v2.0.2 - 七橋さん

 おお……これはまた朝から眼福。

 げんなりした気分に染まった朝に差す、一筋の光。


 朝の柔らかな日差しの中、通学路に佇む七橋さんは、もうそれだけで絵になっている。


 毎度思うが七橋さん、学校指定のブレザー姿が似合いすぎだ。

 この制服、七橋さんのためにデザインされたんじゃないかとすら思う。

 さすがはクラスのセンターを張る七橋さん。格が違う。


 そんなヒロイン格ネームドキャラであらせられるところの七橋さんが、なにゆえ俺のようなモブごときに声をかけてくださった?

 これはもしや、生類憐れみの令とか発令されてる?

 俺のようなモブに優しくしないと幕府に腹を切らされるとか、そういう御触れ出てる?

 そういえば俺のAR名札、今「犬」だし……。


 って、変な事考えてる場合じゃなくて。


「お、おはよう」


 俺が慌てて挨拶を返すと、


「誰かと通話中だった?」


 七橋さんはやや上目遣いでそう尋ねてきた。

 そんな七橋さんの仕草にちょっとだけドキッとしつつ、俺は慌てて「あ……いや……別に」と返答する。


 確かに何者かと話をしてはいましたが、あれは「通話」ではないです。

 強制的な会話です。生きる権利を得るために課せられた義務の一環です。


 って、そういえばその会話をしていた相手は……。

 俺は恐る恐る、視線を横に走らせると、怖い顔をしたミントが俺をじっと睨みつけている様子が一瞬目に入った。コワイ!


 だがミントは、怖い顔をしているだけで、七橋さんとの会話に介入してくる様子はない。

 というか、不思議なことにミントはいつも、七橋さんとの会話を邪魔してこない。

 過去に数度、ミント同伴で七橋さんと話す機会があったが、滅茶苦茶不機嫌そうな表情にはなりつつも、話に割り込んだり、俺に何かイタズラしたりといった事は一度もしてこなかった。

 ミントなりに気を遣ってくれてるんだと思いたいのだけど――正直、よくわからない。


 ……って、ミントのことはいいのだ。

 今は目の前にある難題、七橋さんとのコミュニケーションをどうにかせねば。

 クラスのセンターを張るクラス委員長、七橋さんの不興を買ってしまったら、クラス内における俺の居場所は消失する。


 さて何か小粋なトークは……と考えてみるが、人との会話経験がそもそも少ない自分には、小粋なトークどころか切り出せる話題の切掛すら思いつかない。

 ここは伝家の宝刀、お天気の話題とか……?

 いや、さすがにそれは「貴女との話題が思いつきませんでした」感が出るし危うい。

 他に共通の話題……あ、そうだ。

 今朝はちょうど担任から押しつけられた仕事あったんだった。

 その確認でもしてお茶を濁しておこう。そうしよう。


「き、今日ってHR前に職員室、だっけ?」


 配布物を運ぶのを手伝ってほしいとかで「朝のHR前に職員室に来て~」という指令が昨晩、かのやる気のなさすぎる担任からメールで届いていた。

 宛先や文中に名前入ってたし、七橋さんにも届いているはずだ。

 もしかしたらそれがあったから、今日はここで待っててくれたのかな……と思ったのだけど――


「あっ……!」


 七橋さんは口元に手をあて、驚いたような、気まずそうな、そんな表情で声を上げた。


「今朝は部室に顔出さなくちゃいけなくて……ごめん!」


 どうやらそういう事ではなかったらしい。

 というか、依頼があったことも忘れてたのかな。


 そうそう。

 そうなんだよなー。

 七橋さんって、こういうちょっと抜けてるところあるんだよなー。


 ……って、素直に思えたらいいんだけどなー。


 この目の前にいる、人当たりの良さを絵に描いたような愛らしい美人さんは、何を隠そう少し前に、俺を罠に嵌めて悪事の犯人に仕立て上げた、ちょっとだけお腹の黒いお人だ。

 そんな事をした理由は「私が人に好かれるため」であり、「人に好かれてないと不安」という難儀な性質を持つこのお人は、自分が好かれるためだったら割と何でもやる。


 そんな七橋さんに対し、俺はとある事情により「あなたの事嫌いです」的な事を言い放ってしまい、それ以降――たぶん「私を好かない人間に売る媚びはない」という事なのだと思うのだけど――七橋さんは俺に対してわりと容赦がない。

 知らん間に勝手にクラスの副委員長にされ、わりとしっかりこき使われている。


 というわけで、七橋さんの「忘れてましたてへっ☆」は、9割くらいの確率で「忘れてはなかったけど、御久仁君やってくれるよね☆」的なものだと思って間違いない。


 ……うん、まぁ、いいんだ。

 どうせ友達いないから学校ではヒマだし。

 「好き嫌いとか関係なく困ってる人がいたら助けるのが当たり前」みたいな事かっこつけて言い放った手前もあるし。

 七橋さんがお困りなら、お助けもしますよいくらでも。


「そうなんだ。ま、まあ一人でも大丈夫だと思うしやっとく」

「ごめん!」


 俺の返答に、七橋さんはそう言って俺の手を両手で包むように軽く握り、「ありがと!」と笑顔で言うと部室棟のほうに去って行った。


 ……え?

 今、何が起きた?

 俺は一瞬何が起こったのか分からず、ほけーっとした間抜け面を晒す。


 今、手、握られた?

 握られたよな?

 手肌に残る七橋さんの感触を反芻する。

 女の子と、肌触れあっちゃいましたよね、今、私。


 ……いや、待て。

 落ち着け。

 これは、多分、アレだ。

 たなか美衣菜著『あざとくてごめんね~敵を作らない愛され術』でやたら強調されてた「さりげないボディタッチ」ってやつだ。

 女子が男子を落とすテクであり、これは七橋さんの戦術。

 そんなものに騙されてはいけない。

 いけない、が――

 ……うん。

 効果はまさに覿面ですね。

 とりあえず、何やら仕事を押しつけられた気もするけど、腹は立ってない。

 むしろ頑張っちゃおうかなって気になっております。

 あざとくて何が悪いのか。


◇ ◇ ◇


 そうこうしているうちに校門に辿り着き、無駄にかっこいい校門を抜け、校舎に入った。

ミントとはそこで別れ、担任の指示通りに職員室に向かう道すがら、トイレに寄って鏡を見て――


(ああ……)


 嫌な汗が背中を流れた。

 校内向けの俺のAR名札、通常は緑や赤で表示されるステータス色が、他で一度も見た事のないピンクになっている。

 そして、名前として表示される「犬」の後に「(発情中)」という文字が足されていた。


 ……ま、まあ、そうですよね。

 ミントさん、やっぱり怒ってますよね。

 とりあえず、今日の昼休みか帰宅後あたり、覚悟しておこう……。


 っていうか、今日はこのステータスで過ごすのね……。

 クラスの皆の目線はもうさすがに慣れたけど、数学の杉崎の本当に可哀想なものを見るような哀しい目だけは何となく慣れないんだよな……。はぁ。

 

 ちなみにミントさん、どうでもいいけど、オスの犬に発情期はないぞ?

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