v2.x

v2.0.0 - 朝

「……りん、ダーリン」


 俺の意識が、深い闇から浮上する。

 閉じた瞼のむこうに、柔らかな朝の光をほのかに感じる。


「朝だよー」


 俺はそんな覚醒の予感に抗わんと、布団を頭までかぶって丸くなった。

 もうちょっと寝ていたい。

 まだ、瞼を開けたくない。

 だって――偉い睡眠学者の人も言っていた。

 高校生くらいの時、人は夜型になりやすく、早起きは脳にも体の成長にも悪い。

 もうちょっと眠らせてくれ。


「起きてー」


 ……にしても。

 さっきから、この声はなんだろう。

 妙に聴き馴染んだ声。

 最近、近い距離でやたらよく聞く声。

 その声は、俺の好きな種類の声色のはずなのに、俺の心をざわつかせ、時に激しい恐怖を与え――


 ……ん?

 ……え?

 ……ちょっと待って?

 この声は、おかしくない?


 ぼんやりとしていた俺の思考回路が、急速に覚醒する。


 これまで、朝の目覚めの時にこの声を聞いた事はない。

 そんな事、あるわけがない。あってたまるか。


 だって――

 俺は寝るとき、ARグラスは外して眠る。

 今だってそうだ。

 今、俺はARグラスをかけていない。

 ARグラスをかけていないのだから、あいつ――ミントの声が聞こえるはずがない。


 ミントというのは、俺のARグラスに侵入してきたスーパーハカーであり、俺に告白してきたのちに愛らしいCGキャラと化し、俺を脅迫したりあれこれして俺を手玉に取っては俺の日常を刺激と恐怖に満ちあふれたものにしてくれている正体不明のヤバい奴だ。


 ……うん。何を言ってるのかよくわからないと思うが俺自身も何が起こっているのか未だによく分かってないので許してほしい。


 とにかく俺はそのミントという謎のハッカーにARグラスをハックされ、ARグラスを通じたコミュニケーションを毎日毎夜強要されている。


 とはいえそのミントとの接点は、ARグラスだけ。

 ARグラスさえ外してしまえば、ミントは俺に話しかける事ができなくなる。

 俺が起きている間は、懇切丁寧な脅迫によりARグラスの常時着用を義務づけられているためほぼ逃げ場はないが、さしものミントとて、寝る時まではARグラス装着を強制してこない。

 就寝時にARグラスを外す事については――かなり嫌がられはしたが――許してもらっている。


 ゆえに俺にとって、お布団の中で眠るこの時間は、ミントにも侵されることなく過ごせる数少ない癒やしの時間、聖域なのだ。


 ――だというのに。

 なんで、オフトゥンにくるまれ穏やかに迎えるこの朝の瞬間に、俺の耳にミントの声が届いているんでしょうね……?


 なにか……嫌な予感がする。

 俺は渋々目を開け、声のする方向に顔を向け――


(……あー、うん。なるほど……?)


 何となく、理解する。

 そして、げんなりとした気持ちとともに、ほのかな疲労と恐怖を感じる。


 俺の目線の先には、目覚まし時計が一つ。

 木目調の、ちょっと和風テイストな時計だ。

 ミントとの強制コミュニケーションイベント多発により入眠時刻が遅れ、寝坊で学校に遅刻しかける事が増えたため、週末に駅前で見繕って買ったものなのだけど――


 ――思い返してみればこれ買う時、「ダーリンのおうちにはこれがいいよ!」などとミントが妙にプッシュしてきてましたね……。


 ミントは――普段やってる事はともかく――服やインテリアに関するセンスは結構信頼できる。確かに俺の部屋の雰囲気に合うように思えたし、何よりお値段も手頃だったのもあって購入を決めた時計なんだけど……そういえば取扱説明書に、ネットワーク対応とか、好きな音を録音して目覚められるとか、そんなような事あれこれ書いてありましたね……。


 つまり、ミントさんはこれを狙ってこの時計を猛プッシュしてきていた、と?


 ……うん、どうやらまた見事に手玉にとられたようですよ?

 多分、そのネットワーク機能とやらをハックして、目覚まし時計経由で話しかけてきてるんだろう。


 ……はいはいもう何というかさすがですね。

 俺を手玉に取りささやかな恐怖を与える事に関しては右に出る者はいないと思います。

 優勝です。

 頂点です。

 というわけで登り詰めましたし、そろそろ引退とか考えたりしてくれませんか?

 そんな気はない?

 生涯現役?

 キングカズばりにプレイヤーとして動き続ける?


(……はぁ)


 俺はお布団の中で小さなため息をついた。

 たとえARグラスを外していたとしても、俺はミントからは逃れられぬのだ。

 我が人生に一片の平穏なし。

 さらば我が愛しき穏やかで静かな就寝時間。


(……はぁ)


 ……さて、どうしたものか。


 などと考えてみるものの、いつものことだが、俺にこの状況をどうにかできる手立てなどない。

 時計は買ってから3日経ってるし、今更返品に行くというのも難しそうだ。

 それにこの時計を返品したところで、どうせ何かしらの形でまた同じような事を仕掛けてくるのは目に見えている。

 そんな俺の行動がミントの逆鱗に触れ、よりヤバい事態に陥る恐れもある。


 ……まぁ最悪、時計の電池抜くとかすればどうにかなるだろうし。

 ここはもうあきらめ……じゃなかった受け入れるしかない……よね?


(……はぁ)


 俺はもう一つため息をついて幸せにしっかり逃げられた後、全力ですべてを諦めた。


 とはいえ何もかもミントの掌の上というのも面白くない。

 文句の一つくらいは言ってやるか、と枕元の充電台に置いていたARグラスを装着した。


 ……と。


「ダーリンおはよ♡」


 俺の目の前に、ミントの顔があった。


(……!?)


 布団の横にちょこんと座り、手を前について、俺の顔をのぞき込むミントさんのそのお顔は――

悔しいが、かわいい。

 ――いや、かわいいのは偽アンケートで答えさせられた俺の好みをそのままCG化したキャラなのだし当然といえば当然なのだけど。

 でも、朝の柔らかい光の中、少しイタズラめいた笑顔を浮かべるその表情は、ほんとに悔しいけど絵になるかわいさだ。


 そして何より、その恰好。

 昨日は下校途中に大雨に降られて俺の家に駆け込んできた、という設定で我が家に泊まる流れを作っていたミントさん。

 「着替えないからダーリンの服借りるね」と勝手に俺のワイシャツを装着したりしてたのだけ ど、今朝はそのままのお姿で枕元に座っておられる。

 オーバーサイズなシャツを羽織り、下ははいてない。

 健康的な太ももがしっかりと俺の目の前に露出していらっしゃる。


 ……まったくけしからん。

 こんなの、健全な男子高校生の目の前でしていい恰好じゃない。

 罰としてぜひともこの光景を、イベントCGとしてギャラリーに追加お願いします。


 ……って、そんなスウィートな姿に騙されてはいかん。

 これこそが、ミントの常套手段。

 こうしてかわいいを駆使して俺の心のハードルを下げ、好き放題やるのがミントという奴だ。


 かわいいは罠。

 かわいいはトラップ。

 俺は己の胸に必死にそう言い聞かせ、甘々に溶けそうになった心を「一言言ってやるぞ」モードに戻した。


「……あの、ミントさん?」

「なぁにダーリン」

「目覚まし時計って……」

「あ、気付いてくれた?」


 俺の問いに、嬉しそうにはしゃぐミント。

 その目が、声が、「ボクの声で起きられるようになってよかったね喜べ」と言っている。


 ああ……。

 これは多分何言っても無駄なやつ。

 俺は再び全てを諦め、身に降りかかる現実をただただ受け入れる事にした。


 ……はぁ。

 今日もまた、このCGキャラに翻弄されるのだろうな……。

 なんとかどうにか今日も一日、平和に過ごせますように……。


 俺は半ば現実逃避しながら、仕方なく体を起こし、朝食の準備その他あれこれの朝のルーティーンを開始した。

 マイサンが少々元気になっていたので少々前屈みなのは許してほしい。

 これは朝の生理現象であって、ミントさんのお姿のせいではないのでそこは誤解なきよう。


 窓の外は、昨日の大雨が嘘のように快晴。

 窓を開けると、朝の気持ちのいい空気がさぁっと部屋に流れ込んだ。

 そんな中、


「着替えるからこっみたらダメだからね!」


 などとお泊まりカップル風な事を言うミントと共に過ごす穏やか(?)な朝のひとときは――


 ……うん、やっぱり、なんというか。


 ある種のホラーだよなぁ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る