v0.2.0 確認

◇ ◇ ◇


 ジリリリリリ


 けたたましく鳴る目覚まし時計を叩いて止めて、「ふぁぁぁぁ」と大きく伸びを一つ。


 カーテンを開けると、明るい日差しが飛び込んできた。

 窓を開け、ベランダに出る。

 抜けるような空には雲ひとつなく、朝の空を鮮やかな青に染め上げている。

 ああ、なんて気持ちのいい朝だろう。

 春先の、まだ少しだけひんやりした空気を胸いっぱいに吸い込んで、もう一度大きく伸びをする。


 高校生になって、二日目。

 まだまだ慣れないところもあるけど、今日も一日がんばっていかないと。

 今日は、どんな事が起こるかな。

 何か楽しい出来事が起こったらいいな。

 朝の空気と一緒に、そんな希望と不安を胸いっぱいにして、俺は部屋に戻った。

 そして、机の上にちょこんと置かれた一つのガジェットを視界に捉えて――


「うぐっ……」


 即座に昨日の出来事がフラッシュバック。

 明るく爽やかだったはずの朝のひと時は、急転直下に暗転した。


 ……そう。

 ……そうなんですよ。

 俺は昨日、触りたくもないARグラスとかいう最新のIT機器を頑張ってセットアップして。

 その直後に、ハッカーに侵入されるというひどい出来事に遭遇したばかりで。


 はぁ……。

 昨日の事は実は全部悪い夢だったりしないかな……。

 通い始めた高校が先進IT指定校だったのも、ARグラスがハッキングされたりしたのも、あれは全部悪い夢で、実は今日が入学式の日だったり、とか……。


 祈るような気持ちで壁の日めくりカレンダーを見る。

 俺は習慣として、寝る前にはかならず日めくりをめくって翌日の日付にすることにしている。

 昨晩も寝る前にきっちりとめくった日めくりが示す日付は、4月7日。

 本日はやはり高校が始まって二日目。


 というかそれ以前に、そもそもIT機器嫌いの自分の部屋にARグラスなんていうデンジャラスデバイスが存在している時点で、昨日の出来事は否定のしようがない。


 つまり俺は今日、この何者かにハッキングされた状態のARグラスをつけて、学校に行かなくてはいけないわけで。


 はぁ……。


 なんだか昨日からため息ばかりついている気がする。

 「ため息をつくと幸せが逃げる」っていう話があるけど、幸せが逃げた後についたため息でも幸せは逃げるんだろうか。もし逃げるとしたら、踏んだり蹴ったりもいいとこだと思うんですが。


 ずーんと沈んだ気持ちを抱えたまま、俺は朝ごはんを食べ、歯を磨き、着替えて、カバンを持って――


「やっぱ、つけないとダメだよなぁ……」


 机の上のARグラスを前にして、しばしの逡巡。

 電池が切れたとか壊れたとかなんとか言い訳をして、つけずに済ます方法はないものか……。

 しかし仮に今日はそれでうまくいったとしても、それをずっと続けることはできないだろうし。

 やっぱり腹を括るしかないんだろうな……。

 正直死ぬほど使いたくはないけど、意を決してARグラスをかける。


 昨日、最初に起動した時よりは控えめに「フォン」という音が耳元で鳴り、グラスは自動で起動した。

 といっても起動画面みたいなものが視界にババーンと出てきたりするわけじゃないらしい。

 派手な幾何学模様が出ることもなく、変化といえば視界の右上、普段の視野の外に日付と時間の表示が追加された、くらいのものだ。


 まあ、グラスをかける度に派手なマークとか模様とかが表示されたら、グラスをかけるタイミングによっては危ないし、これくらいが安全の意味では正しいんだろう。


 さて、それでは――

 だいぶ気は進まないし、やっぱり転校したくてたまらないけど、学校に向かうとしますかね……。

 と、そんな事を考えながら玄関で靴を履こうとした刹那――


=======

mint > おはようダーリン

=======


 ……えーっと。

 問答無用で昨晩と同じウィンドウが開いて――なんか挨拶っぽいものが表示されてるわけですが。

 ああ……やっぱり昨晩のあれは、夢とかそういうものじゃなかったんだなぁ……。

 今日は上を向いて歩こう。涙がこぼれないように。


=======

mint > こうしてダーリンに挨拶できる朝って素敵♥

=======


 そんな俺の気持ちなんか綺麗さっぱり無視して、ウィンドウ上のメッセージはなんだかキラキラとハイテンションだ。

 そのメッセージを見ているこっちは、心臓と胃がキリキリとアウチな感じなんですけれどもね……。


=======

mint > 無視かー。つれないなぁ。

mint > 昨日はあんなに熱い声を聞かせてくれたのに

=======


 ……そりゃ無視もしますさね……。

 昨日はもうそうするしかない感じだったから話したりもしたけど、これ以上この相手には関わりたくない。


=======

mint > でもそんなダーリンの冷たい感じも……いいかも♥

mint > 何か新しい自分に目覚めちゃいそう♥

=======


 はいはいもう自由に目覚めたらいいと思うよ……。


 っていうかこれ、ほっといていいんだろうか。

 なんかもっとヤバい事が起きたりとかしそうな気もするんだけど。

 いや、今の時点で十二分にヤバいので、これ以上の何かとかほんと勘弁してほしいんですけれども。


 とにかく今は無視を決め込んで、俺はいそいそと靴を履き、扉を開けた。

 そのタイミングを見計らったかのように、


=======

mint > じゃあ、また後でね♥

mint > いってらっしゃい、ダーリン♥

=======


 そんなメッセージが黒いウインドウに表示され、ウィンドウは視界から消えた。


 いってらっしゃい、か。

 今は親に無理を言って、高校生ながら一人暮らしをさせてもらってる身なので、いってらっしゃいを言ってくれる相手はいない。なのでこれがもしかわいい彼女からのメッセージ、とかだったらもう涙ちょちょ切れるくらい嬉しいんだけど……。


 されど相手はいかんせん端末に侵入してきたハッカーだ。顔もわからないし、そもそも性別も年齢も声も何もわからない。そんな相手に「いってらっしゃい」って言われても……正直恐怖でしかない。


 っていうか、「いってらっしゃい」って言うってことは、このハッカーさんは俺が今家にいて、これから学校に向かうところだって、知ってるって事だよな。多分。

 一体このハッカーに、どれくらいの俺の情報が筒抜けになっているんだろう……。


 はぁ……。

 やっぱり今日は上を向いて生きよう。涙がこぼれないように。

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