第95話 急ぐ理由の変化
「嘘、アタシ、気づかれてたの?」
「嘘に聞こえるかもしれないけど、本当よ。でも、あなたは悪い人には見えなかった。何かとても困っているんじゃないかと思った。悪いことをしたくてしてるんじゃなくて、せざるを得ない状況に追い込まれてるんじゃないかって思ったの。だから、manacaの購入を助けてくれるか、言い方悪いけど、試したの。ごめんね。本当は分かってたけど、分からないふりして……。そうしたら、あなたは、嫌な顔をせず教えてくれた。やっぱりこの子はいい子なんだと」
「……」アタシは言葉を失う。
「主人もね、私も、実は元・保護司でね、若くて未来のある子が、犯罪に巻き込まれていくことを憂いています。主人は、高齢者を狙った犯罪にわざと巻き込まれて、受け子に接触しては、諭してきた。謝って更生した人もいたみたい」
シュージは、清水正史さんが
「本当にすみません」アタシはただ謝るしかできなかった。今日だけで何度謝っただろう。
「あなたね、いまとても目がキラキラしてるわ。あの時よりも見違えるほどキレイになってる」
「えっ?」
そんなはずはない。アタシは風呂にも入らず、化粧が汗と涙でグシャグシャになって、自分でも見るからにみずぼらしい。
「あの時は、どこかに邪念とか恐怖とか葛藤とか、そんなネガティブな感情で、目がイキイキしてなかった」
『葛藤』。シュージから教えてもらった言葉だ。意味も覚えている。
お婆さんは続ける。
「でも、いまのあなたは自分の中で確かな決意を見つけたような気がする。どうやって生きるか、目標を見つけたような眩しささえ見えるの」
「私の勝手でお節介な想像だけど、
「何でそこまでっ……!」
図星だった。このお婆さんの観察眼は、お婆さんらしからぬほど鋭すぎる。
「ふふふ。あなたは隠しごとが苦手みたいね。でも大丈夫よ。私はあなたのこと怒ってないし、恨んでない。応援しているのよ。だから、行ってらっしゃい。いまのあなたなら、朝永くんと充分お似合いよ」
そういうと、お婆さんは、お婆さんらしからぬチャーミングな笑みを見せた。
✾❀❁❃✲✿✼✻✽
アタシは、何度も何度もお礼を言って、清水さんの家をあとにした。
とりあえず家に帰って、情報手段が欲しかった。スマートフォンを確認したかった。
なぜかアタシは走った。来た道のことを考えると、犬山駅まで4キロメートルくらいあったんじゃないかと思う。
それくらい遠かったのに、すごく何者か急かされているように気が
シュージが遠くに行ってしまうような気がしてならなかったのだ。
──これが恋? そう自分の気持ちを疑ったことがあった。でももう疑っていない。確信を持って言える。シュージが、朝永修治が大好きだ。
でも、何でシュージが遠くに行ってしまうような気がしたのだろうか。
やっぱり、カタブツのシュージの初恋の話を聞いたからだろうか。
郁佳に対する、魂の叫び。「絶対死なせるな! 生きろ! 今枝郁佳!」という声がリフレインとなって蘇る。
郁佳の安否は、情報が遮断された
血まみれの郁佳が救急車に運ばれるとき、助からない期待を一瞬だけしてしまった。そうすれば、シュージの初恋の相手はいなくなると。
すぐに自分の心の中で訂正したけど、そんなことを期待してしまったところがアタシの醜さなのだ。政治家だって、よく失言するけど、あれこそが本音なんだろう、と。
けれども、どんな人間であれ死んでいい理由なんてない。
昨夜から今朝までの間のごく短い時間だけど、考えを改めようとした。
アタシは、シュージや清水さん夫妻によって救われた。罪をリセットし、もう一度、品行方正な人間に立ち返るチャンスを与えられたんだ。
もし、シュージが郁佳のことが好きだったら、郁佳もシュージのことが好きだったら、正々堂々戦えばいい。逆に郁佳が亡くなってしまったら、戦えないじゃないか。想い出には、生身の人間は
──お願い、郁佳。生きて!
そう思いながら、走った。
今度はシュージが遠くに言ってしまうような気がしたから走ったのではない。郁佳が助かったかどうかを知りたい、生きていて欲しいから。
もちろん、500メートルもまともに走れないアタシが、走り続けることはできない。ゆっくり走っても、途中で息を切らしながら立ち止まっては歩く。歩くのもしんどい。胸の下のあたりがキリキリ痛む。 途中ドラッグストアの脇でへたり込んでしまった。でも、すぐに立ち上がり、脇腹を抱えて歩き出した。
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