俺がミントのことを未だに学校側に相談できずにいる最大の理由は、この教科担任なのだ。

 この教科担任、蒲原こそが学校側のIT関連の責任者であり、他のIT系の担当っぽい先生や職員の皆さんも蒲原に近しい空気を醸しているせいで、俺はミントの事を学校に話せずにいる。


 人のせいにするなって?

 至極ごもっともですが、仕方ないじゃない?

 ほんとに嫌なんだもの。この人と話すの。

 同じ空間に一緒にいる時点でストレス。

 女子がたまに言う「生理的に無理」ってやつです。多分。しらんけど。


 というわけで、こんな地獄のような環境の中、こうして授業にきちんと出席している、それだけでも世紀の偉業だと褒め称えられれてしかるべき状況だと思いますので、みんな俺を褒めてください。

 ……褒められたところでやる気は出ないのは変わらんですが。


◇ ◇ ◇


 そんなやる気の出ない俺の目の前で、授業は淡々と進んでいく。

 今日のテーマは個人情報保護について、だそうで、これこそ本当に俺が真剣に学ばなくてはいけない話なのだが、蒲原の言葉は耳から入った瞬間に脳が理解を拒否してしまう。まるっきり頭に入ってこない。


 それでもテーマがテーマだけあって、名誉毀損だとかいった、あの事件の時に散々お世話になった言葉や、先日七橋さんの件で大変お世話になったCSRFという単語も聞こえてきた。

 俺の脳はそんな言葉に適切に反応し、脳内に色々なトラウマのフラッシュバックを巻き起こしてくれた。

 もうなんか色々マジでしんどい。泣きたい。


 それだけならまだよかった。


 蒲原は、個人情報保護について一通り喋った後、でかい声で言い放ちやがったのだ。


「自分では何も公開してないつもりでも、個人情報というのはネットに晒されてしまってる場合あるからな。ってことで、今から各自、自分の名前をウェブ検索してもらおう」


(……なんですと!?)


 俺の名前を、ネット検索する……?

 そんな事したら――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る