v0.1.2 添付ファイルより愛を込めて
「ふぅ……」
何にしても、ARグラスのセットアップは無事完了した。
まだ手は震えてるし、IT機器を身に付けてる自分にはまったく馴染めてないけど、とりあえずこれで明日学校には入れる、はず。
できればもう少しくらいは操作に慣れておきたい気もするけど、さすがにこれ以上こいつに触れるのは精神力がもつ気がしない。
とりあえず本日のミッションは見事成功裏に終えられたわけだし、きっと明日には学校で使い方のレクチャーとかもあるだろうし、これ以上は頑張らなくていいだろう。
うん。頑張った俺。偉いぞ俺。
じゃあ、ここで眼鏡ははずしまして……と。
……ああでもそういえば、眼鏡をかけっぱなしで過ごすというのも、人生で初めての事だ。
眼鏡というものに慣れる意味で、もう少しかけたままにしておいたほうがいいかもしれない。
そう思い直して俺はARグラスをかけ直し、狭い台所でお茶を淹れ、卓袱台で一息ついた。
……いやほんと、これからの学校生活、ちゃんとやってけるんだろうか。
もうなんというか心配しかない。
春といえば夢と希望の膨らむ季節なはずなのに、俺の胸にはどうしてこんなにも悪い予感と暗いビジョンばかりが膨らんでいってるんだろう。
できれば早いとこ転校の算段をつけたいところだけど……親にだいぶ無理を言って家から遠く離れたこの学校に通わせてもらっている身だし、入学早々に転校したいだなんて言ったら、また余計な心配をかけそうだ。すぐさま転校、というわけにはいかないだろう。
……ほんと、どうしてこうなった……?
そんな事をつらつらと考えながら、もう何度目かわからないため息をついていると――
急に耳元で小さく「ポーン」という音がした。
「おわっ?」
謎の音の発信源はどこだ、と周囲を見回すが、特におかしな様子はない。
……と思ったら、視界の隅に封筒のようなアイコンがふわりと登場し、そこに赤いポッチがついているのが目に入った。
どうやらARグラスからの何かの通知だったようだ。
なるほど、ARグラスではこういうふうに情報が表示されるのか。
……アイコンからして、メールが届いた、ってことかな?
でも、メールってどうやって見たらいいんだろ。
試しに、
と、どうやらビンゴだったようだ。
カチリという小さな効果音と同時に、ふわっとメールのウィンドウが目の前に現れた。
届いているメールは、と……。
『title: mOSの世界へようこそ!』
なるほど、使い始めて最初に届くメール、っていう感じかな。
メールの中身に目を移すと、「ようこそ」みたいなメッセージと、このARメガネの使い方の説明やら何やらが、かわいらしいイラストと一緒に書かれている。
長いメールのようで、途中で欠けていてすべては表示されていないので、指でスクロールとかそういう操作ができるか試してみる。
メッセージの表面を撫でるようにすると、指の動きに合わせて画面がスクロールした。
このあたりはさすがは最先端ガジェット。マニュアルなんてなくても割と使える。
「ん? なんかファイルくっついてるな」
メールを一番下までスクロールしたところで、「ファイルが添付されています」という表示が出ているのに気づいた。
「なんだろ」
その表示を触ってみる。すると、いくつかのアイコンと一緒に『ファイルを開きますか?』というメッセージが表示された。
何か警告っぽいアイコンとメッセージが出てるけど、気にせず「はい」を押す。
その瞬間――
「ファッ!?」
視野いっぱいに、大量の黒いウィンドウが開いた。
それぞれの画面に、ものすごい勢いで文字列が流れていく。
そして、いくつかの画面が勝手に閉じたと思ったらまた開き、また文字列がものすごい勢いで流れ、時には文字がバーのように何かの進捗を表示するようになったり、「Installing...」というメッセージが見えたり、とにかくめまぐるしくウィンドウやその内容が切り替わっていく。
俺は一体何が起こっているのかわからず、それをただ呆然と見ていることしかできない。
……え?
……え?
……え?
とりあえず、言えそうなことがあるとすれば。
……なんか、ヤバい事をやらかした気がする……。
これはどう見ても、普通の動作っぽくはない。
小学生の頃の記憶が正しければ、メールにくっついてきたファイルなんて、だいたい画像とか書類とかだし、普通こんな事が起こる事はありえない。
こういうことが起こるとすれば、それは……。
それは、ええと……要するに……。
ようやく少し回り始めた頭が、一つの答えに行き着く。
メールに添付されていたファイル。それを開いて怪しい挙動っていったら、もしかして……。
いや、もしかしなくても……。
ヤバイヤバイヤバイヤバイ!
脳内で緊急サイレンがけたたましく鳴り響く。
これって……アレだよな。
小学生の頃、親父のデスクトップ端末を使わせてもらう時に、何度も口を酸っぱく注意された、あれだ。
――コンピューターウィルス。
ヤバイヤバイヤバイヤバイ!
学校から支給された端末で、初日からウィルス感染とかマジで洒落になってない。
焦って思わずARグラスを外す。
って、グラスを外したって、ウィルス感染が止まるわけがない。アホか。
ええっと、こういう時にはどうしたらいいんだ。
緊急だ。緊急時だ。緊急時にすること……。
慌てて本棚から「防災事典」という本を一冊引っ張り出して、慌ててページをめくる。
緊急時の心得、緊急時の心得……あった。このページ。
『まず、落ち着きましょう』
うん、そうだ。とりあえず落ち着こう。
落ち着け、俺。
目を閉じて、深く深呼吸をひとつ。
深く深く深呼吸をもうひとつ。
とりあえず呼吸と心拍を落ち着ける。
で、目を開ける。
状況を整理する。
今起きているのは、多分ウィルス感染で。
端末は大変な事になってるけど、俺自身に生命の危険が迫ってるわけじゃない。
だから、大丈夫。
大丈夫じゃないけど、大丈夫。
……よし。
……よくないけど、よし。
じゃあ、今一度、状況の確認から。
無理矢理気持ちと心臓を落ち着けて、恐る恐る、もう一度グラスをかけてみる。
とりあえず、さっきの黒いウィンドウの大量発生は、終わったらしい。
たくさんあったウィンドウは全部消えている。
そして目の前の空間には、一つだけ残された、小さめの黒いウィンドウ。
「……?」
ウィンドウ内には、今の時間と思しき時刻の表示と、点滅するカーソル。
「なんだろ、これ……?」
どうしたらいいのかわからず、その画面を見ていると、画面が更新された。
=======
mint > はぁ
=======
(……?)
これは……
たしかIT嫌いになる前、まだネットをよく使って遊んでいた小学生の頃に見たことがある。
親父より上の年齢の人が稀に使ってた、チャットの画面……に似てる気がするけど。
=======
mint > まさかこれを開くとはね……
=======
えーと、どういうことだ……?
とりあえずよくわからないので、ウィンドウ右上の×マークを押してウィンドウを消してみる。
が、閉じても閉じても何度も同じウィンドウが開くので、どうやらこのウィンドウは閉じさせてもらえないらしい。
ヤケになって何度も閉じるマークを押しまくっていると、メッセージが一つ追加された。
=======
mint > ちょっと落ち着け
=======
……落ち着けない一番の原因に落ち着けと言われましても。
=======
mint > はじめまして。ボクはmint。
=======
あ、どうもはじめまして……って挨拶してる場合じゃなくて。
=======
mint > もっと色々用意してたのになー
mint > まさか最初のでつながっちゃうなんて
mint > ま、これもきっと運命ってやつだね♥
=======
ウィルスに運命とか言われる俺って一体……。
っていうかこのメッセージはなんだろう。
ウィルス感染後に自動で表示されるメッセージ、とかなんだろうか。
=======
mint > つながったから、言おうと思ってたから、言うね
mint > ……ちょっと緊張しちゃうな
mint > えっと、ボクは
mint >
mint > ボクは、キミの事が大好きです
mint > これからよろしくね、ケント♥
=======
は……?
は……?
は……?
は……?
……なんで今告白された?
小さい頃、一度本気で信じかけた「未亡人です。あなたに財産譲ります」とかっていうスパムメールみたいな何かなのだろうか。
いや、告白もそうだけど、「ケント」って。
なんで俺の名前が……?
ぞわぞわと背筋に嫌なものが這い上がってくる感覚。
『御久仁健斗って奴が、犯人みたい』
『練馬在住だって』
『こいつ小6かよ。性の目覚め早すぎ』
あの事件で、ネットでそんな書き込みを見つけた時に感じた、あの嫌な感じ。
手が、体が震える。
なんなんだ、これ……。
なんなんだよ、これは!!!
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