v0.1.1 装着
……と、ため息ばかりついていても仕方ない。
担任の言うところによると、このARグラスには個人認証?の役割があるらしく、ちゃんと初期設定しておかないと、明日校門すらまともに通れないらしい。
だから俺はこれを、今日中に使えるようにしておかねばならない。
それが俺に与えられた高校生活最初のミッションだ。
……はぁ。
マジで嫌だ。
こんなもの投げ捨てて、どこかの田舎の高校にでも転校して自然に囲まれたオールドスクールで素朴な学生生活送りたい。
学校帰りに川で魚釣って焼いて食べながら将来は都会に行くんだとか見果てぬ夢を語らったりしたい。
とはいえ明日いきなり転校はさすがに不可能だし。
かといって入学二日目にしていきなり学校をサボったりできるほどの不良スピリッツも根性もないし。
……やるしかない、よな……。
もしかしたら1年後には違う高校に通う事になっているかもしれないし、是非ともそうなっててほしいけど、少なくともこれからしばらくは、あの学校に通うわけだし。
今日聞いた感じ、少しでも使えるようになっておかないと、授業すらまともに受けられなそうだし。
(セットアップは簡単だって言ってたし……大丈夫だよな……)
恐る恐る、震える手を箱に伸ばし、メガネを取り出す。
(えっと、どうすればいいんだ……?)
グラス以外には特に取扱説明書だとか、「初期設定のしかた」みたいなリーフレットだとかは入っていないようだ。まったく不親切極まりない。
……と、よく見るとメガネのツルの部分にに小さなシールが貼り付けられていて「Wear glasses to setup」などと書いてある。
……出ましたよこれ。
取説なんて時代遅れだと言わんばかりのシャレオツ仕様。
分厚い説明書をくまなく読むのが好きな俺みたいな人類は旧人類ですかそうですか。
はいはいわかりましたよ。かければいいんですねかければ。
ごくり、と思わず息を飲む。
これをかけると、俺は繋がってしまう。
あの時ひどい出来事が起きた、あのインターネットという場所に。
色々な記憶が脳裏をよぎる。
散々書かれた悪口雑言に、鳴り止まない電話。家の周りにはりついた視線……。
(だ、大丈夫。あの時とは時代も環境も違う)
深呼吸をひとつして、震える手で、俺はメガネをかけた。
フォーンという柔らかい音が耳元で鳴り、視界に幾何学模様が上書きされる。
「わっ」
どうやらメガネをかけると自動で起動する仕組みだったらしい。
視界に現れた幾何学模様は、ぼやけたり、くっきりしたり、点になったり、線になったり、色が変わったり様々に変化していく。
どうも何かの調整をしているみたいだけどよくわからない。
少し待つと、急に視界の模様がくっきりした鮮やかなものになった。
そして目の前にあった幾何学模様はシャーンという音と共に弾け飛び、今度は「Welcome」「ようこそ」「欢迎」「Willkommen」など色々な国の言葉で歓迎?のメッセージが部屋中に飛び回り始めた。
それは、なんとも不思議な光景だった。
俺の部屋に、文字が飛び回っている。
その文字は、俺の部屋の壁や机にぶつかると、跳ね返ったり、そこですっと消えたりする。
手を伸ばせば、文字はその手に当たって、止まったり軌道を変えたりもする。
壁にめりこむとかいうこともなく、光の当たり方、反射のしかたなんかも違和感がない。さも本当にそこにあるかのように、文字たちは俺の部屋の空間に溶け込んでいた。
小学生の頃、重たいゴーグルをつけてVRゲームで遊んだことがあったけど、あの頃のものとは体験のレベルがまるで違う。
ARグラスが「情報を現実に上書きする」ものだって事は頭では理解してたつもりだったけど、これは想像を一歩越えている。
「すげぇ……」
さっきまでのIT機器やネットに対する恐怖心を完全に忘れ、俺はしばしその光景に見惚れてしまった。
しばらくすると、ゆったりと目の前の光景に変化が起こった。
少しずつ目の前に文字が集まってきて、いくつかの言語で文章が現れる。
「Say "hello" in your language」
「お使いの言葉で「こんにちは」と言ってください」
同時に、そのメッセージがいろんな方向から、いろんな言語で音声でも聞こえてきた。
なるほど言語の設定、ってことなのかな。口で言えばいいんだろうか。
恐る恐る「こんにちは」と言ってみる。
すると視界は一転。
俺の部屋が、急に和風な空間に早変わりした。
部屋の隅には鎧兜が飾られ、窓に障子がはめ込まれ、壁には掛け軸。
琴の音色を使ったBGMが流れ始め、どこからともなく水の流れる音と、鹿威しの音がする。
一体いつの時代の日本のイメージだよ……と内心ツッコミつつ、でもここまで鮮やかに部屋を書き換えられると、もうぐうの音も出ない。ARグラスすごい。
と、唐突に右のほうから「こんにちは、ようこそmGlassへ」とやわらかい女性の声がした。
慌てて声のしたほうを向くと、着物姿の女性がにっこりと微笑んでいる。
「セットアップを始めます。よろしければ2回、首を縦に振ってください」
ほんのり関西訛りで言うその女性に、俺は無駄に緊張しながら2回頷く。
「ほな、
言いながら、彼女は指輪のようなものを3つ取り出して、右手の指にはめて見せた。
同時に、空中にふわりと一枚のパネルが浮かび、親指、人差し指、中指の三本に、すべて第二関節のところに指輪をはめるように、という指示が動画で表示された。
「ああ、これか」
箱の中から指輪を取り出して、指示通りにはめてみる。
どうやらこの指輪のことを「
生まれてこの方指輪なんてはめたことがないので、なんだか窮屈に感じるけど、まあすぐに慣れそうな気もする。
「ちょっと指動かしてみてもらえますか?」
言われた通りに指を動かしてみると、指の動きに合わせて「リン、リン」と綺麗な音が鳴った。
「ええみたいですね。ほな、最初に簡単な操作を教えますね」
教えてくれたのは、「OK」と「NO」の操作だった。
mRingをはめた指で、指パッチンをするような操作が「決定」「OK」。
その指の動きを逆にすると「キャンセル」「NO」。
使う指は人差し指+親指でも、中指+親指でもどちらでもいいらしい。
手の操作のレクチャーが終わると、「他にも色々操作はあるんですけど、それはおいおい説明していきますんで。困ったことがあったら「助けて」「教えて」とか言うてくださいね」と言われた。
もっと色々教え込まれるのかと思っていたので、少なからず拍子抜けしたが、確かに最初からそんな色々教えられても困る。きっと、使いながら覚えていく感じなんだろう。
教えられた動作を復習しつつ、さて次はなんだろう、と身構える。
だが、着物の女性はにこりと笑うと、
「これで初期設定は終わりです」
「へ?」
もっと複雑で、わけのわからん用語がたくさん出てくる意味不明なステップがたくさんあるものと思っていたので、俺は思わずずっこけそうになる。
……なるほど、セットアップは簡単と言ってたのは本当だったんだな。
無事終わってよかった……とほっとして息を吐き出す。
が――次の一言で、俺はぞわりとする衝撃を受ける事になった。
「あらためまして、ようこそ、
(……!?)
いきなり自分の名前を呼ばれて、俺は頭が真っ白になった。
ここまでに、自分の名前だとかIDだとか何かを設定するような事はなかったはずだ。
じゃあ、一体なぜ俺の名前を……?
背中を嫌な汗が流れ、過去の嫌な思い出が頭の中を駆け巡る。
また、俺は色んなものを暴かれて、誰かの悪意に好き放題遊ばれるんだろうか。
心臓が早鐘のように鳴る。
……って、あ、そうか。
今日学校で、何かの登録だとか言われて、目だとか指だとかあれこれスキャンされたような……。
あの時に俺の情報が登録されていて、その情報でもって名前が呼ばれた、ってことなのかも……。
はぁ……ビビった。
ハッキングされたとか、脳の深いところから個人情報を引き出したとか、何かそういうヤバい事態なのかと思ってメガネ思わず投げ捨てそうになったわ。っぶね。
ドキドキする心臓を宥め、心を落ち着けようと大きく深呼吸していると、着物の女性が再びにっこりと微笑み、
「
そう言って軽く一礼すると、彼女は光の粒子になって消えた。
同時に室内の和風コーディネートも消え去り、視界は見慣れたボロマンションの一室へと戻っていた。
ふぅ……。
最後の最後に心臓に悪い出来事はあったものの、どうにかセットアップはできた、らしい。
ARグラス初体験は、思ったよりはずっと面白い体験ではあった。
でも、胸の内にはまだ拭い去れない恐怖心がある。
ほんの数分のことながら、手が汗でびっしょりだし、体がやたらとこわばっている。
やっぱりこれをかけて送る学校生活は……ヤだな……。
はぁ……転校したい。転校したさしかない。
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