v2.0.5 - LINC教室

 七橋さんとLINCでフレンドになってから二日ほど。


 LINCの基本的な使い方や基本的なマナーについては図書館にあったお年寄り向けの入門本を読んで頭に叩き込んだ。


 フレンドになったミントのほうからちょいちょい「何してるの?」とか「ダーリン今ヒマ?」とかそんなメッセージが届くので、学んだことを試すいい練習台になってもらっている。


 こういう時に限っては、ミントの存在はありがたい。

 何せ俺は、ミントと会話をしなければ死ぬ呪いを付与されている。

 ミントからエクスキューズがあれば、すべからく返すべし。さもなくば死ね。

 そんな環境下に生きる以上、LINC着信通知にミントの名を見つけた場合、何らかの返信を素早く返さねばならぬ。


 己の命がかかっているとなれば、人は行動し、学ぶ。

 メッセージを早く打つ工夫も、音声通話の仕方も、ミントとのやりとりで一通り覚えた。

 ミントに「会話が味気ない」と文句を言われたので、メッセージを彩るために使えそうなスタンプを必死に調べた。

 スタンプ使えば使ったで「何そのスタンプ可愛くない」と文句を言われ、そんな理不尽を経て、スタンプの使い方、使いどころもおおよそ把握はできた。


 ただ、どうやら無料のスタンプばかり使ってると――どうやらミント相手に限らず世間的にも――わりとプークスクスされやすいらしい。

 コミュニケーション強者が駆使する良さげなスタンプはだいたい有料であり、これが格差社会……と人生の悲哀を噛みしめながら、しかしネット決済とかそんな恐ろしいものに手を出せない俺は、スタンプに関しては俺には縁のなかったものとして、その全ての記憶と経験を闇に葬り去った。


 かくして俺のLINCにおけるファイトスタイルは「スタンプなんて軟弱なものは使わない硬派な俺」の方向で固まりつつある。

 これがミントさんにはどうやら大変不評なようで、格差を見せつけるようにかわいいスタンプを連打で送りつけてくるが、そんなもので折れる俺ではない。

 ネット決済だなんてそんな末恐ろしい事に比べれば、このような事は些事だ。


 ……ごめんなさい嘘ついてました俺もセンス溢れる愛らしいスタンプ使ってLINC上でだけでも愛されキャラを演じたいだけの人生でした。

 なのでどなたか俺に使うだけで愛される感じのユーモラスでキュートな無料スタンプをいくつか教えてください。もしくは優しき石油王のかた、素敵なスタンプのプレゼントください。


 スタンプのこと以外にも、たとえば既読無視は万死に値するとか、絵文字使いすぎるとキモいおっさんっぽいとかいった貴重な知識と経験を得、懸案だった親とのフレンド登録もなんとか無事終えて、俺のLINCライフはどうやら無難にスタートできた……っぽい。


 いやほんと、今回に限ってはミントさん、ありがとう。

 ミントのスパルタLINC教室がなかったら、俺はきっとおっさん構文に空気の読めないスタンプ連打とかしてキモキモのキモな感じの痛いメッセージを乱発し、LINC黒歴史を錬成していたに違いない。

 にフレンドになってくれた、大切で貴重な七橋さんの表情を曇らせる事にならなくてよかった。


 ……にしても。


『おはよ~。今日はお昼休みよろしくね』


 登校途中に届いた七橋さんからのLINCメッセージ。

 ミントにあれだけ鍛えられながらも、七橋さんからのメッセージ着信にはドキッとしてしまうのはなぜだろう。


 今日の昼休みは、クラス委員の会合があるのでその確認も兼ねた何気ない一言。

 初回のやりとりでも見た、「よろしく」というメッセージつきの犬っぽいキャラのスタンプのついたそのメッセージが、俺の心をざわつかせる。


 ……これ、どう返せばいいの?

 「了解」だけじゃ味気ないし、「よろ」とか短く返すほど親しいわけじゃない。

 「よろしくお願いします」は畏まりすぎてそれはそれで距離感バグってる感じだし。

 日本語って、こんなに難しい言語でしたっけ?


 結局俺は「よろしく」とだけ返す、無難以外の何物でもない選択肢を選ぶしかできなかった。

 過去の会話履歴も含め、なんとなく硬派っぽさが無駄に出ている気がするけど仕方ない。

 変なスタンプとか絵文字とか送りまくってキモがられるよりはマシ。多分。


 ちなみに言うまでもない事だが、こちら起点で七橋さんに何かメッセージ送ったことは一度もない。


 だって……何送ったらいいの?

 「今何してる?」みたいなのは多分お友達的な近い距離の人か、迷惑がられる類のエロい人とかが送るものだろうし。

 用事も無いのに何かメッセージ送るとか、難しすぎて無理です。


 というかそもそも、俺のようなモブが何かを送って七橋さんのお時間と関心を一瞬でも奪うなど許される事ではない。

 モブはモブらしく、慎ましく主要キャラの背景に徹するべきなのです。

 それがモブの生き様というやつなのです。


 そんな事だから万年陰キャモブなんだ、って?

 いいんです、陰キャモブで。

 悪目立ちしてボコボコに殴られるくらいなら。

 万年日の当たらない場所に生きるモブでいい――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る